水深44mからのメッセージ ~セウォル号事故と報道姿勢~(下)

セウォル号事故に対するKBSの報道姿勢は、どんな点が問題になったのであろうか。
まず、KBS若手記者らの反省文は次のように指摘している。「我々は現場にいたが、現場取材をしなかった。遺族が救助活動の不適切さを叫ぶとき、発表される数字だけを伝え、目を背けた」と綴っている。また、「KBSが災害を主管する放送局として恥ずかしくない報道をしたか、必ず反省しなければならず、遺族と視聴者に謝罪しなければならない」とも記し、真摯に反省の意を示した。
文化放送・MBCにも同様の動きがあった。121人もの記者が12日、「国民に謝罪します」との声明を発表した。7日に放送された自社の番組が行方不明者の家族を侮辱する内容であったとして、「報道惨事」と断罪する。また、「海洋警察の初動体制と捜索、危機管理システムなど、政府の責任に関する報道を疎かにし…行方不明者の家族には大きな苦痛を、国民には混乱と不信を抱かせた」として謝罪している。
セウォル号事故に対する各社の報道姿勢は、犠牲者や遺族の心情を酌むことなく発表情報に終始し、ジャーナリズム本来の役割を果たせなかったというものであった。国民からの厳しい批判に、KBS、MBC、SBSの地上3局やYTNの視聴率はかつてないほどに低下した。「テレビは国民の信頼を失った」とまで言われたほどである。
一方、報道に対する政治介入疑惑は、報道の自由というジャーナリズムの根っこにも関わる問題として、キル会長と社員が真っ向から対立し、KBSを1か月も揺るがす事態となった。主な動きを以下に記す。
 
5月9日:キム報道局長がキル社長による報道への政治介入を暴露。社長の辞任を要求。
10日:キル社長は遺族に謝罪し、キム局長の解任を報告。
16日:KBS報道本部の部長級18人が社長の辞任を求め、役職返上を表明。キム前報道局長は「大統領府とキル社長から同時に指示があった」と政治介入を言明。
19日:ニュースアンカー・特派員38人が制作拒否。ニュース番組にも影響。労働組合員がキル社長の出社を阻止。
21日:キル社長は退陣要求を拒否。
29日:記者・ディレクター系と技術系の2つの労働組合員がストライキに突入。
6月6日:KBS理事会がキル社長の解任案を議決。
11日:パク大統領がキル社長の解任承認。

報道に対する政治の介入疑惑をめぐる内部対立はほぼ1か月続いた。この間、KBS構内では、キル社長の退陣を求める労働組合のデモや集会が連日繰り広げられ、KBSの放送会館は内外ともに異様な雰囲気に包まれた。KBSワールドラジオ日本語班の居室はKBS本館5階にある。窓からは集会が開かれる玄関前がほぼ真下にあった。19日の午前7時30分、数日前からの集会が玄関前で始まるが、人数がおよそ200人といつもより多い。午前9時すぎ、出社しようとするキル社長の車が玄関脇の駐車場に入ろうとした。組合員は「キル社長は辞任せよ」とシュプレヒコールを上げながら激しく阻止する。車をプラカードで何度も叩く。フロントガラスにひびが入る。ボンネットに乗って跳ねる。車は組合員をかき分けるように遠ざかるしかなく、キル社長はこの日出社できなかった。その玄関には、いつの頃からか、10m四方もあろうかという垂れ幕が掲げられていた。「タンシン・キョッテ・ウリガ・イッスムニダ(私たちは、あなたに寄り添っています)」とハングルで綴られていた。KBSの報道姿勢が遺族から厳しく批判され、自らも反省して発した遺族への「寄り添い宣言」だった。また、報道に対する政治介入は許さないというKBS社員の「ジャーナリズム」でもあったのかもしれない。
その後、29日朝から2つの労働組合が無期限のストライキに突入した。辞任を拒むキル社長も6月になって、KBS理事会の議決を経て辞任した。しかし、報道に対する政治介入疑惑は解明されないまま、今に至っている。
セウォル号は、遺族の強い希望を受けて引き揚げられることになった。深さ44mの海底に沈んだままのセウォル号は、9人の行方の捜索とともに報道に対する政治の介入疑惑の解明という最も重い課題を今なお問いかけながら、海面にその姿を現すことになる。 
羽太宣博(ジャーナリスト・元NHK記者)

(本稿の続編として、「韓国における言論統制(仮)」を6月号に掲載予定)

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