「新型コロナウイルス」 なぜ、世界はパニックに陥っているのか

■屋形船の集団感染から判明した弱点とは

 「『新型コロナウイルス』-正しく怖がるにはどうすればいいのか-」(扶桑社)=写真=を3月26日に緊急出版した。感染症の問題を取材してきた私の拙い経験から新型コロナウイルスとの付き合い方をまとめたものだが、そんな本を書き上げても釈然としないことがある。
それは「なぜ、世界中の人々が感染力も病原性(毒性)も弱いウイルスに翻弄され、パニックに陥ってしまうのか」という疑問だ。今後しばらくはこの疑問に対する答えを求めて取材を続けることになるだろう。
 屋形船での感染から判明した新型コロナウイルスの弱点から考えてみよう。2月13日、70歳代のタクシー運転手の男性の感染が確認され、東京都が感染ルートを突き止める疫学調査を進めたところ、屋形船で開かれた新年会で集団感染が起きた疑いが出てきた。新年会は1月18日夜、屋形船を貸し切って約80人が参加して開催された。雨が降っていたため、2時間の宴会中、屋形船の窓は閉められていた。
 都によると、感染の有無を調べるPCR検査の結果、屋形船の従業員2人の感染が確認された。この屋形船では、新年会が開催される前の1月15日、感染が最初に広がった中国の武漢市から来日した中国人観光客を接客していた。結局、新年会の参加者と従業員のうち計11人が感染していたことが分かった。
ちなみに2月13日に死亡して国内初の死者となった神奈川県の80歳代の女性は、屋形船の新年会に出席していたタクシー運転手の義母だった。タクシー運転手の妻も新年会に出席し、その後この母親と接触していたが、検査結果は陰性だった。80歳代の女性がどこで感染したのかはよく分かっていない。

■「3つの密」の重なりを避けることが感染予防になる

 私も東京・浅草の屋形船で宴会を楽しんだことがある。あの狭い閉鎖空間に詰め込まれ、そこに1人でも感染者が存在したら当然、飛沫感染や接触感染は起こる。会話でウイルスを含んだ飛沫の唾液は飛び散る。お酒に酔っていれば会話が弾み、飛沫はますます飛ぶ。テーブルにも付着するし、直接、目鼻や口にも飛び込んでくる。酔いで基礎免疫も弱まっているから感染は成立しやすい。
 屋形船での宴会は新型コロナウイルスが好む「密接・密閉・密集」の3条件がそろった絶好の場所だった。同様に計712人が感染してうち11人が死亡した大型クルーズ船もそんな場所だった。逆に言えば、新型コロナウイルスの弱点はそこにあり、3つの密が重なる事態を避けることが感染予防になる。ウイルスの弱点を知っていれば、何も怖がることはない。
 政府は2月25日に対策の基本方針を決め、「クラスター」と呼ばれる屋形船で起きたような小規模な感染集団をいち早く見つけ出し、爆発的な感染拡大を食い止めるよう関係省庁に指示を出した。クラスターが別のクラスターを生む連鎖を断ち切り、感染の拡大を防ぐ作戦である。実際、スポーツジムやライブハウス、医療機関、高齢者施設でクラスター感染が発生し、厚生労働省は専門家の対策班を派遣して防疫に務めている。
 こうした対策が効果を上げている。たとえば外務省が各国の政府発表に基づいて集計した「人口1万人当たりの感染者数」(3月30日付)を見ると、感染が拡大している人口10万人以上の国・地域のなかで日本は「0.15人」と一番低い。ちなみにルクセンブルクが31.97人と最高で、これにアイスランドの28.33人、スペインの16.75人、スイスの16.61人、イタリアの16.18人が続く。新興宗教の集会から感染が拡大した韓国は、1.86人とすでに少なくなっている。中国も0.59人と少ないものの、無症状の不顕性感染者はカウントされていない。

■首相と都知事は「キラー感染症の襲来」とでも考えているのか

 反対に国民を不安にさせ、混乱させる政府の対策も多い。季節性のインフルエンザに比べて、病原性と感染力が弱いにもかかわらず、まるでキラー感染症のエボラ出血熱が空気感染して襲ってきたかのような対応をしている節がある。
 たとえば政府は2月1日、患者を強制的に入院させるために新型コロナウイルス感染症を感染症法上の「指定感染症」とする政令を施行したが、専門家会議を開かずに首相官邸がトップダウンで決めていた。25日の基本方針では大勢の人が集まるイベントの自粛を要請した。27日には全国の小中学校と高校に対し、臨時休校を求めた。いずれも唐突だった。しかも安倍晋三首相は、政府の感染防止対策をアピールしようと、週末の度に官邸内で記者会見し、その様子をテレビがライブ中継している。
 極め付きは、3月13日に改正特別措置法を成立させたことである。この法律によって首相が緊急事態を宣言することができるようになった。しかし宣言が出されると、①外出自粛の要請②医療品の収用③個人の土地や建物への医療施設の開設―などが可能となる。どれも強制的で、私権の制限につながる。特別措置法は抜いてはならない伝家の宝刀なのである。
 こうした強硬な対策は、「アベ1強」という数に頼る政治姿勢から生まれてくる。もちろん感染症対策の基本は人の移動の制限にある。しかしこれが行き過ぎると、社会から自由が消えていく。安倍首相が対策を掲げれば掲げるほど、社会が混乱し、国民がパニックを引き起こす。店頭からマスクやトイレットペーパが消えたのがそのいい例である。
 安倍首相に対抗するかのように小池百合子都知事が3月25日夜、「ロックダウン(都市封鎖)」「オーバーシュート(感染爆発)」という言葉を強調しながら緊急の記者会見を開いていたが、これにも驚かされた。

■自国第一主義やポピュリズムでは感染症には対抗できない

 日本だけでなく、世界中の人々が新型コロナウイルスを過度に恐れ、過剰に反応している。
イギリスのジョンソン首相は3月23日、「皆さんは家にいなくてはならない」と自宅待機を要求した。アメリカでも15州以上が在宅勤務の義務化に踏み切った。感染者が急激に増加して死者の数が増えたイタリアでも期間(3月10日~4月3日)を決めて国民に自宅待機を求めている。同様にフランスでも3月17日から15日間の外出制限に入った。
 イタリアではマスクやレスピレーター(人工呼吸器)などが不足して援助を求めたが、フランスやドイツは一時、自国の在庫確保を優先するあまりイタリアの求めに応じなかった。イタリアとの国境を閉鎖する動きまである。EU(欧州連合)の「結束」はどこに消えてしまったのか。
こうした過剰な反応の背後に自国第一主義とポピュリズム(大衆迎合)の風潮が見え隠れする。国民は不安から我が身の安全を強く望み、政治家はそんな国民の欲求を満たそうと動く。欲求がエスカレートしていくと、自分さえ助かればいいという思考に陥る。自国第一主義やポピュリズムを捨てない限り、パンデミック(地球規模の流行)を引き起こすような感染症はコントロール(制御)できない。
 メッセージ@penの2月号でも触れたが、拡散していく、見えない病原体には自分たちさえ良ければそれでいいという考え方は通じない。
木村良一(ジャーナリスト)

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