TV60年 デジタル時代でも不変のもの──NHK報道カメラマンの追憶

 3・11東日本大震災、NHKの鉾井喬カメラマンは、仙台空港で地面から突き上げられ揺さぶられる大地震に見舞われた。空港に大津波が押し寄せる前に間一髪で逃れたNHKヘリコプターは鉾井カメラマンを乗せて空港を離陸し仙台平野の上空へ向かった。

人々は家から逃げ出し、道路は車の列、高台に駆け上る人も見えた。
海を見渡すと黒い筋と白煙を伴った大津波が向かってくる。あっという間に大津波は防波堤、港を乗り越え街に襲いかかた。なんて恐ろしい地獄の惨状だ。
 鉾井カメラマンはヘリの燃料が続く限り無我夢中で収録した。住宅や車を飲みこみながら突き進む大津波の映像は、瞬時に全世界に衛星中継され、テレビ史上初めて大災害、大津波のライブ映像となった。(2011年日本新聞協会賞受賞)
 また避難途中の数多くの市民が、息も飲こむ極限のなか、小型ビデオカメラで“高台を目指して必死で避難する人たちの”“叫び声”や響き渡る警報のサイレンを取材し、更に家を飲み込み流してしまう大津波の現場を写し、その素材が市民からNHKに提供され、ニュースや特集番組として放送された。

この映像は災害・防災報道にとどまらず今後の防災対策に貴重な記録と教訓を与えてくれた。
 いまやビデオカメラは、手の平に乗る小型・自動化され、ハイビジョン同様の高画質で、しかも廉価になって市民の日常的なツールになった。そして誰にでも、何時でも、事象を捉えられるようになり、放送やインタ-ネットに参加できる時代となっている。
   
 テレビニュースの初期昭和30年代、16㎜フイルムカメラで撮影、現像、編集してニュースをこつこつと制作した私は、一連の東日本大震災の映像が瞬時に全世界に伝送され、また、市民が撮った貴重な映像を活用し構成された番組を見て、いま、ますます進歩し発展する放送に隔世の感を抱いた。

 テレビ放送開始60年にあたり、当時の報道カメラマンがフイルムニュースに刻まれた経験と蓄積を振り返ってみた。
テレビニュースの初期昭和30年代、テレビは白黒、撮影する機材は16mm映画カメラである。主に使われたカメラはベルハウエル、アリフレックス、オリコンの3機種であった。
 ベルハウエル・フィルモカメラは米国製で、広角、標準、望遠の3本の単レンズをターレットで回して使い分け、ゼンマイをギリギリと巻いてフイルムを回した。2分50秒ほど撮れる100ft巻のフイルムを装填し、ゼンマイ一杯に巻いて20~30秒ほどしか撮れなかった。ニュースの1カットは平均5~7秒なのでニュース取材ではまず間に合い、故障も少なくベーシックカメラとして重宝に使われた。アリフレクスはシャッターがミラーで、レンズを通した像がそのままファインダーで見えて広角から超望遠レンズまで使え、電池でフイルムが廻るので長いカットも撮れ、スポーツ撮影などに重宝された。ドイツ製らしく信頼度の高い機械であったが、高価でカメラマン全員の共用であった。台数にも限りがあり、ある時にはカメラマンのなかで取合いにもなった。
 絵と音が同時に収録できる米国製のオリコンカメラは国会取材、インタビューなどに用いられ400ftフイルムで約12分間収録できた。カメラ、録音機、マイク、コードと1人で運べない重さで音声マンか助手と共に行動した。
 16㎜フイルムは米から輸入したコダック、デュポンと国産のフジフイルムで、値段も少し安く比較的トラブルの少ないフジをよく使った。ネガフイルムの現像時間は約7分、それからポジ像にプリントすると1時間ほどかっかので、ニュースではネガフイルムをそのまま放送装置で電気的にポジ反転して 放送した。
 カメラマンはニュースを映像で表現して伝えるのが仕事の本質であり、それに全能力を注ぎ込みたいが、カメラが手動で距離、露出を正確に合わせて撮影する難しい職人的な技術も必要とした。
いま電子技術が高度に発達し何もかも自動が当たり前のデジタル社会から、アナログのフイルム時代の仕事を見ると、遠い昔の「石器、縄文時代」の話ようにも思える。
しかし、ニュースの何時、誰が、何処で、何で、何をした、の5Wの原理はテクノロジーが進化・発展した時代になっても不変である。
岡田 多生(元NHKカメラマン)

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