臓器移植法の施行から20年 どうしたらドナー増やせるのか

 臓器移植法が施行されて来年でちょうど、20年を迎える。ドナー(臓器提供者)とその臓器がないと自らの命を維持できないレシピエント(患者)とを結び付けて支えるのが、臓器移植法だ。しかし20年が経過するというのに日本のドナーの数は、世界で最低だ。臓器移植という高度な医療技術があるのにドナー不足で患者が救えない。日本はどうしたらドナーを増やせるのだろうか。
世界的にもドナー不足は深刻でさまざまな問題が起きている。フィリピンなどでは臓器売買が後を絶たず、中国では死刑囚をドナーにしてその臓器を売買するなど人権上の問題も起きている。国際移植学会やWHO(世界保健機関)は、移植する臓器は自国で賄うよう指導。海外渡航移植に頼る日本は非難の対象になっている。
日本では臓器移植が1997(平成9)年6月17日に成立し、同年10月16日から施行された。法案自体は議員立法の形で成立の3年前に国会に提出されていたが、審議入りされないまま何度も継続審議扱いとなり、96(平成8)年9月、衆院の解散で廃案となってしまう。
その後、12月に再提出されたものの、衆院で「脳死は人の死か、否か」の議論が延々と続き、参院では「臓器移植に限って脳死を人の死とする」と修正されてやっと可決された。
それでも臓器移植法の施行で、和田心臓移植(1968年)以来、止まっていた脳死移植が、日本国内で合法的に行えるようになった。施行後の初の脳死移植が99(平成11)年2月に実施された。その年の脳死ドナー数が4人で、2010(平成22)年の臓器移植法の改正まで平均7・5人という極端に少ない状況が11年も続いた。  改正案は05(平成17)年8月に国会に提出されたが、これもたなざらしにされ、4年後の09(平成21年)7月に成立した。この改正でドナー本人の意思が明確でなくとも家族の同意さえあれば、脳死下での臓器提供ができるようになった。その結果、改正法が施行された10年には、32人のドナーが現れた。その後44人、45人、47人、50人、58人と増えたものの、年間数千人のドナーが出る欧米とは比べものにならないほど少ない。
たとえば日本移植学会のホームページから2012年の人口100万人当たりの世界各国のドナーの数を比較したグラフを見てみると、一番多いのがスペインの34・8人で、これにポルトガル、アメリカ、フランスと続き、後半に8・4人の韓国、7・2人の香港、5・8人の台湾が出てきた後、日本は0・9人と、グラフに示された国の中の最下位だ。
救急病院で亡くなる患者の中から潜在的なドナーを見つける努力を続けるなど、各国は国を挙げてドナーを増やすことに懸命だ。その結果がこのグラフに表れている。それに比べ日本は、臓器移植法やその改正法の成立までの過程を見ただけでも移植医療に対する社会の関心が低いことが分かる。
ところで10月1日の土曜日、日本移植学会と産経新聞社の共催で移植医療の市民公開講座を都内のホテルで開いた=写真(10月29日付産経新聞)参照。開催に先立ち、産経新聞紙上で数回に渡って参加者(無料招待)を募集したところ、関心が低いのか、いっこうに集まらない。仕方なく、医療関係者や患者団体、病院に直接声をかけ、なんとか約300人の参加者を集めた。
個人的な話で恐縮だが、社会部記者時代に厚生省を担当し、移植医療の取材を始めた20年ほど前は、臓器移植に懐疑的だった。ところが移植医や救急医、脳外科医、ドナーの家族、移植を受けた患者のところに足を運んで取材を続けるうちに「このままではいけない」と思うようになった。最初は新聞記者の仕事上の関心でしかなかったが、それが大きな関心事に変わっていった。新聞記事だけではなく、本も書き、自分のライフワークといえるまでになった。
今年10月時点で臓器移植を希望して日本臓器移植ネットワークに登録されている患者は、約1万4000人にも上る。やはりドナーを増やすには国民に関心を持たせるのが一番だ。そのひとつの方法が、「オプティング・アウト」と呼ばれる反対意思表示である。臓器提供をしたくない場合は、公の機関に拒否の届け出をしておく。そうしないと、提供の意思があるとみなされる。
実際、スペインなど欧州ではオプティング・アウトをベースにドナーを増やしている。日本でも導入するための議論を早く始めるべきだ。たとえ導入しなくとも、国会で議論をすることで、国民は臓器移植に関心を持つはずだ。  100人に1人の割合で回復不可能な脳死になる。脳死に陥ったとき、心臓や肝臓、肺、腎臓を提供するのか、それともしないのか。自分自身でしっかり考えるとともに、機会を見つけて家族と話し合っておく必要がある。
木村良一(ジャーナリスト)

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