「御巣鷹30年」ボ社は修理ミスを犯した理由を明らかにすべきだ

30周年を迎えただけあって8月12日前後のテレビや新聞の報道は例年になく多かった。日航ジャンボ機墜落事故のことだ。この「メッセージ@pen」でも「教訓を忘れるな」というタイトルで5月号と8月号に取り上げた。
その2回の原稿の中で書こうか、それとも書くまいかと迷った末、そのままになっていた主張が2つある。御巣鷹の事故から30年という熱気が冷めやらぬうちにここに書き留めておきたい。
ひとつは事故原因の特定に関してだ。日航機は墜落事故を起こす7年前の尻もち事故で後部圧力隔壁を破損した。修理を担当した米ボーイング社の修理チームは、損傷した圧力隔壁の下半分を交換した際、指示書通りの修理をしないで2枚に切った継ぎ板を使った。
なぜ強度が弱まるような修理を行ったのか。これについてボ社は一切、説明していない。1987(昭和62)年に公表された運輸省事故調査委員会の報告書は、事故原因を「ボ社の不適切な修理ミスに起因する」としている。ボ社も修理ミスを認めている。30年が経過したいまでも遅くはない。世界の空から航空事故を少しでもなくすためにボ社は修理ミスを犯した理由を明らかにすべきだ。
事故調査の過程で事調は委員を渡米させ、ボ社に「修理作業をした担当者から話を聞きたい」と申し出た。しかしボ社は応じなかった。その理由は刑事訴追を恐れたからだといわれる。
日本では警察庁と運輸省との間で「事故調査は犯罪捜査に支障をきたさないようにする」との取り決めが、1972(昭和47)年に結ばれている。公判でも事故調の調査報告書が操縦士や管制官の過失を裏付ける証拠として採用されてきた。
しかし米国では航空事故調査の目的は、操縦士らを罰することにあるのではなく、事故の原因を探り出して再発防止に役立てるところにある。調査と刑事捜査を明確に分け、過失は故意の場合を除いて免責する。ひとたび航空事故が起きると、大勢の人の命が奪われる危険があるからこそ、事故原因の解明が優先される。
一方、日本では刑事責任の追及によって原因を究明しようという考え方が根強い。米国とは文化自体が違うからだろう。刑事責任は問わない。その代わりに本当のことを話してもらう。日本もこう制度を変えていく必要がある。
群馬県警も幹部を渡米させ、米側の検事に捜査内容を説明して作業員の聴取を要請したが、ボ社に拒否された。それでも事故から3年後の1988(昭和63)年、業務上過失致死傷容疑でボ社の修理チームを書類送検した。だが結果は不起訴だった。
今回、主張しておきたいもうひとつは、事故当時の救出活動についてだ。これは私の長年来の独自の考えでもあり、航空担当記者をしていた25年ほど前に産経新聞にも何度か書いたことがある。
日航機は修理ミスよって圧力隔壁に生じた亀裂が一気に割け、与圧されていた空気がその裂目から噴き出して垂直尾翼などを吹き飛ばし、操縦不能に陥った。その後約30分間、ダッチロール(横揺れを伴う蛇行飛行)を繰り返しながら午後6時56分に群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落した。
墜落後の午後7時21分に航空自衛隊機が群馬と長野の県境の山中で炎を見つけたものの、情報が混乱して墜落場所を特定できなかった。墜落から約10時間後の翌13日早朝になって自衛隊機や長野県警のヘリが上野村の山中で機体の残骸を見つけ、救助部隊が駆けつけている。
結局、乗客乗員計520人が死亡し、助かったのは女性4人だけだった。夜間の山中で機体の残骸に埋もれながら息を引き取った乗客もいたという。
日航機が迷走した約30分間に自衛隊機2機がスクランブル(緊急発進)をかけ、日航機の両脇について航空無線で「垂直尾翼がない」「ハイドロ(補助翼などを動かす油圧駆動システム)も破壊されている可能性がある」と伝えることができていたら安全な場所に不時着できていたかもしれない。
航空自衛隊は日本の周辺を飛行する航空機を警戒管制レーダーなどによって監視し、領空侵犯の恐れのある航空機を見つけた場合、全国の7基地のいずれかの基地から戦闘機2機を緊急発進させ、その航空機に警告している。
これがスクランブルで、365日24時間、5分以内で飛び立てるようにパイロットが交代で待機している。
スクランブルなら日航機が墜落する前に十分、追いつくことができたはずだ。追いついた後、うまく誘導できずに墜落したとしても墜落場所がすぐに特定でき、もっと多くの生存者を救出できただろう。
ただ空の防衛の要であるスクランブルをどこまで救難救助に転用できるかという法律上の問題は残る。
木村良一(産経新聞論説委員)

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