大阪の都心部を流れる川は、カタカナの「ロの字」のようにつながっている。地元では「水の回廊」と呼ばれ、こうした地形は世界でも珍しいという。秋日和の10月、知人に誘われ、ぽんぽん船に乗って「水の回廊歴史探訪」に参加した。水面から見上げる光景は、陸上側からは気づかない大阪の魅力いっぱいだった。
水の回廊は東横堀川、道頓堀川、木津川、堂島川から成る。昼過ぎに中之島東端の八軒家浜(はちけんやはま)から、ぽんぽん船に乗り込む。乗客は40人余り。探訪は、若手講談師、旭堂南青さんの歴史講談付きだ。八軒家浜は江戸時代、熊野詣での陸の拠点だった。役目を終えた近代になり、ビル陰の空地となっていたが、観光船などの船着き場として整備され、「川の駅」としてレストランなどもある。
船は東横堀川を南下する。川面を流れる秋風が心地いい。今橋、高麗橋、久宝寺橋など由緒ある名前の橋下をくぐる。船の進行に合わせて、南青さんが声を張り上げた。「江戸時代、『浪華八百八橋』と言われたが、これは数が多いという例え。実際は200橋程度だった」「大阪の橋はほとんど『ばし』と呼ぶ。『はし』と読むのはぽんぽん船がくぐる約50の橋のうち二つだけ」――。
上大和橋付近を右折して道頓堀川へ。1615年(元和元年)、安井道頓が掘削した堀川で、岸辺には芝居小屋が並ぶ劇場街だった。川はひと頃、汚れ放題だったが、近年、親水性のある遊歩道が整備され、人気スポットになっている。沿岸から、ビルの窓から、手を振る人が絶えない。リニューアル(10月23日)間近のグリコの大看板をカメラに収める。
京セラドーム大阪を前方に見ながら、船は木津川を南へ。水面すれすれに架かる昭和橋近辺は、宮本輝の『泥の河』の舞台だ。ドーム付近では、にぎわいの場づくりの再開発が進んでいるように見受けられる。
東西に流れる堂島川の両岸には歴史的な建造物が並ぶ。堂島大橋はケタ下が低く、すわっていても頭がぶつかりそう。思わず、体をこごめる。玉江橋は江戸時代に架けられた橋。たもとに中津藩大坂蔵屋敷があった。福沢諭吉先生は1835年(天保5年)、ここで誕生した。跡地に先生の碑が建っている。大江橋と渡辺橋の間の堂島浜には米仲買の屋敷が軒を連ねていた。
渡辺橋の南詰めには、12年秋しゅん工したばかりの中之島フェスティバルタワー(高さ200㍍)がそびえる。朝日新聞大阪本社のほか、去年4月にオープンしたフェスティバルホール(2700席)も入居している。朝日新聞は明治期、この辺りで創刊した。近くに、国指定重要文化財の大阪府立図書館、大阪市中央公会堂などを見上げる。しばらくすると、ビルの間から大阪城がのぞめる。
ぽんぽん船の旅は約2時間。新鮮なひとときを満喫した。下船後、大阪版川床の「きたはま木下」でみんなで乾杯。
大阪市の川の面積率は10%あり、東京の5%などと比べて際立っている。こうした川面や水辺を活用して「水都大阪」を再生しようとの動きが活発だ。こうした地域の特性を活かしたにぎわいづくりこそ、地方創生の核心だろう。無理して、カジノなど誘致しなくとも、にぎわいは創出できる。詳しく知りたい向きには、「水と光のまちづくり推進会議」のホームページ「水都大阪」が参考になる。
七尾 隆太(朝日新聞社社友)