<シネマ・エッセー> ペンタゴン・ペーパーズ

「泥と炎のインドシナ」をはじめ、ベトナム戦争報道で勇名を馳せた毎日新聞外信部長の大森実さんが「これからは”戦争”で勝負や」と我々後輩に話したのは、東京オリンピック(1964年)の直後でした。そのキッカケを作ったのが当時、フリーの記者だったニール・シーハンで、大森さんが彼の生々しい”ベトナム報告”を連載したのが最初でした。
ニール・シーハンはその後ニュ-ヨーク・タイムズの記者となり、この映画の主題となった最高機密文書『アメリカ合衆国のベトナムにおける政策決定の歴史、1945~1968年』をスクープします。トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンの4大統領・政権下で隠蔽されてきたベトナム戦争に関する膨大な事実が記載されたもので、シーハンはこれを政府出資のシンクタンク・ランド研究所のダニエル・エルズバーグから入手し、1971年6月13日のニューヨーク・タイムズに掲載。世界に波紋が広がったのです。
6月15日、ニクソン政権は「国家の安全保障を脅かす」として記事の差止め命令を連邦裁判所に要求し、ニューヨーク・タイムズが出版差止めの命令を受けますが、ワシントン・ポスト紙の編集主幹、ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)はエルズバーグと親しかった編集局次長にペンタゴン・ペーパーズの入手を命じ、壮絶とも言えるスクープ合戦に参入するのです。
ワシントン・ポスト紙の社主兼発行人、キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)は夫の死後、アメリカ主要紙初の女性オーナーとなったのですが、経営危機を切り抜けようとしている最中に<最高機密文書>のスクープ合戦に巻き込まれ、ギリギリの場面でこの文書を掲載するかどうか、大きな決断を迫られます。ベトナム戦争の指導者の一人だったマクナマラ国防長官とも個人的に親しい仲だっただけに悩みは大きく、社内の賛否両論の間に挟まれて、揺れ動くのですが、最後に彼女の下した決断は”Go!”でした。
監督のスティーブン・スピルバーグは1960~70年代の新聞社の雰囲気を出すため、わざわざ古い35ミリフィルムで撮影し、レトロ感を出したかったと言います。活字や印刷の円盤に鉛を使っていた頃の新聞社の雰囲気がそっくり再現され、”世紀の特ダネ”が輪転機にかけられて印刷され、街に出て行くシーンは、なんとも懐かしく,胸が熱くなりました。
それと、マクナマラの登場する場面を見て思い出すのは、1967年夏、ワシントンの国防総省(ペンタゴン=五角形)を取材した時のことです。インタビューに応じてくれるというので、防衛庁担当の記者4人で行ったのですが、直前になって、マクナマラ長官が急遽、会議でロスアンゼルスに出張し、代わってワンケ国防次官補と会見。沖縄返還はまだ遠いが、同じようにアメリカの占領・統治下にあった小笠原諸島の返還について「近い」という感触を得たので、ワシントン総局から打電し、翌日の朝刊1面トップで掲載されたことです。小笠原はその翌年6月に返還され、今年は50週年を迎えます。
あれから半世紀後のアメリカは、トランプ大統領が政権に批判的な新聞、テレビなどのメディアと事あるごとに対立を繰り返しています。”言論の危機”さえ感じさせる今、この映画の公開(3月30日)は新しい話題を提供してくれるでしょう。

磯貝 喜兵衛(元毎日映画社社長)

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