ミニゼミ報告 なぜメディアは報じられなかったのか:「就職氷河期世代」を事例として

 2019年6月26日、「就職氷河期世代」というテーマのもと、2019年度第2回ミニゼミが、慶應義塾大学三田キャンパスで開かれた。「就職氷河期世代」に対する当時の報道のあり方を中心に、メデイア・コミュニケーション研究所の山腰修三准教授と現役学生が、ジャーナリストとして活躍しているOBOGとともに議論を交わした。

 

 就職氷河期世代とは就職氷河期(1993〜2005年)を体験した世代のことである。この時期は安定した正社員になることが困難であり、現在でも多くの人々が派遣で生計を立てることを余儀なくされている。今回、このテーマを選んだのは、川崎市多摩区登戸にて起きた小学生を狙った通り魔事件などを契機に、この世代の困窮具合と将来への展望のなさに注目が集まっていたためである。実際、今年に入ってから、『朝日新聞』において「ロストジェネレーション」=「就職氷河期世代」を題材とした連載がはじまっている。

 

 就職氷河期世代について、その世代に該当する2人から事情をきくことができた。山腰准教授は、この世代はそれまでのライフコースが通用しないことを指摘した。つまり、就職し、結婚し、出産し、……といった「普通」の人生をおくることも困難になったということである。また、就職氷河期に就職した橋爪良信氏(当日ゲスト)は、この時期から大学院生の急増と質の低下が起こり、修士号や博士号を取得しても専門性を生かせないまま劣悪な非正規労働に甘んじることを余儀なくされた人々が急増したと指摘した。そのほか、就職氷河期世代の世代間格差やネオ・リベラリズム(新自由主義)の台頭だといった問題も提起された。また、「フリーター」という言葉の意味の変化に着目する意見もあった。

 

 このように、議論は広範にわたったが、一番問題となったのは、なぜメディアがこのことについて早期に報じることができなかったのか、ということである。新聞やテレビにて「就職氷河期世代」が報じられるようになったのはごく最近のことである。法学部政治学科の学生が、山本太郎の「れいわ新選組」を例にあげ、彼がそれまで唱えていた脱原発をはじめとしたイデオロギー色の強い政策を封印し、積極的な財政政策や減税により彼らの支持を得ようとしていることを指摘し、国政の場にて取り上げられたのは極めて最近のことだとした。また、山腰准教授も、学界にて彼らと関係の深い日本国内における格差の問題が学会にて取り上げられたのは、就職氷河期が終わってからのことであるとした。

 

 現役の新聞記者であるOGの中島みゆき氏でさえ、彼らの存在を知ったのは2010年代に入ってからのことであると告白した。また、当時からジャーナリズムの現場にいた多くのOBが「就職氷河期世代」の問題がここまで大きなものになるとは考えもしなかったとした。なぜなら、「就職難」それ自体はいつの時代にもあり、一部の有名大学・業界という限られたサンプルで状況を判断したことで「就職氷河期」と称されるような前代未聞の事態になるとは想定することができなかったからである。また、当時はリストラの方が大きく取り上げられ、新卒就職の困難ぶりは等閑視された。その上、1990年代後半には異様なほど事件や不祥事が多発しており、そのことを追う余裕すらなかった。

 

 メディアは単にその場限りの情報をまとめるだけではなく、長期的視野にたった記事を書くべきである。しかし、「就職氷河期世代」の事例をみても、そのようなことは実際には困難といわざるを得ない。しかし、そこで諦めるのではなく、どうすればできるのかを考えるべきだろう。その点については、今後のミニゼミ等にて検討したい。

 

中川翼(慶應義塾大学文学部人文社会学科西洋史学専攻2年)

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