尊厳死法制化―高齢者終末期への理解を

はじめに
日本の高齢者人口がピーク(3500万人)になる2025年は、認知症高齢者が470万人を超え(人口の7人に1人)、ひとり暮らし老人が680万世帯(高齢者世帯の3分の1)に達する年でもある。そして、年間死亡者は160万人になると予想されている。しかし、病院や施設で看取ることができるのは120万人までで、政府が在宅での終末期看取りを推し進める所以でもある。


過去、厚労省の調査によると、人生最期の過ごし方については、できれば自宅で最期まで療養したいが、「介護してくれる家族に負担がかかる」、「もし症状が変わったときの対応に自宅では不安がある」ので、終末期には医療機関や施設を希望するという答えが多かった。一方、施設では職員の介護負担から、胃ろうのような経管栄養が当たり前となった。また、栄養補給しないということは餓死させることだという誤った思い込みのため、患者に無用な点滴を続け、水膨れの臨終になる。枯れるように死ぬのが生物の運命なのだが、家族も医療者もすべきことをしたと満足している。

1:尊厳死と安楽死を混同している
1981年に発表された「患者の権利に関するリスボン宣言」(世界医師会)には、「尊厳をもって死ぬことは患者の権利である」とある。この条文は95年、「患者は、人間的な終末期ケアを受ける権利を有し、またできる限り尊厳を保ち、かつ安楽に死を迎えるためのあらゆる可能な助力を与えられる権利を有する」と改められた。このころから欧米では、尊厳を保ち、かつ安楽に死を迎えるための医師の助力(自殺ほう助=安楽死)を合法化する運動が盛んになった。したがって、欧米では尊厳死という概念に安楽死が含まれる。

日本では1995年、東海大学事件判決(横浜地裁)で、安楽死の3類型(消極的、間接的及び積極的安楽死)が示された。消極的安楽死は、「患者が苦しむのを長引かせないために、延命治療を中止して死期を早めること」、間接的安楽死は、「苦痛の除去・緩和を主目的とする医学的適正性を持った治療行為であるが、同時に、生命の短縮が結果として生じること」。それに対し、積極的安楽死は、「苦痛から患者を解放するために意図的・積極的に死を招く医療的措置を講ずること」としている。日本では死なせるという積極性において大きな違いがあることから、前二者を尊厳死、後者を安楽死と呼んでいる。

(社)日本尊厳死協会は尊厳死を「自分が不治かつ末期の病態になった時、自分の意思により無意味な延命措置を中止し、人間としての尊厳を保ちながら死を迎えること」と定義している。したがって、尊厳死は自然死や満足死と同義で、積極的な方法で死期を早める安楽死とは根本的に異なる。(社)日本尊厳死協会は安楽死に反対である。

2:尊厳死協会創設者は優性思想家
木村義雄参議院議員が当協会の創設者である太田典礼氏の著作からの発言を引用し、法制化を推進している(社)日本尊厳死協会は優性思想を持つ団体であり、創設者は安楽死を奨励する論文を書いている。このような団体が推進する法律には賛成できないとしている。当協会のHPには創設者太田典礼を載せているものの、木村氏が引用しているような著作は掲載していない。木村氏は微妙な言い回しで、協会のHPに太田氏の発言が掲載されているかの誤解を与えている。

Wikipedia中の太田典礼氏に関するのページの文章は、「誹謗中傷」に似たような文ではあるが、太田氏の「安楽死のすすめ」や、福本博文氏の「リビング・ウイルと尊厳死」など、出典元がはっきりしているので、協会として訂正編集する意向はない。書かれていることは太田典礼氏個人の思想であって、協会の考えではない。協会は太田氏が創設した発足時から、積極的安楽死は認めてはいない。加えて、協会が名称を変更した時点で、太田氏の個人思想とは決別しており、現在の協会の思想は何ら批判を受けるいわれはない。

3:すべり坂論法(Slippery Slope Theory)
「立法化されると、次第に法の適用が拡大し、まず重度の障害を持った子どもが殺されることになり、その次には精神的障害を持った人々が殺されることになり、ついには役に立たない老人がその意志に反して殺されることになる。したがって、尊厳死は非人間的な社会へと向かうすべり坂の第一歩であるから、立法化されるべきではない。」という意見がある。これがすべり坂論法である。立法化により弱者は死に追い込まれる、という不安・危惧を持つことになり、かつて、安楽死を合法化した国では、すべり坂論法が話題となった。

