マラソンリポート ~37回ユニファイドランに参加して~

新しい年が始まりました。すっかりご無沙汰していますが,いかがお過ごしですか。私は昨年12月8日の日曜日,神宮外苑の周回コースを走るユニファイドランの10キロの部に参加してきました。久し振りのマラソン・レポートです。

ユニファイドランは神宮球場をスタート,ゴールにして,10キロの部は絵画館や新国立競技場周辺の周回コースを4周するレースです。37回と伝統があり,視聴覚障害のランナーも多数走ります。僕は足の骨折が治って,最初にこのレースからランニングに復帰しました。制限時間もゆったり取られているので,それ以来毎年参加し,今回で3回目になります。

この日は快晴無風。絶好のランニング日和です。神宮球場に到着し,バックネット裏のスタンドでゆっくりと着替えを始めました。周りを見ると,あまり寒くないからでしょう,若いランナーは皆,半袖のTシャツに短パンです。僕も半袖だけにしようかと思ったのですが,どこかから「年寄りの冷や水」なんて声が飛んできそうだったので,止めました。何しろ1か月前に後期高齢者の仲間入りをしたのですから。最後にスポーツサングラスをかけると,気持ちが引き締まりました。この気分がたまりません。

コースは神宮球場のグランドを1周して,外に出ていきます。9:45,スタートのピストルが鳴りました。僕はゆっくり,ゆっくり走りだしました。この秋は天候不順で長雨が続きました。当然練習不足です。本当は1㌔6分台で走りたいところですが、自信がありません。「とにかく完走、ゆっくり行こう」。ペースは㌔7分、そう目標を決めました。10キロで1時間10分です。ちなみに昨年の記録は1時間5分22秒でした。

骨折して以来,ランニングの調子には当然のごとく波があります。調子がいい時もあれば,足があまり動かないこともあります。仕方ありません。少しでも調子の波を抑えようと,スポーツトレーナーのKさんに1か月にほぼ1回,フィジカルケアをしてもらい,1年半くらい前からは東大駒場構内にあるQOM(クオリティ・オブ・モーション)ジムに通って,股関節の動きをよくする運動に取り組んでいます。どちらも帰途,姿勢や歩き方が変わっているのをはっきりと感じられるのがとても面白い。爺さんが走るには体の手入れがなかなか大変です。

球場を出ると,すぐ車道を走りだします。でも出たところのコースが狭くなっているものですから,しばし渋滞です。ようやく走り始めると,すぐ前方に完成なったばかりの新国立競技場が見えてきました。僕は以前から,五輪・パラリンピックを東京で開催する意義を認めていません。まして米TV局の意向で,夏の真っ盛りに開くなど,大反対です。でも僕の好きな隈研吾氏が設計した競技場には,思わず見とれてしまいました。

見とれながら走っていると,あっ,危ない!競技場をスマホで撮ろうと立ち止まっていたランナーに危うくぶつかりそうになりました。なんとか身を翻して,しっかりとランニング態勢に入ります。「頑張ってください」。コースの左側から,都内の大学の陸上部から動員されたのでしょう,大会のスタッフ女子3人がかわいい声で声援を送ってくれます。僕は軽く左手を上げて,通り過ぎました。

1キロの先からが,有名な外苑前の銀杏並木です。12月ですから銀杏の上半分は葉が落ちていましたが、残っている黄葉はなかなかです。冬の透明な空気を通し,真正面から朝日が射して,サングラスをかけていてもとてもまぶしい。スマホで並木の写真を撮っているランナーも結構います。

コースは青山通りの手前でUターンします。今度は真後ろから陽が射してきました。自分の長い影が前に伸びています。僕はその影が左右に揺れていないかチェックしました。ランニングにとって身体が揺れるのはマイナスです。大丈夫、上体はほぼ真っ直ぐ保たれていました。グランド越しに見える絵画館前の日章旗はダランと垂れています。全く風はなし。空は真っ青で、雲一つありません。

3キロあたりでようやく㌔7分の目標のペースになりました。その時です、後ろから追いついてきたランナーに突然、声をかけられました。「かっこいいTシャツですね!」。横を向くと速そうな若い女性です。「ジョギングクラブのユニフォームなんだ」と僕。「いつもそれを着て練習してるんですか?」「いや、レースとかイベントがある時着る。いいでしょう?」「素敵ですね」。1,2分でしょうか、そんな会話を交わした後、彼女は「じゃ、頑張ってください」と笑顔を見せながら走り去っていきました。

見ると、背中のゼッケンに番号でなく、「坂本直子」と書いてありました。ゲストランナーです。レースの後、スマホで検索すると、彼女は2004年のオリンピック日本代表のマラソンランナーでした。野口みずき選手が優勝したあのアテネ大会です。彼女は7位入賞でした。現役は引退しているようですが,こうしたレースを走り、市民ランナーを励ましているのでしょう。すごいランナーに声をかけてもらいました。坂本選手,ありがとう!

