シリーズ・客船で世界を旅してみた~その4~

今回の船旅は、私にとって、ある種のサバイバルゲームと言っても過言ではありませんでした。病気への不安や船の揺れによるケガの心配に加え、もうひとつの難関が待ち受けていたのです。それは海賊でした。海賊と聞くと、ジョニー・デップ主演の人気シリーズ「パイレーツ・オブ・カリビアン」を頭に浮かべる人が多いと思います。あんな愛嬌も色気もある海賊だったら会ってみたくもなりますが、今回のソマリア海賊は絶対に会いたくない相手でした。
ソマリア海賊は、アフリカ・ソマリア沖のインド洋からアデン湾にかけて出没します。もともとは貧しい漁師たちが海賊に豹変したと言われており、ソマリアが無政府状態になっているので取り締まるものがいません。スリランカのコロンボ寄港を前に開かれた航路説明会で、海賊対策を聞きました。
201705a_small スリランカのコロンボ出航翌々日から約1週間は気が抜けないとのこと。昼間より夜間が危険なので、客室のカーテンを締め、公共スペースの窓も光が漏れないようにカーテン等で遮光し、オープンデッキは立ち入り禁止とするなどの注意点が挙げられました。
イエメンのソコトラ島沖から護衛艦がつきますが、そのうち護衛艦は離れるので、そこから各国の艦隊の補給基地があるジプチに逃げ込むまでが一番危険だという説明でした。凪の時に海賊は出るそうで、実際ピースボートも過去2回ソマリア海賊に襲われたことがあると、その後乗客から体験談を聞きました。
当初の予定では5月2日の午前8時に護衛艦と合流し、他の船と船団を組み前後左右を護衛艦でガードしてもらう予定でした。しかし、救急患者を急遽インドで下船させた影響で、船は予定より1日以上遅れて航海したため、合流地点に間に合わず護衛艦付きの船団は先に行ってしまいました。
201705c 私たちの船は、3日午後6時、なんとか海上自衛隊の護衛艦「てるづき」と合流しました。遅れたおかげで、旅客船1隻に護衛艦1隻という贅沢な守りになりました。「てるづき」は前方斜め前を左右にゆっくりと移動しながら私たちの船を先導してくれました。哨戒用のヘリコプターが周りを旋回したあと「てるづき」に無事着艦した時には、我々乗客の間から拍手が湧きました。
ところでソマリア海賊の狙いは積荷ではなく人さらいです。拉致して身代金を要求するのです。元朝日新聞記201705b者の松本仁一さんによると身代金の相場は、1人10万ドル、日本円して1千万円位で、海賊たちの基地には、人質用のホテルや日用品を揃えたスーパー、人質の引き取り交渉等をする会計事務所まであって、たいそう賑わっているとのことでした。
海賊たちは、ロケット砲と旧ソ連製のカラシニコフ自動小銃で武装し高速艇で追ってきます。首尾よく船に乗り込むと船ごと奪います。説明会では、乗り込まれたら最後で、乗客の皆さんは、海賊に素直に従うか、嫌なら海に飛び込んでください、ただし海にはサメが待ち構えています、と冗談まじりに脅されたことを今でも思い出します。
外務省の統計では、この10年、ソマリア海賊の発生件数は、2011年の237件をピークに激減しており、今年の上半期では7件発生し、3隻が乗っ取られ、39人が拘束されました。発生件数が抑えられているのは、各国の海賊対処活動が大きく寄与しているとのことですが、海賊を生み出す根本原因の一つであるソマリア国内の貧困や若者の就職難等は未だに解決しておらず、各国が手を緩めれば状況は容易に逆転する恐れがあります。
「てるづき」は、約一昼夜半の護衛の任務を終え、4日午後9時半、私たちの元を去りました。私たちの船は翌日の午前4時半紅海に入り、海賊対策はその日の夕方やっと解除されました。
紅海は、プレートの裂け目に海水が溜まって出来ました。出口の狭い袋小路のようになっていて水が流れ込む川もなく、塩分濃度が非常に高いのです。酸欠状態で藻が異常繁殖して海が赤くなり、その名がついたとも言われますが、今は全く赤く見えませんでした。
7日午後、スエズ湾に入りました。右手にモーゼの十戒で有名なシナイ半島が見えました。デッキに出るときに注意されました。サウジアラビアやアフリカ大陸から鳥が飛んで来てデッキなどで羽根を休めることがありますが、決して触れないようにとのこと。こうした鳥は弱っていて、餌や水を与えても決して口にしません、病気を持っているので感染する危険性があるそうです。次回はスエズ運河を通り、いよいよ地中海の旅です。
山形良樹(元NHK記者)

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