エッセー「福沢諭吉記念慶應義塾史展示館を巡った」

 慶応義塾大学三田キャンパスにある国の重要文化財、旧図書館の改修工事が終わり、今年の7月、「福澤諭吉記念慶応義塾史展示館」が2階にオープンしました。慶応義塾大学旧新聞研究所、現メディア・コミュニケーション研究所の修了生で作る綱町三田会が見学会を開いたので参加しました。

 8月24日午前11時前、綱町三田会の会員と家族あわせて14名が赤レンガの瀟洒な旧図書館前に集合しました。コロナ禍と夏休みでキャンパスは閑散としていました。エントランスで都倉武之副館長から展示内容の説明を受けたあと2階にある常設展示室と企画展示室を約1時間かけて観て回りました。

 塾史展示館は、福澤諭吉の生涯と慶應義塾の歴史を数多くの貴重な「実物」と当時の「言葉」でたどる展示施設です。大学の展示施設と言えば、大部分が大学のPRの場ということが少なくないのですが、ここでは歴史好きに面白がってもらう内容に徹しています。つまり単に慶應義塾という一つの私立学校の歴史を回顧する空間にとどまらず、慶應義塾の歩みと創立者である福澤諭吉の生涯を通して、日本そして世界の近代の歩みを見つめ直し、未来を考える場となっているのです。

 常時150点以上の資料を展示している常設展示室のほか期間限定の特別展を行うための企画展示室や1階にカフェも併設されています。

入館券

 常設展示では、アメリカの写真館で撮影された若き日の福澤諭吉の写真や著作物、学徒出陣で出征した学生の遺稿などがあります。そうした資料の中で最初に私の目を引いたのが図書館の「入館券」でした。

 説明書きに「本図書館は、開館以来広く一般に公開された。治安維持法違反で東京商科大を追われ、戦時中にここを利用した経済学者の大塚金之助は『慶応大学の図書館は、当時、日本におけるたった一つの公開大学図書館であって役所風のくさみがなく、気持ちが良かった』(解放思想史の人々)と回想している」とありました。

 思い起こせば受験生時代、勉強机の前の壁に受験雑誌から切り取った慶應義塾の旧図書館の写真を貼っていました。この写真を見るたびに慶應義塾大学に合格しこの図書館で本を読んでいる自分の姿を想像して受験勉強の励みにしていました。政治学科を1973年に卒業したのですが、学園紛争で卒業式がなくなってしまい卒業証書だけ受け取り図書館をバックに記念撮影した記憶があります。本当に思い出深い図書館です。

社中Who’sWho

 展示物の中には都倉副館長お薦めの「社中Who’sWho(しゃちゅう フーズフー)というデジタルコンテンツもありました。これは、諭吉の親類や友人および現代までの塾員を中心とした慶應義塾関係者(物故者)を紹介するデータベースです。タッチパネル型スクリーンの上に漂う肖像アイコンに触れると詳細画面が開き、その人物を紹介する仕組みになっています。何度もタッチして慶応義塾の人脈の広がりを体感できました。

三田キャンパスの模型

 今から100年ほど前の大正12(1923)年頃の三田キャンパスを再現した模型も見応えがありました。三田山上と、現在生協などがある西側低地にあった幼稚舎、現・中等部の位置にあった普通部を含めた範囲が285分の1のスケールでリアルに再現されています。ほとんどの建物が木造だったことから、大正12年以降、関東大震災や空襲などで変貌を重ね、模型での再現には多くの困難が伴ったそうです。当時と同じ位置で現存する建物は、旧図書館だけということで、改めて旧図書館が慶応のシンボルということを実感しました。

安田靫彦画伯の日本画とウエーランド経済書

 常設展示室を出てすぐ隣にある企画展示室では、開館を記念して「慶応四年五月十五日―福澤諭吉、ウエーランド経済書講述の日」が開催中でした。戊辰戦争のさなかの慶応4(1868)年5月15日、上野で官軍と彰義隊の戦闘があり、砲声が江戸市中に響きわたる中、福澤諭吉は動ずることなくいつものようにウェーランド著の経済書を講述し、学問研究の一日もゆるがせにできないことを塾生に示しました。この故事に因み、当時芝新銭座にあった慶應義塾で諭吉が講義を続けている姿を描いた安田靫彦画伯の日本画と、諭吉がアメリカから持ち帰ったウエーランド経済書が出品されていました。

 会場で安田画伯の日本画を見ていて大学時代のある出来事を思い出しました。ドイツ語の授業中、作家の三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地で割腹自殺(昭和45年11月25日)したことをクラスメートがラジオのニュース速報で聴き「三島が死んだ」と騒ぎ立てたのです。クラス全体が騒然とするなか、教授は顔色一つ変えず淡々と授業を続けました。安田靫彦の絵の中の諭吉とこの時の教授が重なって見えました。

 塾史展示館は入場料無料で誰でも入れます。開館時間は午前10時から18時まで(日・祝は休館)、企画展については9月11日まで開かれています。

山形良樹(元NHK記者)

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