東京・港区のJR新橋駅前。いわゆる機関車広場では、時折、古本市が開かれる。とある書店の籠の中に放りこまれていたパンフレット「内閣情報局編纂『写真週報』」を手にした。なんと82年前「昭和17年(1942年)6月17日号」とある。25ページあるがめくるうち、ページが今にも粉々になりそうだ。この号は、国民に日本国債(戦時国債)の購入を呼びかけるもので、裏表紙に「報国債権」の値段とともに攻撃に向かう3機の爆撃機の図柄があしらわれている。
歴史的にみると、日本国債は廃藩置県が行われた1871年(明治4年)、各藩が藩民から借りていた債務を明治政府として引き受けた事に始まる。国債とは、日本国民が購入して国を支えるという位置付けだ。
そして、日本国債の最初のピークは、太平洋戦争(大東亜戦争)を支えた戦時国債の発行だった。「支那事変国債」などと名称は次々に変わったが、日本国民がすすんで、時に押しつけられて買った。日本が戦争に負けた時、戦時国債の発行残高は、当時の日本の国民総生産の2.6倍に達したとされるが、ほぼ全てが紙屑となった。
太平洋戦争の敗戦からまもなく80年。2024年時点での日本国債の発行残高はおよそ1000兆円、やはり国民総生産の2倍以上に達している。日本国債の発行史上、第二のピークかもしれない。特に、2012年にスタートした第二次安倍政権による異次元緩和では、“異常”な勢いで国債を発行、日銀が買い上げていった。今日、日銀が保有する国債(580兆円)は日本国債発行残高の50%をはるかに超える。
実は、政府が発行する国債は、先ず都市銀行などの金融機関が政府から購入して、日銀に売却する。その購入原資は、預金など国民の資産だ。つまり、日本国民は銀行などを通じて国債を買っている。国を支えている。その構造は戦時国債と同じともいえる。
さて、今日、岸田政権は日銀による異常な国債保有を正常(第二次安倍政権以前の状態)に戻そうとしている。国債の買い上げ額(月間ほぼ6兆円)を少しでも減らそうとしている。つまり、日銀に代わる買い手が必要なのだ。
だが、少なくとも二つの課題が突きつけられている。今のところ、市中銀行などは“新しい”買い手として日銀の肩代わりをする姿勢をみせている。しかし、一方で長期的にみた時、かなりのスピードで進む日本の人口減少は銀行預金などの伸びを鈍化させて、国債購入原資の確保に影響を与える事になりそうだ。国債購入には限界がある。
もう一つの課題は円安だ。日本円は、実は、第二次安倍政権(2012年12月スタート)のほぼ1年前、2011年10月31日に1ドル75円32銭という円高をピークにこれまでのほぼ13年間、安い円の道を辿ってきた。アベノミクスは円安にドライブをかけた。海外、特にアメリカなどとの金利差といった一時的な原因を超えて、日本経済の弱さなど構造的な問題が円安の背景にあり、円安の長期化が、日本人の国債購入にも影を落とす。
既に日本の富裕層などの間には、巨額の資産を外貨(ドルなど)に替えてタックスヘイブンに移すなどの動きはあったが、一般国民の間でも、今や外貨で資産を持つという傾向がはっきりしてきた。例えば、新NISAなどの最近の人気は、安い円に見切りをつけて外貨を持とうとする一般国民の動きの一つだ。そして、これは、実は、市中銀行での円預金の伸びにも影響を与える。ドル預金シフトが見られる。
日本国債の発行管理に責任を持つのは、財務省理財局だが、そのトップが、先月(7月)4日、外国通信社ブルームバーグニュースのインタビューに「(日本国民だけでなく)外国人向けにも投資セミナーを開催して、国債の買い手を求めて行きたい」という趣旨を述べた。日本人が日本国債を買わなくなる時が迫っているのかもしれない。
陸井叡(叡Office)