日本国内の新型コロナワクチン開発遅れと今後の課題

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の脅威が、2021年も社会を揺るがしている。我が国では、昨年末から感染者数が急増し、政府は11都府県に緊急事態宣言を発令している。このような状況下で、医療体制の崩壊を防ぎ、経済活動を一日も早く正常化させるために、新型コロナウイルスワクチンへの期待が高まっている。

 既に世界各国ではワクチン接種が始まっており、各国政府との供給契約は英アストラゼネカと米ファイザーが先行し、シェアは合計で40%を超えているという。日本国内でも2月下旬以降、医療従事者などから接種が始まる見込みだ。ただし、2021年中に日本で利用できるようになるワクチンは全て、外資系企業由来のものになりそうだ。

 米国モデルナ社やファイザー社、英国アストラゼネカ社の新型コロナワクチンは驚異的な開発スピードで各国当局の承認まで進んだ。通常、ワクチンの開発には数年を要し、臨床候補にまでこぎつけても「10分の1」しか承認されないとされている。

 新型コロナウイルスは、中国・武漢で一昨年12月上旬に発生し、流行が世界に広がったのは翌年に入ってから。英米のワクチンはわずか10カ月ほどで第III相試験の結果公表にまで至り、承認を受けるに至った。

 このスピード感は、巨大製薬会社を擁する富裕な国々自身が、新型コロナウイルスの脅威にさらされた結果であると言える。皮肉なことではあるが、米国だけで1000万人超、欧州で2900万人超という製薬企業お膝元での大流行が、第III相試験を実現させた。第III相試験は非常に大がかりであり、万単位の人々に本物のワクチンと偽薬を無作為に接種し、数カ月間追跡して発症率の差を検証しなければならない。

 また、ワクチン開発は時間との戦いでもある。先行するワクチンの接種率が高まり感染者数が減少し感染が収束に向かえば、臨床試験に協力するボランティアを集めにくくなるために臨床試験の遂行が難しくなる。一度でも臨床試験に協力して実薬(偽薬ではない新型コロナワクチン)の接種を受けた人は、同じ感染症のワクチンの試験に参加することができない。接種されたワクチンで得た免疫は、その後も長く持続するためである。

 さらにワクチン開発への参入が遅れるほど、臨床試験のコストも割高になる。なぜなら、ワクチン接種が順調に進み感染者が減少し始めれば、ワクチンの行き届いていない感染国で試験を実施せざるを得なくなり、臨床試験のためのインフラが整っていない国で、一から試験体制を整えなければならない。

 米国でのワクチン開発が驚くようなスピードで進んだ理由に、「軍と民間企業が積み上げてきた成果」であるという指摘がある。米国モデルナ社は、核酸塩基の修飾技術をもとに2010年に創設され、2014年からワクチン開発に参入しており、世界で新型コロナウイルス感染が発生し始めると、昨年3月には既に臨床試験を開始していた。トランプ政権における保健福祉省からの補助金や、政府とのワクチン買い取りの契約額は膨大であるが、2013年から国防省よりmRNAワクチン等の開発補助を受けていたという。

 抗原タンパク質の遺伝子情報をもったmRNAやDNAが注射されると、その情報をもとに細胞内で抗原タンパクが合成され免疫反応が誘導される仕組みである(DNA→mRNA→タンパク質)。製造工程での感染リスクが低く、遺伝子情報さえ得られれば一か月前後で開発でき、量産も容易である。そのため、軍の派兵地で感染症が発生すれば、直ぐに抗原タンパク質を突き止めて、対応するmRNAワクチンを開発し兵に接種できる。

 米軍は、ワクチン確保のための補助金をバイオベンチャーに投資し、平時から様々な様式かつ様々な病原体に対するワクチンを準備している。そして、今回のような新型コロナウイルスパンデミックが起きれば、いち早くウイルスの抗原タンパクに相当する遺伝情報を得て、最短で大量生産し臨床へ投入できるというわけだ。すなわち、今回の驚異的なスピードでのワクチン供給は、国家の安全保障への投資の差といえる。

 日本ではバイオベンチャーのアンジェスが、DNAワクチンを開発中で、今後カナダで第III相試験が行われる予定である。また、田辺三菱製薬がカナダの子会社で新型コロナウイルスワクチン(ウイルス類似粒子)の開発を進めており、昨年12月に北米で第III相試験が開始されている。しかし、接種が始まっているワクチンに比べれば、圧倒的に出遅れていると言わざるを得ない。また、日本のみで第III相試験を実施しワクチンの有効性を示すには膨大な被験者が必要になるため、我が国のように感染率が低く抑えられている状況では、ワクチン開発にあたってはグローバルで臨床試験を実施せざるを得ない状況だ。

 新規医薬品の探索と製品化には長期間を要し、その成功確率が低いことは認知されつつあり、そのために投資の回収という点でビジネスリスクが高い。特にCOVID-19のような流行性新興感染症の場合には、上記のような研究開発リスクは高く、将来の市場性も不透明なため、治療薬やワクチンの探索研究・製品化の加速のために公的な経済支援が重要である。新興感染症対策として、上記で米国の例を挙げたように、開発と製品化に向けた資金支援と承認された際の価格や政府による買い取り条件をあらかじめ保障する仕組みが必要だ。このような仕組みが、平時より確保されていることによって将来の新興感染症パンデミックへの備えになる。これらを確実に達成するためには、産学官の連携と感染症対策の司令塔となる専門機関の設置が必要になるだろう。

 国内の治療薬やワクチン開発や承認に携わる専門家の間においても、迅速な研究開発や承認・普及のための体制作り、実態把握のために感染者の経過を大規模に追跡する仕組みが不足していることが指摘されている。今回の新型コロナウイルスへの対応を振り返り、将来に備えることができるか、政府の対応に注目したい。

橋爪良信(理化学研究所マネージャー)

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