神話の源流を慶州と対馬に訪ねる

 日韓の古代史に関心を持つ小グループで、一衣帯水の韓国を訪ねた。日本と韓国の間は50キロ足らず。まず釜山から新羅時代の古都、慶州を訪ね、釜山からフェリーで対馬に渡るというコースだ。
 日本と朝鮮半島は、聖徳太子がいたころよりももっと古い時代から、ヒトとモノの交流があり、道教、仏教、儒教をはじめ、当時最新の製鉄や干拓技術、陶磁器、漢字や暦、漢方医学などが、対馬を経て伝えられた。折から韓国のテレビは、南北首脳会談を大きく報じ、日本では来年は天皇や元号が変わる。ともに歴史の節目を迎えている。

新羅の始祖は天孫降臨

 釜山から慶州は特急列車「セマウル号」に乗った。朴正熙大統領時代に鳴り物入りで導入された。線路が広軌なので天井も高くゆったりして、後尾車にはパソコンや携帯利用者用のスペースもある。ただ4両編成と短く車内販売もない。今は日本の新幹線に当たる高速鉄道(KTX)に譲った感じだ。
 今回の旅には2つ目的があった。1は新羅には天孫降臨神話があるが、今どうなっているのか。もう1つは対馬には、なぜ古事記や日本書紀と似た名前の神社が多いのかーだった。
新羅の神話の舞台は、慶州で有名な月城近くにある鶏林という林だ。その昔、村人たちがこの林で自分たちを治めてくれる人が欲しいと祈った。ある時、鶏が鳴いて天から卵が降りてきたことを知らせた。その卵から立派な王子が生まれ、始祖王の朴氏になったというのが神話の筋だ。 
 鶏林は普通の雑木林で、塀も柵もなく表示に従って進むと、家の形をした石で造られた小さな建物がある。横に「降臨の地」と、簡単な説明板があるだけだ。韓国人の観光客に尋ねると、「神話、神話ですよ」と笑って手を振った。
 朝鮮半島にはかつて高句麗、百済、新羅の3国が鼎立した。いずれも似た天孫降臨の神話を持っている。新羅は一時、神話にちなんで国名を鶏林と呼び、鶏と卵を大事にした。日本にも鶏林寺とか鶏足寺という古寺があり、今も鶏や卵を食べない風習を持つ村がある。半島との深い交流をうかがわせる。

「対馬の神々は奈良に移動」

 対馬は南北に細長く、朝鮮半島に近い方が上県(かみあがた)で、福岡に近い方が下県(しもあがた)と呼ばれるところは不思議だ。遣唐使は対馬を経て朝鮮半島に渡り、港伝いに北上して、遼東半島から山東半島に着くと、そこで船を降りて陸路、長安に向かった。
釜山から乗った500人乗りのフェリーはほぼ満員だった。一時間半の船旅だが、朝鮮海峡は荒れることで知られる。われわれの船も湾の外に出ると、大きく揺れ時々、船底に堅い物体がぶつかるような鈍い音がして不気味だった。
 その昔、小さな木造船での海峡横断は命がけだったろう。乗客の大半は韓国の若者で、一番近い外国ということで、まず対馬を選ぶらしい。対馬のコンビニも免税コーナーを設け、ウイスキー、たばこを売っている。
 遅い昼飯に入った食堂で若者たちは、テレビの南北首脳会談に見入っていた。聞くと、「南北が平和はいいことだが、本当の会談は始まったばかりです」と言った。若い女性の店員は「景気はよくありませんが、韓国のお客さんで持っているところがあります」と言う。
 対馬市が編纂した冊子を見ても、対馬には古事記や日本書紀に登場する神々が多い。例えば、高御魂神社(たかみむすびじんじゃ)、神御魂神社(かみむすびじんじゃ)、古代から港だったという美津島小船越西漕手には、阿麻氐留神社(あまてるじんじゃ)がある。アマテラスとの関連は不明とされるが、ともに太陽神だ。驚いたのは海幸、山幸を祭る神社、山幸の奥さんの豊玉姫や玉依姫を祭る神社もある。
 対馬の南端と北端にはユキ宮とスキ宮があり、これについては大嘗祭の際に作られる悠紀(ゆき)殿と主基(すき)殿を思わせると、指摘する歴史学者もいる。対馬には優れた亀卜(きぼく)の専門家も多くいて、奈良に出て活躍したらしい。
 日本書紀には「5世紀にこれらの神々は奈良県に遷座した」とあることから、奈良の神々は対馬から移ったと推測されるが、奈良朝廷はなぜ移動させたのか、どちらが先にあったのか、さらに朝鮮半島とのかかわりなど、なぞは多い。 
栗原 猛(ジャーナリスト)

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