大阪企業家ミュージアムの15年

「道修町」と書いた紙をかざしたスタッフが「何と読みますか?」。子どもたちに問いかける。「どうしゅうまち」といった答えに混じって、一人の男子生徒が「どしょうまち」と大きな声。スタッフは「正解です」と驚いて見せ、「大阪の道修町は江戸時代から薬種問屋が集まった地域で、いまでは多くの医薬品メーカーなどに発展し、わが国の医薬・化学の基礎を作った」と説明が続く。パネルやめくり資料、ゆかりの展示物などが理解の手助けになる。子どもたちは、長崎県島原市内の中学校の修学旅行の一行。大阪市内のビジネス街の一角にある「大阪企業家ミュージアム」(中央区本町、宮本又次郎館長)で先日出くわした一コマだ。
このミュージアムには、大阪を舞台に活躍した企業家105人の足跡などを展示している。大阪商工会議所が120周年記念事業として2001年6月開館、ことし創立15周年を迎えた。来館者は累計約24万人。1企業の創業理念や社史、製品などを紹介する企業ミュージアム(または企業博物館)は全国に数多いが、地域の企業家を一堂に集めたミュージアムは例がない。
昨年度は、NHK連続テレビ小説「朝が来た」の放送をきっかけに、実業家で大阪商工会議所の初代会頭(当時は大阪商法会議所と呼んだ)だった五代友厚の人気がはじけ、来館者が主婦など女性層にも広がって前年の5割増の2万5千人になった。
館内をざっと案内しよう。
主展示エリアのタイトルは「企業家たちのチャレンジとイノベーション」。各人の足跡を三つのブロックに分けて展示している。第1ブロック(産業基盤づくり、明治時代)は五代友厚はじめ、銀行を基盤に様々な基幹企業を設立した松本重太郎ら▽第2ブロック(消費社会の幕開け、明治末から第2次大戦前)は新薬開発に挑戦した武田長兵衛、私鉄の多角経営を確立した小林一三、国産洋酒を開発した鳥井信治郎ら▽第3ブロック(復興から繁栄へ、第2次大戦後)には電化ブームをリードした松下幸之助、インスタントラーメンを開発した安藤百福ら総勢105人。大阪発祥の朝日新聞の基礎を築いた村山龍平、上野利一、毎日新聞を生んだ本山彦一ら新聞人も展示されている。
105人の出身は意外にも大阪が少ない。大阪20人、兵庫11人、京都9人、京阪神を合わせても40人、38%だ。宮本館長は「単に何を成し遂げたかだけでなく、なぜ、どのようにして、との観点に重きを置いている」といい、105人に絞ったのは展示スペースの都合という。
また、ライブラリーコーナーには、文献資料に加えて、有力企業家21人が肉声で事業について語ったビデオ映像を備えており、自由に視聴できる。余談だが、稲盛和夫(京セラ)、葛西健蔵(アップリカ葛西)、井植敏(旧三洋電機)の3氏のインタビューは小生が担当した。パソコン上で企業家の生い立ちや業績などを見ることができる123人のデータベース「企業家デジタルアーカイブ」もある。  展示とともに、人材育成セミナーの開催などの人材開発事業や、「企業家研究フォーラム」の運営支援もミュージアムの事業の柱。同フォーラムは、企業家研究を学際的に研究するのが目的で他に例のない学会だ。沢井実・南山大学を会長に、学者、ビジネスマンら会員が約500人。
宮本館長は日本経済史・経営史が専門の元大阪大教授。私のインタビューに対して「大阪は昔からよそから人が集まって来てビジネスをする町、チャレンジ精神があふれた町だった。今ではその気風が薄れ、むしろ出ていく人が多くなった」と嘆いたが、同感だ。先人の企業家精神に学んだ若い経営者が輩出されることを望みながらミュージアムを後にした。
七尾隆太(元朝日新聞編集委員)

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