シリーズ 客船で世界を旅してみた~その12~

 行先のわからないミステリーツアーに7月中旬参加しました。旅行会社が企画した日帰りバスの旅でした。朝、上野駅公園口に集合、観光バスに乗りました。自宅に事前に届いたツアーの案内書には、「緑の絶景!竹林へ」「歴史ある○○○をぶらり散歩」等この日訪れる観光スポットのヒントが書かれていました。お土産にメロンやパイナップルが付くことや夕食の弁当が「新鮮握り寿司」と書いてあったので、海の近くで果物豊富な所なら伊豆方面か房総方面ではないかと予想していました。
 バスが東名高速に乗った時点で伊豆方面、しかも3文字の観光地・修善寺だと確信したのですが、到着直前まで目的地を知らせないルールなので、果たして予想が当たるのか、結構わくわくドキドキしました。結局この日訪れたのは、修善寺を除けばいずれもマイナーな観光スポットばかりでしたが、ミステリーツアーが知られざる観光地を掘り起し、地域活性化に役立つのではないかと思いました。船の旅に戻ります。

 2017年6月18日午前7時半頃、ラジオ体操を終えて朝の食事をしていた時、緊急放送が流れました。また急患が出たのです。ラテンアメリカを目指してバミューダ・トライアングルを南下中だった船は、バミューダ諸島に引き返すことになりました。半日近くたった午後7時前、やっとバミューダ諸島沖合まで戻り、レスキュー隊のボートと合流しました。隊員が船に乗り込み患者を担架でボートに移して去っていきました。
 さて、バミューダ・トライアングルは、バミューダ諸島とアメリカのマイアミ、それにプエルトリコのサンファンを結ぶ三角形の水域で、飛行機や船の謎の遭難が多いとされています。バミューダ諸島を出航してまもなく青空が一変、黒い雲で覆われ、周りが暗くなった時には少し不安になりましたが、結局雨が暫く降っただけで何も起こりませんでした。

 6月21日夜10時、南米ベネズエラのラグアイラに到着しました。当初は朝9時に入港予定でしたが、18日に救急患者を緊急移送した関係で到着が大幅に遅れました。このため21日に予定されていたツアーが全て中止になりました。出港は当初予定通りの22日ですから、観光の1日分が吹っ飛んだことになります。22日は首都カラカスに行き、英雄の足跡をたどるツアーに参加しました。南米解放の父として崇拝される英雄”シモン・ボリーバル”の霊廟や、軍人出身のカリスマ的指導者・故チャベス大統領が眠る「兵舎の丘」を訪れました。

 カラカスは、2015年のNGOの調査で、10万人当たりの殺人件数が119.87人と、世界で最も危険な都市とされています。歩行者に拳銃等を突きつけ現金を強奪する手口が大半で、カラカス市内では必ず団体行動し、立ち止まってカメラ撮影をしないように

注意されました。恐る恐る参加したツアーでしたが、ベネズエラ外務省の職員がガイドとなり、SPが護衛してくれました。街中では警察官の姿が目立ました。カラカスの市民には失礼ですが、ツアーバスで車窓観光していると、あたかもサファリパークで動物を窓越しに見ているような心境になりました。実際は、笑顔で手を振ってくれる人たちが多かったのですが、中には敵意むき出しで我々に向けて石を投げる仕草をして挑発する若者もいました。

 産油国であるベネズエラは、2014年秋以降に原油価格が急落したことをきっかけに、財政状況が悪化しました。経済の混乱が長引いていて、食料品なども不足しています。IMF・国際通貨基金は、ベネズエラの物価は2018年末までに約1万倍に値上がりするとの見方を示しています。

 6月25日11時過ぎ、パナマ運河のカリブ海(大西洋)側の入口・クリストバルに到着、パナマ運河鉄道に乗って太平洋側にある首都パナマシティを目指しました。パナマ運河鉄道は、1855年に開通しました。運河が開通するより60年ほど前、アメリカのゴールドラッシュの頃です。列車は、運河に沿って熱帯雨林を走り抜けて行きます。運河を通行する大型船や巨大な人工湖が現れるたびに夢中でカメラに収めました。沿線のジャングルにはサルやジャガー、ワニもいると聞き目を凝らしましたが、遭遇できませんでした。大西洋から太平洋に出るまでにかかった時間はわずか1時間でした。パナマシティでは、スペイン植民地時代の建築物が残る世界遺産の旧市街を散策したあと、高層ビルが建ち並ぶ新市街をバスで車窓観光しました。パナマは租税回避地として知られ、パナマ文書で注目を浴びました。
 パナマと言えばパナマ帽も有名です。1914年、パナマ運河の開通式典にアメリカのルーズベルト大統領が出席しました。その際、大統領が素敵な帽子を被っていたので、記者がどこで手に入れたのかと聞いたところ、大統領はパナマの先住民からもらったと答えました。翌日の新聞に帽子を被った大統領の写真が大きく扱われました。それ以来「パナマ帽」と言われるようになったといいます。ところが大統領は勘違いをしていたのです。実際は経由地のエクアドルで先住民が伝統的に作っていた帽子をプレゼントされていたのです。本当は「エクアドル帽」だったというお話です。次はいよいよパナマ運河を通航します。
山形良樹(元NHK記者)

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