MRJ初飛行 日本の航空産業を活性化できるのか

 国産初の小型ジェット旅客機「MRJ」が初飛行に成功した。国産旅客機の開発は、戦後初のプロペラ旅客機「YS11」以来、半世紀ぶり。それだけにMRJに大きな期待がかかる。
 果たしてMRJの開発は、日本の航空産業を活性化させ、自動車のような基幹産業へと育て上げる基盤となり得るのだろうか。
 初飛行が行われたのはYS11の「11」が並んだ11月11日。夕刊各紙は1面トップで初飛行成功を大きく報じ、翌日の各紙の社説にも期待が込められた。
 MRJは三菱重工業の子会社、三菱航空機が開発を進める小型ジェット旅客機。大きさはジャンボ機の半分。乗客約100人を運べる。1機約60億円。軽い炭素繊維複合材と最新鋭のエンジンによって燃費性能を海外ライバル社の従来機よりも2割向上させた。
 MRJのMは「ミツビシ」、RJは都市と都市を結ぶ近距離運航に適した「リージョナル(地域の)ジェット」を指す。RJは経済発展を続けるアジアや中南米での利用が期待され、今後20年間で5000機の需要が見込める。
 ところがMRJへの期待にもかかわらず、開発計画はこれまでに5回も延期され、初飛行も予定より4年遅れた。その影響でここ1年以上、新たな受注はない。RJの市場はカナダとブラジルの航空機メーカー2社が独占し、ロシアや中国も進出を狙う。日本が競争を勝ち抜くのは容易ではない。
 しかも三菱航空機では2017年4月~6月にかけて1号機を全日空(ANA)に納入する計画で、それまでに安全性を保証する型式証明を取得しなければならない。型式証明は国内外の航空会社に新型機を引き渡すための必要条件。今後計2500時間もの試験飛行を行い、日本の国土交通省や米国の連邦航空局(FAA)などの審査に合格しなければならない。試験飛行の結果、再び設計変更や部品交換を繰り返す可能性もある。これからが正念場だ。
 それにしてもこれまでどうして計画が大幅に延期されたりしたのだろうか。
 零戦に象徴されるように日本の航空産業は戦前、世界トップレベルを誇った。しかし敗戦後7年間、連合国軍総司令部(GHQ)によって航空機の飛行と製造が禁止され、技術力が落ちるなど大きな痛手を負った。
 そんななか、官民一体となってYS11の製造がスタート。航空技術の粋を集め、1962年に初飛行した。1964年の東京五輪の聖火輸送に使われ、日本の航空技術の復活の象徴となり、YS11は、一定の評価は得られた。
 だがしかし、製造会社のコスト管理が不十分で営業力も弱く、赤字が続いて1973年に製造中止に追い込まれた。それ以降、日本の航空産業は米ボーイング社などの下請け、パーツメーカーの立場に甘んじてきた。国産初のジェット旅客機といわれるMRJも国産部品は3割しか使われていない。
 航空機の部品の数は、自動車の100倍に当たる300万点を超えるものもある。部品が多い分だけ航空産業の裾野は広がり、大企業だけでなく、多くの中小企業も含めて長期間技術を磨くことで産業が成り立つ。安全性の審査も部品単位で実施する必要がある。YS11以来、旅客機を製造したことがないだけに審査基準も新たに設置しなければならない。これが現実である。
 日本の航空産業を下請けから脱却させ、機体製造の全体を主導できるようにするには、官民一体による弛まない努力が必要である。YS11の反省を生かすことも欠かせない。
 話は変わるが、石原慎太郎さんがこんなことを産経新聞(2002年12月2日付朝刊)の1面コラム「日本よ」に書いている。
 「中曽根政権時代に三菱重工が画期的な次期支援戦闘機FSXの計画を発表したことがある。その性能の特出した点は空中戦での宙返りの半径が世界の最先端のF15、F16のおよそ半分で、そうした高運動性のために独特のカナード=脇鰭(わきびれ)=を備えている。もしそうした戦闘機が実現すると、いかなる空中戦ででも簡単に相手の後方にライド・オン出来て、まさに無敵である。ということでアメリカはそんな飛行機の登場を好まず、日本政府に圧力をかけてこの計画を思いとどまらせた。私がアメリカでは悪名の高い『NOと言える日本』を書いた所以のひとつでもあった」
 石原さんのこの話は軍用機という特殊性はあるものの、米国は日本が航空産業に参入してくることを好まない。
 知人の航空専門家も「エアバス、ボーイングと世界の航空機製造は欧米が握る。日本の航空産業が強くなればなるほど欧米は国を挙げて陰に陽に圧力をかけてくる」と指摘する。
 日本が航空産業を育て上げるには、欧米の隙を突いてうまく立ち回る器用さも求められる。             
(ジャーナリスト 木村良一)

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