「エボラウイルス輸入」 五輪便乗は本来の危機管理から外れてないか

■コンゴの流行にWHOの「緊急事態」宣言

 WHO(世界保健機関)が7月18日、アフリカ中部のコンゴ民主共和国(旧ザイール)でのエボラ出血熱のアウトブレイク(地域的流行)に対し、「国際的な公衆衛生上の緊急事態」を宣言した。コンゴ政府が流行宣言を出した昨年8月以降、1600人以上の死者が出ている。

 WHOの緊急宣言は世界各国に医療や資金の援助を求めるもので、新型インフルエンザの大流行(2009年4月)や中南米でのジカ熱の感染拡大(2016年2月)などに対してこれまでに計4回、出されてきた。

 エボラ出血熱では2014年8月にも出され、このときの流行では西アフリカの国々(ギニア、リベリア、シエラレオネ)で2年半の間に1万1000人以上の人々が亡くなっている。この流行については、同年の9月号と12月号の「メッセージ@pen」に書いているので参考にしてほしい。(文末後のURLをクリックして下さい)

 コンゴではザイール時代の1976年の夏、エボラウイルスが人類の前にその姿を初めて現した。44歳の教師が突然高熱を出して嘔吐と下痢を繰り返し、歯茎や鼻、内臓から出血して死亡した。原因不明の出血熱だった。やがて病原体のウイルスが突き止められ、近くを流れるエボラ川(コンゴ川支流)からエボラ出血熱と名付けられた。

 

5つのキラーウイルスが初めて持ち込まれる

 エボラウイルスは患者の血液や体液に多く存在し、血液の混ざった吐瀉物や便に直接触れることで傷口や粘膜からウイルスが侵入して感染する。

 ひとたび感染すると、3日から10日で発症する。有効性と安全性が確立された治療薬やワクチンはなく、治療は対処療法が中心となる。感染者のうち最大で90%が命を落とすというから、まさにキラーウイルスである。エボラウイルスの自然宿主、つまりもともとの住み家は、ジャングルの中に生息するフルーツコウモリなどの動物の体内といわれている。

 この夏、エボラウイルスなど計5種類のウイルスが日本に初めて持ち込まれる。エボラウイルスのほか、南米出血熱、ラッサ熱、クリミア・コンゴ出血熱、マールブルグ病の各ウイルスだ。いずれも治療薬やワクチンがなく、致死率の高いキラーウイルスである。WHOが最も危険度の高いウイルスとしている。

 7月1日、根本匠厚生労働相と東京都武蔵村山市の藤野勝市長が会談して合意し、厚労省はこの夏にも冷凍した5種類のウイルスを輸入し、同市内の国立感染症研究所(感染研)村山庁舎の研究施設に保管することを決めた。テロを避けるため、輸入の日時や経路は公表されない。この原稿がアップされるころには、輸入されているかもしれない。

 

■オリンピックを口実にするのは姑息だ

 厚生労働省によると、5種類のキラーウイルスの輸入は来年の東京五輪・パラリンピック対策が狙いだ。外国人観光客の増加に伴ってウイルスが日本国内に入ってくる可能性があり、それに備えて検査体制を強化するというのだ。具体的には感染しているか否かの確定診断のほか、患者の血液をウイルスに反応させて抗体の有無などを調べ、退院の時期を決める判断材料に使う。ただし輸入ウイルスを使った治療薬やワクチンの研究開発は行わない。

 ここで言いたい。オリンピックを口実に輸入しようとするのは、本来の危機管理の在り方から外れている。姑息な便乗だ。姑息とは一時の間に合わせに過ぎないという意味で、慎重さに欠ける。

 5種類のウイルスは日本の感染症法でも最も危険な「1類感染症」に指定されている。取扱いの難しいウイルスを初めて持ち込んで検査に使おうというのだから、慎重に実行してほしい。

 慎重さを欠くと、たとえば保管したウイルスを扱っているときに研究者が事故を起こして感染する危険性が高くなる。いわゆるラボラトリー(研究所、実験室)感染だ。研究者がウイルスに汚染された注射針などを誤って手に刺して感染する事故がそれに当たる。

 

■もっと早くウイルス輸入を決めるべきだった

 「杞憂だ」と批判を受けるかもしれないが、治療薬やワクチンがないなか、ラボラトリー感染が起きた場合、患者の研究者をどう治療するのか。きちんと詰めておく必要がある。針刺し事故を起こしたら、日本の感染症の研究にも大きな支障が出る。

 断っておくが、私は生のエボラウイルスなどを輸入することには賛成である。病原体があれば、治療薬やワクチンの開発に役立つからだ。それゆえ輸入するのならもっと早く輸入を決めるべきだったし、正面切って治療薬やワクチンの研究開発を進めるべきだ。なぜそうできないのだろうか。

 輸入ウイルスを保存管理する研究施設が、東京都武蔵村山市にある感染研村山庁舎の「BSL4施設」だ。BSLとは国際基準の「バイオ・セーフティー(生物学的安全性)・レベル」の略で、4段階中最も危険度が高い病原体を安全に取り扱える研究施設がBSL4である。物理的(physical)に封じ込めができる機能を有するという意味で「P4施設」とも呼ばれる。

 BSL4施設は、内部の気圧を低く保って病原体が外部に漏れない陰圧構造で、病原体はグローブボックス(密閉箱)の穴から手を入れて取り扱われる。世界の国々でこのBSL4施設から病原体が漏れ出たことはない。

 

■日ごろからの備えが本来の危機管理だ

 感染研村山庁舎のBSL4施設は、1981(昭和56)年に完成してコレラなど1~3段階までのレベルの細菌やウイルスなどの病原体を取り扱ってきたが、4レベルの病原体は40年近くにわたって扱うことができなかった。施設にその機能があるのに病原体が扱えないという矛盾した状態が長く続き、先進7カ国(G7)中、BSL4施設が稼働しないのは日本だけだった。

 施設周辺住民の理解が得られなかったことが原因だった。厚労省は見学会を開いて何度も安全性を説明してきたというが、説得が十分だったとはいえない。

 厚労省は感染研村山庁舎の施設を2015年8月に初めてBSL4として指定した。この年に西アフリカでエボラ出血熱の流行が拡大し、アフリカからの帰国者に疑い例が複数(すべて非感染)出て必要性に迫られたからだ。さらに今年5月、五輪開催を前面に出して周辺住民との話し合いをまとめ上げた。

 2003年に東南アジアに出現して死者も出した重症急性呼吸器症候群のSARS(サーズ)や、7年前からサウジアラビアなどで発生している中東呼吸器症候群のMERS(マーズ)など新興感染症も出現している。航空機が発達した現代、感染症は瞬時に地球規模で広がる危険性がある。いまや日本にはない感染症がいつどこから侵入してきても不思議ではない。日ごろからBSL4施設などを適正に運用して備える必要がある。これが感染症に対する本来の危機管理だ。                           

木村良一(ジャーナリスト)

 

2014・9 「エボラの大流行」 感染症とどう付き合えばいいのか

2014・12 「何が医療従事者をエボラ出血熱に挑ませるのか」 エボラ専門医を取材した

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