STAP問題、報道も検証されるべきだ

STAP論文について調べた理化学研究所の調査委員会(委員長=桂勲・国立遺伝学研究所長)が、STAP細胞は胚性幹細胞(ES細胞)が混入したと「ほぼ断定できる」との見方を示し、調査を終了した。発表から11カ月、「リケジョの快挙」と絶賛される一方で多くの疑惑が指摘され、世界的科学者の自殺という事態まで招いたSTAP論文問題。報道各社は研究不正を指摘された小保方晴子氏や理研の責任を追及している。しかしこの問題は、研究と政治、科学と経済など構造的問題をも顕在化させた。本来地味な基礎研究がここまで注目されたのには、大々的な報道の影響があったことは否めない。なぜ不正を見抜けなかったのか、なぜ「リケジョ」「割烹着」などの要素に飛びついたのか。過熱報道が起きた過程を科学的に検証した上で、議論を深める必要があるのではないか。

■「輝く女性」×「成長戦略」バイアス
STAP論文問題は2014年1月28日、理研が科学誌「ネイチャー」に掲載されると発表したことに端を発する。会見内容は当初30日未明解禁の予定だったが英メディアのフライングにより前倒され、29日夜から熱狂的な報道がスタートした。その多くが「世界的快挙」と伝え、「30歳リケジョ」などと小保方ユニットリーダーに焦点を当てた。30日夜のNHKニュースでは「泣き明かした夜も数知れない」「休日はカメの世話」「研究室にはムーミン」というように人物像を伝えることに5分以上を費やす特集を組み、「割烹着」について巣鴨での街頭インタビューまで織り込んだ。小保方さんの感想文コンクール入賞歴や「リケジョ」とは何かという解説記事まで掲載した新聞もあった。
こうした過熱報道はなぜ起こったのか。まず下地として「女性の活用」「再生医療で経済成長」といった期待感が、ニュースの「扱い」に大きな影響を与えたことが考えられる。

2012年に山中伸弥・京大教授がiPS細胞でノーベル平和賞を受賞したことを受け、安倍晋三首相は2013年度の施政方針演説でこの分野を「成長戦略」に盛り込んだ。また「女性が輝く日本」というフレーズも「成長戦略」に盛り込まれている。

■“ブラインド”会見、過剰演出、時間の制約
それに加え1月28日、理研の会見場で異例な要素が次々と記者の前に現れた。関係者によると、会見案内には内容が記載されておらず、理研幹部に問い合わせると意味深長な答えが返ってきたという。よくわからないが期待値は高い状態で臨んだ会見で、記者はブランド服にヘアメイクばっちりの小保方氏と対面する。「Nature掲載」というお墨付きに加え、世界的研究者の笹井芳樹氏が研究成果を強調する。撮影を許された研究室では「ピンクの壁」「ムーミン」「割烹着」という過剰演出3点セットが目に飛び込んでくる。
この会見について、雑誌「広告批評」元編集者の河尻亨一さんは「PRと考えるとプロ級。制限された時間の中でそこに飛びついてしまった気持ちもわかる」指摘。懐かしいもの(割烹着、カメ、ムーミン)と先端的なもの(オシャレな研究室、ブランド服)、庶民性と上流性、身体性と知性など相反する要素の提示に「デート」「お風呂」といった色モノ要素も加わり、ストーリーを作りやすい多面的な座標軸が形成されていたと分析した(TBSメディア総研あやとりブログ2014年4月25日)。さらに、記者は解禁までの正味1日で新規性や社会的意義の検討、記事・図表の作成、関連取材などを行う必要があった。時間的制約も提示された要素に飛びつく要因の一つと考えられる。

■誰にでも起こりうる「注意の錯覚」
では会見に不自然な要素はなかったのか。ネット上では報道直後から細胞培養を行う研究室に報道陣を入れることの異様さ、「紅茶程度の弱酸性液に約25分」などとする説明の曖昧さなどが指摘されていた。「特定国立研究開発法人」選定直前という時期的絶妙さもあった。にもかかわらず万歳報道はしばらく続く。
1999年にハーバード大学で行われた「見えないゴリラ」の実験がこうした状況を説明してくれるように思う。この実験で研究者は白いシャツを着たチームと黒いシャツを着たチームがバスケットの試合をする短いビデオを作成し、実験参加者に白いシャツの選手がパスをする回数を数えさせた。ビデオ中9秒ほどゴリラの気ぐるみを着た女子学生が登場しカメラ前で胸を叩くが、参加者の約半数がゴリラに気づかなかった。実験を行ったチャブリスとシモンズは「体験の鮮明さが精神的な盲目状態を生み出した」と結論づけ、このような現象を「注意の錯覚」と呼んだ。「錯覚」のメカニズムは近年脳科学的にも解明されつつある。

つまり、日本再生のために再生医療分野の研究成果や女性の活躍を望む政治的期待があり、会見で強烈な情報や体験が投げかけられ、正味1日という時間制限の中で「世界的快挙」という絶賛や「リケジョ活躍」というストーリーが形成され、それに合わない事象が見落とされたと考えるのが妥当ではないだろうか。
人は自分の都合のよいようにものごとを見る傾向がある。それは脳の働きであり、記者も例外ではない。限界を知った上で報道する必要があるのではないか。STAP論文問題は、研究のあり方、研究費確保と政治的意図との関係、開かれた科学コミュニティーという伝統に対して特許で囲い込むビジネスとの相克など多くの構造的問題を投げかけた。報道の問題をきちんと検証した上で、さらなる議論が必要だと考える。(完)
中島みゆき(全国紙記者・東京大学大学院生)

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