大統領弾劾訴追で大揺れの韓国
~何が今、問われているのだろうか~

1)韓国で今起きていること

 韓国は今、混乱の最中にある。12月3日夜、ユン・ソンニョル大統領が突然宣言した「非常戒厳」がきっかけだった。非常戒厳はすぐに解除されたものの、大統領の弾劾訴追案が可決された。その妥当性を審理する憲法裁判所の判断が注目されよう。韓国は先行きの見にくい、波乱含みの2025年となる。
 韓国の非常戒厳は、1987年の民主化宣言以降、45年ぶりのものとなった。ユン大統領とその一部側近による決断は、与党関係者や韓国軍幹部にも知らされず、同盟国・アメリカも「寝耳に水」だったという。この突然の非常事態宣言に、「共に民主党」をはじめとする野党側は、正当な手続きを欠いた戒厳は憲法に違反する「内乱行為」だとして、大統領の弾劾訴追案を提出した。訴追案は14日、一部与党議員も賛成して可決され、ユン大統領は職務を停止されている。弾劾訴追について、ユン大統領は、「私に対する叱責、激励と声援を心に刻み、最後の瞬間まで国家のため最善を尽くす」などと訴え、その妥当性を争う姿勢を示している。
 韓国大統領の弾劾訴追案が可決されたのは、2004年のノ・ムヒョン氏、2016年のパク・クネ氏に次いで3例目だ。このうち、パク氏は憲法裁判所の判断によって罷免されている。ユン大統領の訴追案をめぐる判断は、2025年3月頃までに示される見通しで、結果が注目される。今回の非常戒厳をめぐっては、キム・ヨンヒョン前国防部長官が内乱容疑などですでに逮捕されている。韓国の国政はほぼマヒ状態で、外交も停滞したままだ。国政・外交ともに混迷が続くことになろう。
 
2)韓国の国民とメディアの反応

 一般に、非常戒厳は戦争やテロ、それに大災害などの国家非常事態に宣言される。また、軍が行政や司法を掌握し、言論や集会の自由などの基本的人権を制限する。民主主義とは両立しない。韓国では軍事政権下、非常戒厳が繰り返されてきた。1987年、民主化を求める運動が高まり、大統領の直接選挙制を柱とする「民主化宣言」が発表されている。今回の非常事態は、300人ほどの韓国軍の兵士が国会などに出動する小規模なもので、わずか6時間後には解除される結果となった。とはいえ、21世紀のこの時代、すでに先進国に発展した韓国の国情からして、到底理解できるものではない。また、韓国の歴史や国民感情からしても認められるものではない。
 韓国メディアは批判的な社説を次々に掲載している。いずれも、民主主義を擁護する立場から、ユン大統領を厳しく批判し続けている。
 なかでも革新系ハンギョレ新聞は、「理性を失った非常戒厳、国民に対する反逆だ」、「『戒厳令宣布・国会乱入』関係者全員を内乱罪で捜査せよ」と題する社説で、非常戒厳は「きわめて非常識な行動」だとして、責任を厳しく追及する姿勢を示している。また、保守系の朝鮮日報は、「ユン大統領、『非常戒厳』の全貌明らかにし収拾策を提示せよ」と題し、「何のために非常戒厳を宣言した・・・のか、国民が納得できる説明はなかった。無責任極まりない」などと断じている。中央日報は、「ユン大統領、違憲的戒厳の政治的・法的責任を取るべき」と題して批判する。東亜日報は、「戒厳解除の国会採決の時間を稼いだ市民たち」と題し、国会に駆けつけた数千人の市民が国会に押し寄せた兵士や警察を阻止したと伝えている。国会が解除要求決議を採決するための時間を作ったと指摘し、市民に寄り添う立場を鮮明にしている。
 その後、ユン大統領の弾劾訴追案が可決され、野党の攻勢がさらに強まって事態が進展すると、各社の社説・コラムは多角的な観点から論じるものに転じている。「共に民主党の国会暴走(朝鮮日報)」、「非常事態で政治的有利・不利ばかり計算する韓国与野党(中央日報)」、「立ち止まった韓国…『外交正常化』一刻を争う」などの表現に、韓国の国政の混乱ぶりが見て取れる。

