私は大学卒業後、伊藤忠商事という総合商社に入社した。中学・高校・大学を通じて英語会(ESS)に所属しひたすら英語の習得に勤しんできた者として、英語を武器として活用できる会社に就職したかったからである。ところがである、入社直後に同社で既に役員になることが決まっていた大学のESS出身の先輩から「努々、英語を売り物にするな」という真剣なアドバイスを貰ったので狼狽したのを覚えている。理由は商社で英語を売り物にすると「英語使い」と蔑称されて便利屋として使われる羽目になるからだという。成功するには英語力を隠し、「ビジネス力」「ビジネスの実績」でのし上がるのがベストだと聞かされて、長年の間自分が「英語使い」であることをひた隠しにして(まるで忍びの者のように)仕事を続けてきた。それは総合商社を辞めて色々な仕事に転職した後、職歴の最後に広告代理店のアサツーディ・ケイ(ADK)に辿り着くまで続けてきた。もちろんこの約40年のサラリーマン生活を通じて米国に駐在するなど、海外とのビジネス交渉が仕事の中心となり夙に僕の英語の力が発揮され、それが周りに知られるようになったのは自然の成り行きだったが、英語を売り物にすることはついぞなかった。
ここまでが前置きである。外国語はどの言語もそうだと思うが、まず第一に母国語に対する執着と愛情がなければ上達しない。英語の習得に懸命になればなるほど、母国語の日本語の感性も磨かないと壁にぶち当たるのが現実だ。自然と英語の上達と同時に日本語の上達を求めるようになるのが常だと思う。そこで最近の日本語の造語(英語ではcoinageと称する)の乱造が気になるのである。造語に話を移す前に、そもそも最近の日本語は美しくない。耳障りな響きの表現が多いと感じる。
和製英語に話を移す前に、頭に浮かぶテレビ番組でも頻繁に登場する「耳障りな」日本語表現の代表例を幾つか紹介すると、まず「気づき」「振り返り」という言葉。「彼の発言には多くの<気づき>があった」「この中での<気づき>は…」の類である。「振り返り」については「さてここで<振り返り>です」「<振り返り>をするとすれば。。。」この言い回しが便利なのは判る。でも何とも語感が美しくない。こんな日本語は一体いつから誰が使うようになったのか?「彼の発言には多くの示唆があった」と何故言わないのだろう。「この中での留意点は」ではないのか?文脈によって異なるが「振り返り」は本来の「反省点」「着目点」だったり「留意点」とした方が奇麗に聞こえるのではないだろうか。「英語屋」の僕としてはこのような日本語の「進出」は耐えられない。元々美しい響きのあった「寄り添う」「向き合う」という表現が乱発され二言目には「弱者に寄り添った政策」だの「その課題に誠心誠意向き合う」のような形で乱用され、具体的な内容を曖昧化する為の道具として使われるようになっているのも嘆かわしい。又、かなりベテランの秘書でさえ「(書類を)お送りします」の代わりに「お送りさせて頂きます」と間違った日本語を平気で使うようになってしまった。次に本題の英語のように聞こえて本来英語から来た言葉ではない例をご紹介しよう。
「セクハラ」が英語のsexual harassmentから来ているのは皆さんご存知の通り。ここまではよいとして、「パワハラ」power harassmentは英語か?という疑問をお持ちの方がおられると思う。答えは、これは英語ではなく日本で生み出された英語のように聞こえる和製英語である。最近は余りにも頻繁に使われるので英語国民もこれが日本で何を意味するのか分かるようにまでなってきたが、元来、英語では同じような状況をworkplace bullying(職場での虐め)とかabuse of authority at workplace(職場での権力の乱用)のように表現する。英語の記事の中には「日本ではpower harassmentという英語で表現する」と註をつけているものもある。そうなるとそもそも聞いた途端に何のことか立ち止まって考えないと分からない程度に粗製乱造されている造語の「カスハラ」「モラハラ」「マタハラ」などは推して知るべし、当然英語オリジンではない。この辺の造語がテレビ番組でも「知っていて当然の如く」乱用されている現実を読者の方々はどう受け止めておられるのだろうか?以下1つ1つ英語ではそもそもどのように言うのかを検証してみる。
「カスハラ」customer harassmentは英語では本来customer abuse(客の罵倒)とかexcessive complaints by customers(客の過剰クレーム)が普通。次に「モラハラ」moral harassmentはどうか?これは「人に感謝をしない」「礼を言わない」「無視する」などを言い表す総称だとされているが、となれば英語ではemotional abuseとかpsychological abuseに近い概念で、「心理的な虐待」を意味する。英語だとよく登場するこのabuseという言葉が「悪態」や「虐待」に当たる。
「マタハラ」maternity harassmentは妊婦に対する(職場などでの)嫌がらせを指す概念だが、ここまで来ると殆ど知られていないレベルなのでmaternity harassmentと言ってみても恐らく英語では通じないだろう。英語ではpregnancy discrimination(妊婦に対する差別)と全然違う言葉が存在する。
読者の中には「だからどうした。日本語で通用すればそれでOKではないか。」とお考えの方がおられるかもしれない。私もここに善悪の価値判断を持ち込もうとは思わない。普及してしまえばそれを受け止めるしかないとも思う。少なくとも英語オリジンではないし、英語として使ってみても通用しない、或いは不自然であることは日頃頭に入れて使って頂きたいと思う。
面白い類似の和製英語を3つご紹介しておこう。
今日も好きな土曜日の旅番組「旅サラダ」を見ていたら、早速食レポのアナウンサーが連発していた言葉。「ボリューミー」。「出た!」と思った。「この鰻丼はボリューミー」「このアップルパイはボリューミー」とやっている。これも誰が発明したのか不明だが、量の多い食べ物を「ボリューミー」と平気で称するようになってしまった。学校英語で習ったと思うがvolumeの形容詞はvoluminousでありvolumyという形容詞はあり得ない。嘘だと思ったら英和辞典を引いてみて欲しい。
同様にほぼ定着した感のあるインチキ英語が「スリッピー」である。「今日のピッチ(グランド)はスリッピーだから気をつけないといけない」という文脈で
「滑りやすい」の意味で多用されている。プロのサッカー解説者やプロのアナウンサーですら「スリッピー」を乱発しているから泣けてくる。再び英和辞典の登場だ。slip「滑る」を引いてみたらその形容詞はslipperyとあるはずだ。
日本でVIPを「ビップ」と発音するのも笑える。VIPは「ブイ・アイ・ピー」であって決して「ビップ」ではないし、ロサンジェルスを表すLAXも「エル・エイ・エックス」であって「ラックス」とはならない。「化けの皮が剥がれる」「正体をばらす」という趣旨で「私、カミングアウトしました」の如く使われるようになったこの「カミングアウト」にもうんざりする。メジャー中継でよく登場する「ハイタッチ」も和製英語で、英語だとhigh five/high ten。探せばまだまだおかしな和製英語は沢山あるだろうが、紙幅の関係で今回はこの辺に留めておこう。
私は粗製乱造される新語には些か食傷気味で、本来の日本語の美しさはどこに行ってしまうのか心配している。便利だが語感が「汚い」新語を使う代わりに本来の日本語の伝統的な表現の中により適切な言葉がないか模索すべきだと考える。それには母国語である日本語が好きで、そこへの探求心がないといけない。
読書をしなくなった若者が多いようだが、読書は重要なポイントだ。美しい日本語に接する機会が増えなければ、自分の日本語は磨かれない。私のような英語の徒も英語を磨く為に日本語を磨こうとの意識が強い。
木戸英晶(IMAGICA GROUP 顧問)