マスクの本質を理解すれば同調圧力も自粛警察もなくなるはず

■世界で初めてウイルスの人工合成に成功したウイルス学者

東京大学医科学研究所などのグループが新型コロナウイルスを使ってマスクの効果を確かめる実験を行い、10月21日(米国東部時間)にその結果を米科学雑誌「mSphere(スフィア)」(電子版)に掲載した。本物のウイルスを使った実験は環境を整えるのが難しく、実験の期間は数カ月間に及んだ。結果が出せたのは世界初という。

グループの代表は、東大医科研の感染・免疫部門ウイルス感染分野の河岡義裕教授(65)。河岡氏は世界で初めてインフルエンザウイルスの人工合成に成功したウイルス学者だ。2006年にはノーベル医学・生理学賞と同様、国際的権威の高いロベルト・コッホ賞を受賞している。

 感染症の取材や勉強を始めた20数年前、河岡氏と知り合った。私の書いた産経新聞の記事に河岡氏からクレームが届き、東京・白金台の東大医科研の河岡ラボを訪ねたのがきっかけだった。河岡氏はすでにウイルスの生物兵器転用をめぐってCIA(米中央情報局)にマークされるほどの世界的な研究者だった。ウイルスに関して右も左も分からない新聞記者の私には雲の上の存在だった。

 新型コロナウイルス感染症が問題になって以来、NHKの特集番組などによく出演しているが、いまのさっぱりした顔と違ってあのころは口やあごに薄く髭を生やしていた。

患者・感染者が着けると、ウイルス暴露が70%以上も減る

 実験はウイルスが外部に漏れない陰圧の実験室(P3、BSL3)で行われた=写真(河岡義裕教授提供)。マネキンの頭部を2つ向かい合わせて置き、片方は患者・感染者に見立て咳とともにコロナウイスを含んだ飛沫(しぶき)を口から吐き出させる。もう片方には人工呼吸器を装着して呼吸させ、呼吸経路にゼラチン膜を張ってウイルスの付着量を測る。

 マスクは医療用のN95マスク、不織布のサージカルマスク、布マスクの3種類を用意した。2つのマネキンを50センチ離してそれぞれ3種類のマスクを脱着させ、ウイルスの吸い込み量を比較した。

 飛沫を出すマネキンにだけマスクを着けた場合、対面のマネキンが吸い込んだウイルスの量は、(2つのマネキンともマスクを装着しないときに比較して)布マスクとサージカルマスクともに最大で70%以上も減り、マスクが対面する相手に対してウイルスの暴露量をかなり減らす効果の高いことが分かった。

逆に吸い込むマネキンにだけマスクを着けた場合は、吸い込んだウイルスの量は布マスクでは17%減り、サージカルマスクでは47%減った。N95は隙間なく顔に密着した場合は、79%減っていた。

2つのマネキンがマスクを着けた場合も効果はあったが、ウイルスの吸い込みは完璧には防げなかった。

河岡教授は「これまで本物のコロナウイルスを使ってマスクの効果が検証されたことはない。今回の実験でマスクをきちんと着用することが重要だと確認できた。しかし、マスクによって完璧にウイルスを防げるわけではなく、マスクの過信は控えてほしい」と話している。

正しく着用しないと効果は限られ、感染を防ぎ切るのは難しい

 マスクの効能については、今年3月に扶桑社から出版した拙著『新型コロナウイルス―正しく怖がるにはどうすればいいのか―』でも触れたが、マスクは扱いが難しい。

新型コロナウイルスは患者・感染者の飛沫(咳やくしゃみで飛び散るしぶき)によって人から人へと伝播していく。極小のウイルスは咳やくしゃみでマスクの網目から飛び出すものの、ウイルスを含む飛沫の大半はマスク内に封じ込められる。マスクは飛沫をある程度、防ぐことができる。

ただし、効果があるのは正しく着用した場合に限られる。たとえば飛沫がマスクの内側に溜まっているのにもかかわらず、マスクを外すときにその内側を手で触れば、手に多くのウイルスが付着する。内側に触れなくとも、マスクの外側にも網目をかいくぐったウイルスが多く付着しているから外側に触れても同じことになる。

マスクに触れた手でドアノブを触り、電車の吊革をつかむとどうなるか。ドアノブや吊革にウイルスが付着してウイルスが他人の手に付き、その人が何気なく鼻や口、目を手で擦ると、ウイルスに感染する。接触感染である。人は1日何度も無意識に顔に手をやる。新型コロナウイルスは鼻や口、目の粘膜の細胞から侵入してくる。マスクは口と鼻をきちんと覆う必要がある。口だけ覆って鼻を出したままという人もよく見かけるが、これでは効果はない。目はマスクでガードできない。ゴーグルが必要になる。

患者・感染者の飛沫を浴びれば、頭髪や衣服に病原体が付着する。髪の毛や服を手で触れば、同じように接触感染する。

マスクを小まめに洗って消毒を重ねる人もいるだろうが、一度使ったマスクは捨てて新しいものを着用すべきである。1日何枚ものマスクが必要なる。マスクで感染を防ぎ切るのは難しい。それゆえ私はマスクよりも、手軽で簡単な手洗いを勧めている。

危機意識のバロメーターであり、自粛警察や同調圧力の象徴でもある

人には自己防衛本能があり、感染したくないから自らマスクを着用し、他人にも着用を求めるのだろうと、私は考えている。新型コロナの特徴のひとつに無症状の不顕性感染者の数の多さがある。だれが感染しているか分からないし、だれからうつされるかも分からない。その結果、自己防衛本能が強く働く。

9月号のメッセージ@penにも書いたが、2008年5月26日付の産経新聞のコラムで「日本の社会は新型インフルエンザの発生に鈍感で、朝の満員電車の中でマスクも着けずに平気で咳やくしゃみをする人が多い。皆が危機意識を持ち、その表れとしてマスクを着用する人が増えたらしめたものである」と主張したことがあった。

あのころ、毒性の強い新型インフルエンザの出現が指摘され、「世界で7400万人、日本国内で17万~64万人が感染死する」とWHO(世界保健機関)や厚生労働省が警告していた。それにもかかわらず、マスク姿の人などほとんどいなかった。

いまはマスクを着けていないと、外も歩けないし、買い物もできない。何度、忘れたマスクを取りに自宅に戻ったことだろう。どこを見てもマスク、マスクである。マスクは危機意識のバロメーター(指標)であり、自粛警察や同調圧力の象徴でもある。

河岡氏のマスク実験からも分かるようにマスクには効果がある半面、限界もある。マスクによって新型コロナウイルスを完璧に防ぐことはできない。マスクのそんな本質を理解しようとしないでマスクを使い続けるのはいかがなものか。               

木村良一(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員)

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