アメリカオレゴン州では、94年に医師による自殺ほう助を認める法律が発効しました。「オレゴン尊厳死法」の可決によって、法制化反対派は、緩和ケアの質が低下し、終末期の医療や介護が有効に利用できなくなる、弱者といわれるグループに重大な影響を与える、すなわち、すべり坂論法だが、法律が終末期でもない患者にも広がり、積極的安楽死に繋がる、そして、致死量の薬物を要請するのが自己決定できない精神障害者かもしれないし、無節操な親族の圧力によって自己決定させられているのかもしれない、等を恐れた。

しかし、法施行以来13年間のデータが解析され、すべり坂論法に起因する事実は起きていないことが確認された。すなわち、オレゴン州で自殺介助を要請した患者は概ね白人であり、平均して財政的にも安定した人たちであり、更に高学歴の人たちである。最も合理的な結論は、法律の乱用の危険より、合法化による利点、例えば、最後のひと時を愛する人たちと共に過ごすことができた、死出の準備をすることができたなど、QODが勝るということだった。

オランダでは今も自殺ほう助は刑法違反である。その特例として、厳しい基準を設け、その要件を満たせば免責になるという安楽死法が2002年に発効した。法に基づき報告された死亡者は、2003年の1815人から2010年に3136人と73%増加したが、全死亡に占める割合は3%だった。オランダでは、それまでは医師と患者家族の「あうん」の呼吸で亡くなり、当局に報告されない死者もがかなりの割合で存在していた。これらの統計から、終末期医療における透明性が、法律によって担保されたとみるべきだろう。

4:ガイドラインではなぜダメか 
尊厳死法制化に際し、日本医師会は「ガイドラインでよい」と述べている。その主旨は、ガイドライン(GL)が発出された2007年以降、司法で裁かれることとなった終末期医療の問題は生じていない、したがって、今は法制度よりも、GLの普及を進めるべきというものだ。また、協会は自身で発行しているリビングウィル(LW)を全国規模で拡大するよう努力すべき、という意見を述べている。 

司法で取り上げられる前のマスコミ報道が、医師の診療行為を委縮させることは事実である。実態として不起訴となっても、それまでに2年半から3年かかる。射水病院事件はそれ以上だ。その間は現場で診療することが憚られる。結果が出るまではほかの医師たちも自粛することになるのが、いちばんの問題である。 

日本医師会版GL(08年2月)の末尾には、「終末期の患者が延命措置を拒否した場合、または患者の意思が確認できない状況下で患者の家族等が延命措置を拒否した場合には、このガイドラインが示した手続きに則って延命措置を取りやめた行為について、民事上及び刑事上の責任が問われない体制を整える必要がある」と記載されている。その法的な担保が今回の法案と考える。 

厚生労働省の終末期医療の決定プロセスに関するGLは07年5月に発表された。厚労省GLは終末期医療及びケアの在り方として、医療従事者からの適切な情報提供と患者本人の意思決定が重要であり、医療行為の開始・中止等に関しては医療・ケアチームによる慎重な判断が求められるとしている。しかし、実体的に何をすれば法的責任(特に刑事責任)を問われ、何をしても法的責任を問われないかがわからない限り、現場は混乱するだけである。 

昨年の厚労省調査で、GLを参考にしている医師は19.7%、看護師は16.7%、施設介護職員は22.7%であった。一方、医師全体の3分の1、看護師4割、介護施設職員半分以上がGLを知らないと答えている。自分の最期は、自分で決めるというリビング・ウイルの精神が生かされるためには、これらの意思を法律で認めてもらわねばならない。GLに法的担保を与える法制定が今こそ必要である。

おわりに 
いまだ、「安楽死」と「尊厳死」の違いを明確に理解していない議員が存在するのは残念である。(社)日本尊厳死協会は西欧のような安楽死法を求めているのではない。医師の積極的な医療行為により、患者を死に至らしめる法律を求めているわけでは断じてない。我々は終末期の医療に関する自己決定の法的担保を求めており、結果として医師の免責が成立するものだ。

協会は、尊厳死の法的根拠を「基本的人権の一つ」としている。人が人としてもっている権利であり、憲法もそれを保障している。人は全て尊厳なる存在である。今日、人間性を無視して進んできたともいえる終末期の医療に対し、人間的な死に方を求める人たちの人権運動と協会は考えている。協会は、「死ぬ権利」を訴えているのではなく、「人生の最終段階の医療を選ぶ自由という権利」を訴えている。命を延ばすのも、命を諦めるのも同じレベルでの「選択の自由」として尊重されるべきだ。障害者団体が、延命によりどこまでも生きる権利を望むならば、当然、それは権利として認めるべきである。(完) 
 (社)日本尊厳死協会理事長 岩尾總一郎

Authors

*

Top