シリーズ 客船で世界を旅してみた~その17(最終回)~

 ピースボートの地球一周の船旅で得た貴重な体験を、本にして残そうという人は結構いるようです。私が乗った第94回クルーズでは、少なくとも3人が自費出版しました。その中の一人・早稲田大学名誉教授の木棚照一さんは、妻のまり子さんと2人で「誰もが行ける80日間世界一周旅行」(発行:東京図書出版、発売:リフレ出版)を2018年3月に出版しました。今回はフルで乗ると105日間の船旅でしたが、木棚夫妻は、横浜からギリシャまでをショートカットし、羽田から空路ギリシャに入り、アテネ近くのピレウス港で我々と合流しました。それで80日間での世界一周旅行になりました。

 木棚夫妻とは、今回の船旅の説明会会場で、まず妻のまり子さんと知り合い、その後船上でご主人を紹介され親しくなりました。その縁で本を送っていただきました。手に取ると360ページもある比較的分厚い書物でした。読み進めると木棚照一さんは、さすがに法律の専門家です。船旅での毎日を克明に記録していて、今回の旅をもう一度体験しているような気分になりました。巻末には船内生活で必要なものと、そうでないものを分けて一覧表にしてあるほか、荷物をどれくらい用意したら良いのかの目安が写真入りで示されていて、これから地球一周の船旅に出かけようとする人には格好の手引書にもなっています。さて船旅の方に戻ります

~妻の誕生日が消滅!?~

 2017年7月18日、船は太平洋上にいます。前日は16日だったのにいきなり18日になりました。17日が消滅してしまったのです。船が深夜、日付変更線を通過したことでこんなことが起きました。消えた17日は妻の誕生日でした。船内では誕生日にはケーキがプレゼントされ、レストランスタッフが歌で祝ってくれます。その大事な日が無くなってしまったのです。でも心配ご無用、特別に誕生日を繰り上げて別の日にその日が誕生日の友人と一緒にまとめて祝ってもらいました。

 ところで、日付変更線(図は二宮書店の新コンパクト地図帳より)は、太平洋上を東経180度の子午線に沿って多少の曲折を伴いながら南北に走る線で、その東側と西側とで日付を変更するように決められています。この線の西は東より1日だけ日が進んでいます。私達の船は、この線を通過して西に移動したので日付が1日進んだのです。船内では、寝る前に時計の針を1時間戻し、同時に日付を18日に設定しました。日本を出発したあと何度も時差調整して時間を戻してきたツケを一気に返す日がきたわけです。

 日本との時差は、これまでマイナスでしたが、この日からはプラスに転じ、時刻は日本より3時間進みました。これから徐々に時間を戻していき帰国する25日までに時差はなくなるという勘定です。

~避難訓練~

 7月20日午前中、避難訓練がありました。横浜を出港以来ほぼ1ヶ月に1回実施されてきましたが、4回目のこの日が最後の訓練でした。9時半、短音7回、長音1回の非常警報を合図に訓練開始。すぐ客室に戻り、救命胴衣を持って、ドア内側に掲示してある非常時集合場所、私たちの場合は1階上の8階にあるラウンジを目指しました。ラウンジは、オレンジ色の救命胴衣を身につけた乗客で溢れかえっていました。訓練とはいえ皆緊張した表情です。一人ひとり名前を呼んで全員いることを確認したあと、縦1列に並んでデッキに出て各救命艇の下でしばらく待機しました。私たちの船の場合、すべての乗客を十分に収容できる救命艇14艇(総定員1462名)と、救命いかだ46艇(総定員1112名)を備えていました。救命艇の形は様々ですが、中米の港で写真に収めたコンテナ船の救命艇は小型潜水艇のような形をしていました。ハリウッド映画で、船長役のトム・ハンクスがソマリア海賊に襲われ同型の救命艇で脱出するシーンを思い出しました。

~横浜帰港~

 7月25日朝、横浜に帰港しました。105日間地球一周の旅が終わりました。振り返ると実に天気に恵まれた旅でした。晴れ男、晴れ女、それも相当な霊力を持った人たちの集まりだったのでしょう。乗客は仕事をリタイアした60代後半が多く、一人参加が主流でした。4人に一人がピースボートに何度も乗っているリピーターで、平均して4回位、中には10回以上乗船しているという人も珍しくありませんでした。皆ピースボートファミリーです。そんな人たちから“ピースボート菌”の話を聴きました。ピースボートに乗った人たちには知らないうちに“ピースボート菌”が植えつけられます。発症するとまた乗りたくなる病気だそうです。症状が出るまでの期間は人それぞれで、2年で発症する人もいれば10年かかる人もいるそうです。私が発症する日は果たしていつなのでしょうか。

山形良樹(元NHK記者)

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