◆「新時代」初の連立政権発足
南半球の初冬の透き通る空に、次々と打ち上げられる21発の祝砲が轟いた。「国民統一政府(GNU)の樹立は極めて重要な瞬間。新時代の始まりだ」。6月19日、南アフリカの首都・プレトリアで開かれた大統領就任式典で、ANC(アフリカ民族会議)率いるラマポーザ大統領はこう語った。
1994年、アパルトヘイト(人種隔離)政策が廃止されてから初めての全人種が参加した選挙で、ANCはネルソン・マンデラの指揮のもと政権を取り、以来30年にわたって過半数の議席を維持してきた。その「絶対与党」の得票率が、5月29日の総選挙(下院・400議席)で40.18%にとどまり、初めて過半数を割り込んだ。政権を保つため、第二党(得票率21.81%)で白人が支持母体のDA(民主同盟)など、イデオロギーの異なる5党での連立を余儀なくされた。
この結果を、ラマポーザ氏は「国民は、指導者らが協働すべきだという期待を明確に示した」と謙虚に受け止めた。単独統治を終焉させたのは、是正されない格差や、汚職の蔓延、経済の停滞などによる求心力の低下だった。「マンデラ神話の崩壊」。民主化後、ANCが圧倒的な権力を握ってきた南アフリカ政治史は、転換点を迎えた。
◆注目集まる親パレスチナ路線の行方
1990年、マンデラがパレスチナ解放運動の指導者・アラファト氏と抱擁する報道写真が世界を駆け巡った。白人政権下で、反アパルトヘイト(人種隔離)運動を主導した「政治犯」として27年間収監されていたマンデラが釈放されてから、わずか数週間後のことだった。マンデラは、熱心なパレスチナ支持者としても知られる。
当時の南アでは、約1割の白人が国土の大半を所有し、黒人をわずかな土地に追いやって支配した。パレスチナ自治区では、いまもイスラエルによる侵略が続いていて、アラブ系の住民は命さえ奪われている。南アとパレスチナは、約6400kmの距離を隔てていながら、「土地を追われて隔離され、迫害を受けてきた」という物語を共有していて、パレスチナに心を寄せる南アの黒人は多い。
ラマポーザ氏も「パレスチナの人々との連帯を誓う」というメッセージをたびたび発信しているし、投票所にも「パレスチナカラー」を身につけた有権者の姿があった。ヨハネスブルクの市街地では、パレスチナへの共感を示す落書きにもしばしば出会う。ガザ地区への攻撃をめぐって、南アがイスラエルを国際司法裁判所に提訴したのも頷ける。
ところが、この選挙結果を受けてマンデラの党・ANCは、欧米寄りの立場をみせるDAなどと連立することになった。脈々と続いてきた「親パレスチナ路線」の外交方針の行方に、目が向けられている。
◆試される「虹の国」の底力
「DAが新たな連立政権の中枢をなすことで、南アは予想を覆して希望に満ちた新章を書き加えようとしている」。DAの白人党首・スティーンハイゼン氏は、前のめりだ。
30年前、マンデラは「黒人も白人も、全ての国民が堂々と歩める『虹の国』をつくる」と宣言した。これを象徴するように、国歌は11の言語で歌われる。政治分野での女性の進出もめざましく、昨年時点で南ア国会を占める女性議員の比率は46%。WEF(世界経済フォーラム)による南アの最新のジェンダーギャップ指数は18位で、118位に沈む日本より100位も順位が高い。この多様性に満ちた国なら、人種も信条もさまざまな党の連立もうまくいくのではないかという期待感もある。
一方で、近頃は「白人を殺せ」などと過激な主張を繰り返す急進左派EFF(経済的解放の闘士)が国会で存在感を顕わにしていて、「分断」の片鱗もうかがわせる。また、連立政権が樹立されたものの、政策や主張のすり合わせが本格化するのはこれからだ。対パレスチナ外交をはじめ、ラマポーザ氏の手腕が問われる。マンデラが目指した「虹の国」は、いままさに試されている。
◆勝ち取った民主主義 未来掴むことを諦めない南ア国民
選挙からおよそ1ヶ月。この国らしい、抜けるような青空の清々しい天気が続いている。議会の力学が変わったことによる政情不安定や暴動などを懸念する人もいたが、心配は杞憂に終わった。この数ヶ月、街の人に話を聞くとみんなが身の回りの政治について話をした。投票日には、家族で投票所を訪れた有権者が整然と列を作り、一票を投じる時を待っていた。長い闘いを経て、民主主義を掴み取った国だ。日本の都知事選でみられたような卑猥な選挙ポスターもなく、「お仕着せ」の民主主義との格の違いを見た気がした。
旧黒人居住区・ソウェトで話を聞いた、ANC支持者のことばが胸に残る。最近の政権の腐敗や汚職についてどう思うかと水を向けると、ある男性は「大切なことは、自分たちがどうやって南アフリカをいい国にするかなんだ」と、声を大きくした。長年信じて支えてきたANCの綻びから目を背けたいのかもしれない。でも、「南アフリカをいい国にする」という彼のまなざしはまっすぐで、「お上」がどうあろうと自分たちで未来を切り拓くんだという静かな意志に満ちていた。
神谷美紀(元東海テレビ記者)