映画 セプテンバー5    ~オリンピックテロ生中継の一日~

 1972年8月26日から9月11日まで、まだ東西統一前の西ドイツ・ミュンヘンで開催されたオリンピック大会。大会終了まで6日となった9月5日午前4時半頃、前日のTV中継を終えて、宿舎へ引き揚げようとしたアメリカABC放送のスタッフが中継本部に、かすかに響く銃声に気づいた。
 まもなく、中継本部からほぼ100メートル先のオリンピック選手村を巡回していた警備員がイスラエル選手団宿舎の近くで死体を発見した。イスラエル選手団レスリングコーチのモシェ・ワインバーグ氏だった。
 パレスチナ武装組織「黒い九月」がイスラエル選手団宿舎に侵入、選手らを人質にとってイスラエルに収監されている仲間達の解放を要求しているとドイツの公共放送が伝えた。
 映画 セプテンバー5は、この時から深夜10時半頃、ドイツ空軍基地でドイツ警察が人質救出に失敗、銃撃戦で人質全員が死亡するまで、アメリカABCが行ったTV生中継を描く。
 当時ミュンヘンにいたのは、実は、スポーツ中継専門のチーム。事件中継はほぼ無経験だった。ニューヨークの本部からは「報道チームに任せろ」とのアドバイスが届くが、それをはねのけて、スポーツ担当チームによるパレスチナ武装組織テロ事件生中継の一日がまった。
 だが、多くの難題が待ち受けていた。先ず、テロリストたちは占拠した部屋のTV中継画面を入念にチェックしている事がわかった。宿舎のイスラエル選手団室を映す中継画面からその様子が窺えた。ドイツ政府・警察などの動き、そして人質の姓名などをTVは伝えていた。
 映画では、ドイツ警察の一団が中継本部に入り、中継中止を求めるが、説得されて引き上げるシーンがある。
 中継のリーダーらは「アメリカの宇宙飛行士の月面着陸の映像よりこちらの視聴率の方が高い」と中継を続けるTV局の本心も隠さない。
 そして、事件も終わりに近いこの日の夜10時半頃、最大の難問が中継チームに降りかかった。この頃、西ドイツの空軍基地に選手村から人質と共にヘリコプター2機に分乗したパレスチナゲリラが到着する。ゲリラは待機させた旅客機でエジプトに脱出する計画と伝られた。
 人質はどうなるのか?突如、ドイツ公共放送が「人質は全員無事に解放された」と放送、ABCのミュンヘンTV中継本部は騒然となる。「このニュースをすぐに放送を」という大勢のなか、リーダーの一人が「ドイツ公共放送以外には確認されていない。未確認のニュースの後追いはすべきではない」と強く主張して対立、結局「解放されたという噂がある」として放送に踏み切った。そして、ドイツ警察が救出に失敗、人質全員死亡が確認されると中継本部は重苦しい空気に包まれ、アメリカABC放送が実施した異例のテロ事件生中継の一日が終わった。
 同じ年、1972年2月、日本では浅間山荘連合赤軍事件が発生、TVが長時間の生中継を実施、やはり、セプテンバー5 と同じ難題に直面している。そして、二つのTV生中継が指摘した課題は今日も変わらない。
 更に、極めて直近の問題としてSNSと事件の問題がある事を指摘しておきたい。SNSを通じて根拠のない情報が溢れるとすれば、テロリストたちの思う壺かもしれない。
 さて、セプテンバー5 では、ほぼ50年前のTV放送室(TV副調整室)が登場する。ドラマはほぼこの暗い部屋での一日である。50年前のアナログ電話、無線機、TV操縦盤などを映画制作スタッフが博物館などから借り出したという。タイムスリップも楽しめる。
陸井 叡 叡Office 

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