シリーズ ラジオ100年 Ⅳラジオ記者一年生の記

 今(2025年7月)から、ほぼ60年も昔、1966年夏の朝、5時。NHK仙台放送局の報道デスク近くの壁にかけてあったラジオから、静かに、ゆっくり音楽が流れ始めた。木琴がチャイムのような音を奏でている。当時のNHKラジオ放送の一日の始まりを告げるものだった。
 前夜から泊まり勤務で仮眠をとっていた私は、ソファーベッドから起き上がる。この時、私はNHK放送記者一年生、新人としてNHK仙台放送局に赴任してまもなくだった。チャイムが終わると、私は報道デスクの上の電話器をとって、仙台市内の4つの警察署で、やはり宿直に当たっている警察官に「昨夜から今朝まで何かありましたか?」と問いかける。“警電”(警戒電話?)と言われるもので、実は、仙台市内にある新聞各社の泊まり明け記者も同じように“警電”を入れる。朝のルーティンの一つだ。
 新聞記者と放送記者。長い歴史を持つ新聞記者に比べ放送記者の歴史は短い。NHK放送記者は、1951年10月、先ず、ラジオ記者として誕生した。太平洋戦争で勝利し日本を占領したアメリカが日本の戦前の報道統制を変えて、自由な言論を導入しようとした事もきっかけの一つだった。
 当時のラジオ記者たちは多くを新聞記者から教わった。当時、東京・内幸町にあったNHK放送会館では新聞社から派遣された社会部記者らによる研修が行われた。ただ、次第に新聞と放送との違いがはっきりしてくる。ラジオから耳に伝られるニュースは短く「です、ます」で表現された。そして、どんなに難しいニュースでも小学生が理解できるようにわかりやすくとされた。特に「小学生に理解できるように」というのは難問だった。今でも難問だが。
 さて、私がNHKに入るより早く、1953年10月にTV放送が始まっていた。しかしニュースの世界では、依然として私達、放送記者が書くラジオ原稿が軸だった。カメラマンが撮ってきた事件映像は放送記者の原稿を“シナリオ”として編集されオンエアされた。アナウンサーは記者が書いたニュース原稿をそのまま読む事とされた。いわゆる“楷書”のNHKニュースだった。つまらないが客観報道の典型だいう人もいた。
 だが、私が放送記者になって5年もすると、1970年代前半、本格的なTV時代がやって来た。映像が視聴者に与える強い印象、速報性、そしてドキュメンタリー番組による問題の掘り下げは、ラジオには全くないものだった。それはかってNHKが手本とした新聞記事の追随をも許さないところがあった。この問題の背景には、新聞記事が次第に個性を失いジャーナリズムの姿が見えにくくなってきた事もあるかもしれない。
 そして時代は進んで今や21世紀。デジタル電子媒体が登場してきた。そこでは、個人が情報を発信するという。放送記者とは新聞記者とは何か?
 ほぼ60年前、私はジャーナリズムに憧れ、いわば“天職”として放送記者の世界に入ったつもりだった。だが、今や、デジタル電子媒体が時として得体の知れない“主張“ をばら撒く時代を迎えている。改めて「放送記者とは新聞記者とは何か」と問いたい。
瀬下英雄(元NHK記者)

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