群馬大病院の不祥事 他の病院でも起こり得る

 北関東の拠点病院として知られる群馬大病院で、同じ医師による肝臓の腹腔鏡手術を受けた患者8人が次々と亡くなり、今年3月3日に病院側が全てのケースで医療ミスを認める最終の調査報告書を公表した。
 手術前に必要な安全性と有効性を検討する院内の倫理審査を受けていなかったばかりか、患者やその家族への説明も不十分だった。患者の死亡原因を探る検証委員会もほとんど開かれていなかった。患者の命を預かる病院としてあまりにも杜撰である。  それにしても一連の群馬大病院の不祥事で一番気になるのが「自分のかかっている病院は大丈夫なのか」ということだろう。他の病院でも同じような医療ミスが起こり得るのか。
 群馬大病院第2外科では2010(平成22)年12月から腹腔鏡による肝臓の高度な切除手術を導入し、14年6月までに93人の患者に実施した。ところがそのうち8人が、術後4カ月以内に死亡していたことが昨年11月に発覚し、大きな問題になった。
 群馬大病院によると、8人の手術をしたのは、全て40歳代の男性医師だった。この医師による開腹手術でも10人もの患者が死亡していた。その患者のうち1人はがんではなく、実際は良性の腫瘍だったにもかかわらず、遺族にも知らせず、生命保険の診断書にはがんと虚偽の記載をしていた。
 3月3日の記者会見で病院長はこの医師について「医師としての適格性に疑問がある」と話し、診療行為を停止させたことを明らかにした。執刀した医師に責任があるのは当然だ。それ以上に手術などのミスから8人もの患者の連続死を見過ごしてきた病院の組織としての責任は重い。この医師に手術をやめさせていればこれほど多くの患者が命を落とすことはなかったはずだ。  医療ミスや事故が起きたら背景も含めて原因を徹底的に突き止め、再発防止に結び付ける。その診療科や病院はもちろん、ほかの診療科や病院にも伝えて情報を共有し、同じ過ちを2度と繰り返さないようにする。群馬大病院はこの大原則を守れなかった。なぜ守れなかったのか。群馬大病院はそこを十分に検証し、明らかにする義務がある。
 私のつたない取材経験から考えると、どうしても病院には医療ミスを放置し、隠そうとする閉鎖的な体質がある。
 たとえば2003(平成15)年8月に都内の大学病院で起きた医療事故。直腸がんの手術を受けた50歳代の女性が、静脈内に挿入すべきカテーテル(細管)を誤挿入されて意識不明の重体から脳死状態となり、1年8カ月後に死亡した事故だったが、大学病院は発覚直後に記者会見を開いても頭を下げるだけで記者の質問には一切答えず、わずか5分で記者会見を一方的に終わらせていた。
 なぜこんな非常識な記者会見を行ったのか。事故の原因を突き止め、情報を共有して再発防止に努めようとする真摯な態度に欠けていたからだ。いまでこそ病院が自ら進んで事故を公表するようになってきたが、10年以上も前の当時は事故を発表するような病院はほとんどなかった。
 人間はどうしてもその責任から逃れたいがためにミスを隠そうとする。ひとりひとりの医師や看護師はしっかりしているにもかかわらず、「白い巨塔」と呼ばれる大病院になればなるほど、組織が大きくなればなるほど、病院は閉鎖的になり不祥事を隠蔽しようとする体質が強くなる。医療事故を取材するなかで聞いた言葉だが、「病院の常識は社会の非常識、社会の常識は病院の非常識」が、病院の一面をよく物語っている。
 そもそも病院側は医療事故や医療ミスを合併症と考えている。合併症とはある疾病に関連して起こる病気のことを指す医学用語で、社会の常識では医療事故や医療ミスを合併症とは考えない。これだけ見ても病院の常識が世間一般のそれといかにかけ離れているかが分かる。群馬大病院のような不祥事は、病院から閉鎖的で隠蔽的な体質を一掃して病院を社会に開かれた組織に変えようとする努力を続けていかない限り、どこの病院でも起こり得る。
 最後に今年10月からスタートする医療事故調査制度の問題点に触れておきたい。制度ではまず第三者機関に届け出たうえで、病院が事故やミス対して院内調査を実施する。運用指針によると、最初の時点で病院側が「この事故は予期できた」と判断すれば、第三者機関への届け出や院内調査は必要なくなる。つまり事故やミスが隠蔽される危険性が出てくるわけだ。院内調査自体も事故やミスを起こした病院が行うから、身内による身内の調査となり、どこまで客観性が保てるかの問題は残る。
 医療事故調の制度があっても医療側に自浄作用が働かなければ、群馬大学病院のような不祥事は決してなくならない。

木村良一
産経新聞論説委員  

Authors

*

Top