3)ユン大統領が意図したこと

 今回の韓国の非常事態宣言は、戦争やテロなどの非常事態が差し迫ったわけでもないのに発せられている。韓国の国内外の情勢に照らして、理解することができない。また、ユン大統領は検事総長を経験した法律の専門家だ。非常事態の法的手続きを理解していたはずなのに、時代錯誤ともいえる宣言をなぜ行ったのだろうか。その背景と意図が気に掛かる。
 3日夜にユン大統領が行った宣言では、非常戒厳の理由として、来年の予算案を認めない野党側の対応などに触れ、「国政はまひ状態にある。憲政の秩序を守るためだ」と訴えている。また、12日の国民向け談話では、「巨大野党は国民が選んだ大統領を認めず…178回に及ぶ大統領退陣、弾劾集会が開かれ…国政運営を麻痺させるため、数十人の政府公職者の弾劾を推進」したと指摘している。そして、非常戒厳は、「国民に野党の反国家的悪行を知らせ、これをやめるよう警告するもの」と強調している。
ユン大統領が非常戒厳に踏み切った背景には、いくつかの事情が考えられる。まず、4月の総選挙で与党が大敗して少数与党となり、政権運営が極めて難しくなったこと、大統領とその周辺でさまざまな疑惑が取り沙汰され、追及する動きが目立ち始めたこと、そして支持率や与党内の求心力も低下したことなどが挙げられよう。ユン大統領としては、八方ふさがりの厳しい政局を何とか打開しようと、非常戒厳に打って出たとみるのが一般的だ。
 一方、ユン大統領が積極的に取り組んだのは、司法審査の対象とならない統治行為としての外交であった。ユン大統領が目指したのは、国際社会における韓国の存在を高めることにあった。ユン大統領は「自由・平和・繁栄に寄与するグローバル中枢国家」というビジョンを掲げ、米韓同盟の強化や日韓関係の改善に力を尽くしてきた。その基本方針は、国際社会共通の価値観、正義や民主主義、そして法の支配を尊重する「価値観外交」にある。日韓、日米韓、G7、G20などとの連携を深めてきた、ユン外交の基本的立場を見逃すわけにはいかない。国際社会を舞台に、韓国が今後も先進国としての役割を果たしていけるかどうかは、ユン大統領が掲げた価値観外交が継続できるかにかかっていると言ってよい。

4)韓国が問われるべきこと

 世界は今、激動期にある。北朝鮮はロシアと新たな軍事協定を結び、1万人規模の兵士をウクライナの戦地に派遣した。ウクライナ情勢は一層不透明となっている。また、ロシアの技術供与により、北朝鮮の軍事力はさらに進化しよう。南シナ海や台湾海峡への中国の海洋進出も目立つ。さらに、アメリカ第一主義を掲げるトランプ氏が大統領に再度就任すれば、多国間の協力や連帯が損なわれる懸念が広がりつつある。北東アジアも世界全体も、分断と混迷が一層深まっていると言ってよい。
こうした国際情勢に照らせば、韓国の大統領弾劾訴追は、単に民主主義や韓国の国民感情から捉えるだけでは不十分と言わざるを得ない。揺れ動く国際情勢の観点からは、世界共通の価値観を一層徹底する必要があることを認識する必要がある。ユン大統領であれ、外の誰であれ、韓国は、自由・平和・繁栄に寄与する価値観を維持し続けることができるかどうかが厳しく問われていることに留意すべきである。
 12月下旬、韓国の知人からメールを受信した。韓国では今、「次の大統領に誰が選出されるかが一番の心配事」だという。また、「来年こそは、平和で正常な政治環境に恵まれることを祈りつつ・・・」と結んでいる。その文面は、弾劾による大統領選挙が行われる場合、価値観外交を受け継ぐ大統領が選出されるのかという知人の懸念と、私は受け止めている。

羽太 宣博(元NHK記者)

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