シリーズ コロナ禍の米国オンライン留学で何が起こったか?  第1回 爆発的感染拡大でオンライン留学となるまで

<憧れのアメリカ留学とコロナの拡大>
 その頃、私の心は希望に溢れていた。長年憧れていたアメリカの大学院に短期間とはいえようやく留学できる。大学を卒業して以来30年近く記者生活に追われているうちに、留学して何を勉強するのかという目的を見失いかけていた時もあった。しかし、大学の学部生時代に2年間アメリカに留学したことがあり、その時の視野が突然広がる感覚――自分の今までの考え方はあくまでも生まれ育った国や性別などからくる一定の狭いフレームワークによるもので、それに固執する必要はないのだという自由な感覚――をもう一度体験したいと思っていた。
だが、そうした夢や希望は突然不安に変わった。2020年が明けてまもなく、新型コロナウイルス感染症が瞬く間に世界中に拡大したからである。
コロナ禍が始まる前の年、私は勤めていた新聞社を50代半ばで退職した。報道分野で長く働くために、自分の専門である経済産業分野の理解をより深めるために慶應義塾大学のビジネス・スクールに入学したのだ。ここを選んだのは、海外の多くの大学と交換留学プログラムがあったからだ。運よくシカゴ大学ビジネス・スクールに留学が決まったのは、コロナが拡大する少し前だった。
 中国湖北省武漢市で発生した新型コロナ感染症は、2020年1月下旬には日本にも感染者が出たことが報道された。最初は局地的な感染で収まるかに思えたものの、2月にクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号で集団感染が発生したのを皮切りに、寄港先の日本でも急拡大。その後、イタリアなどでの感染者の急増を経て、アメリカでも感染による死者が急激に増加していった。
 そんな感染の拡大の報道を、当時とても不安な気持ちで追っていたのを覚えている。交換留学はアメリカの秋学期(9月~12月)。8月には渡米をしなければならない。「感染はそれまでに収まるのか」「いつワクチンは接種可能になるのか」「そもそも果たしてアメリカに入国できるのか――」そんな不安を、とにかく目の前の勉学に集中することで打ち消すしかなかった。慶應のビジネス・スクールでは、通常第二学年の約一年間をかけて修士論文を書くところを、留学予定者は留学が始まる前の8月までに論文をまとめないといけなかった。時間の余裕はなかった。

<学校によって分かれる対応>
 そうこうするうちに留学提携校がコロナ禍での交換留学プログラムへの対応を決定し始めた。この対応がまちまちだったことも、自分の留学はどうなるかという不安をあおる結果となった。
 たとえば、フランスのグランゼコールの一つであるエセック経済商科大学院大学の場合は早々に留学生ビザも学生証も発行し、慶應ビジネス・スクールから留学予定の同級生3人は渡欧に向け着々と準備を進めていた。一方で、アメリカのダートマス大学ビジネス・スクールは、この年の交換留学プログラムをすぐさま中止した。ダートマスに留学予定の学生はヨーロッパのまだ定員が空いている学校への振替を余儀なくされた。こういった留学プログラム自体の中止決定に対し、「危機の時に学校側の本当の姿が出る。せめてオンラインで教育の継続に努めるのが教育機関の責任ではないのか」と激怒する慶應の教授もいた。
 一方、私が行くはずのシカゴ大学ビジネス・スクールは、例年、交換留学プログラム受け入れの正式決定が他校よりも遅いらしく、私はコロナの拡大を横目に見ながら今か今かと決定を待っていた。シカゴ大学の対応を待つ間、中止の決定が降りた場合に備えて、慶應の留学プログラム担当職員から、「ドイツのビジネス・スクールの定員がまだ空いている。受け入れに前向きなので、シカゴ大学を辞退してドイツに申し込む気はあるか」との問い合わせを受ける。結論から言うと、私はこの提示をお断りした。ドイツは美しい国だし、滞在するのは楽しいに違いない。しかし、アメリカのビジネス・スクールで学ぶことを目指していたので、少しでもまだその可能性があるなら簡単に諦める気にはなれなかった。

<ついに決定が下された>
 6月30日、ついにシカゴ・ビジネススクールのラグラム・ラジャン学長による秋学期の対応に関するアナウンスメントが大学のウェブサイトに発表された。
 そこには、まず秋学期はDual-modality、つまり対面とリモートのハイブリッドで行い、どちらにするかは担当教員が判断する、とあった。そして、「海外留学プログラムは秋学期は行わない」との文言があった。
私は慌てて学長宛てに懇願のためのメールを書いた。多少誇張してでも熱意を伝えなければと思い、いかにこの留学プログラムが自分にとって大切か、いかに交換留学の審査が大変だったかを訴え、せめてオンラインでも授業に参加させてほしいと訴えた。
しかし、私は早とちりをしていたようだった。後でわかったのだがこの発表の意味は「対面では交換留学生は受け入れない」という意味だったらしい。私の学長への嘆願メールはシカゴ大学の留学プログラム担当職員のジェシカに転送されたようで、彼女から私宛にメールの返信があった。シカゴ側からは3つの選択肢を提示された。一つはオンライン留学、もう一つは次の学期(冬学期)への留学の繰り越し、そして最後は留学辞退。繰り越しは慶應が認めないと言う。仕方なく秋学期にシカゴ大学にオンライン留学することにした。

<理不尽な結果>
 留学先に渡航できるか否かについては、理不尽に感じたこともあった。
というのは、6月に入ってからだと思うが、海外留学を予定する日本人学生に対して文部科学省が「感染症危険情報レベル3の(外務省による「渡航中止勧告」が出ている)国・地域への留学は取り止めること」という通知を発表したのだ。これを受けて、慶應も他大学と同じく学生の渡航制限の方針を打ち出し、慶應ビジネス・スクールの教授会でも渡航制限が決定された。
当時は、アメリカやヨーロッパの多くの国が「レベル3」の指定を受けていた。この結果、留学受け入れ先の準備が整っていたフランスなどのビジネス・スクールへ向けて旅立つ準備をしていた同級生達が、オンライン留学を余儀なくされた。
 もちろん、2020年はまだワクチン接種も可能ではなく、渡航することによるコロナへの罹患リスクはゼロだったわけではない。渡航しても、滞在先でオンライン授業を余儀なくされたかもしれない。しかし、特にフランスの場合は、受け入れ先のビジネス・スクールが留学ビザも発行して受け入れる準備ができていた。アメリカでも、日本の大学・大学院から派遣される交換留学生ではなく、アメリカの大学・大学院に直接入学した日本人学生は渡航していた。現地に渡航することで、初めて街の様子、人々の生活の様子などを体感することもできる。そのような機会を自国の政府に強制的に奪われるのは、なんとも納得がいかない状況だった。
中田浩子(ジャーナリスト)

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