褒められたピンクの縦縞のユニフォームは,僕が5年位前から所属している地元のジョギングクラブのものです。クラブの名称はリーダーのIさんの頭文字をとってIJC。規約も決まりごともなく,ただイベント等に参加したランナーがメンバーというとても緩い組織です。Iさんの運営方針も「来る者は拒まず,去る者は追わず」。僕のような団体行動が苦手な人間でも入りやすいクラブです。

髪を短くまとめ,キャップを被った,ノースリーブのランニングシャツの女性ランナーが,僕の横を駆け抜けていきました。気温が上がっているからでしょう,肩にはもう汗が光っています。

創立後もう15年になるというIJCは緩い組織とはいえ,集まっているランナーはなかなかです。運動嫌いだったのに今やフルマラソンのサブスリー,つまり3時間切りの完走を狙っている50代の主婦。60歳からランニングを始め、世界6大マラソンを完走し、さらに100キロのウルトラマラソンを数回走っているお茶の先生。富士五湖一周や富士山を海抜ゼロメートルから駆け登るレースに挑戦しているサラリーマン。皆,ごく普通の人たちなのに,走っているうちにとんでもないランナーに変身しています。楽しさ,気持ちよさ,それに達成感が,いつの間にか人を高みへと連れて行くのでしょう。僕はクラブの最長老で味噌っかすですが,メンバーの話を聞いているだけで,自分もいつかすごいレースに挑戦できるかもしれない,という気持ちが湧いてくるから不思議です。

コースは絵画館前を過ぎると,新国立競技場にぶつかって右に曲がります。すぐそばを視覚障害ランナーが,伴走者と並んで走っています。「道が右に曲がります」。ランナーと繋がる短いロープを持った伴走者が声をかけました。すると見事に,スムーズにコーナーを曲がっていきます。目が不自由なのに,怖がらずスピードを出して走れるなんて,本当に凄い!様々な情報を声で伝えて誘導する伴走者にも感心します。

ペースはほぼ㌔7分。順調です。「がんばれ!」。大会スタッフなのでしょう,コース横の日の当たる場所に置いた折り畳み椅子に座っている中年の男性から声援が飛びました。「ありがとう!」僕も手を上げながら応えました。誰が声をかけてくれても,応援というものはうれしいものです。

2周目の半分を過ぎた頃でしょうか,ゼッケンに「先導」と書かれたランナーが走り抜けていきました。続いて数人が猛スピードで走っていきます。3周目に入っている先頭集団なのでしょう。とにかく早い。この時点で僕との差は距離にして4,5キロあるのでしょうか。でも彼は彼,僕は僕です。楽しみ方はいろいろある。僕は絵画館前の給水所で,ゆっくりスポーツドリンクをもらいました。

ランニングするには、着地から足底を蹴るまで膝を曲げてはいけません。しかし僕はそれがどうしてもできませんでした。しかも膝をしっかり伸ばした感覚もつかめていませんでした。でも2,3か月前でしょうか、東大ジムでトレーニングマシンを使っているときに、指導者のNさんとMさんのアドバイスでその感覚を初めてつかみました。膝を伸ばして走る、あるいは歩くにはどうしたらいいのかが少し分かりました。

膝を曲げないと、体重の移動がスムーズにできます。その結果、股関節の動きも良くなり、走りが楽になります。だからでしょう、練習不足だというのに、今日はランニングがとても軽く感じます。そうか、こういう動かし方なんだ!まだ完全ではありませんが、ようやくつかめた新しい感覚に嬉しくなりました。いつもの上体の前屈がありません。

3周目に入るとコース横に6キロの表示がありました。もう半分を過ぎています。僕は週3日程度、我が家の近くを流れる善福寺川沿いで練習しています。川沿いが緑地で、良いジョギングコースになっています。怪我をする前は、そのコースを10キロ走っていたのですが、今は大体6キロです。さあ、いつもの練習距離は終わり、残り4キロを頑張ろう!改めて気合を入れました。少し風が出てきたのでしょうか、大きな欅から何枚か落葉が散ってきました。

「最後の1周です。その調子で走りましょう!」。4周目に入る時に、大会スタッフから応援の声がかかりました。相変わらず、冬の陽がいっぱいに射しています。銀杏並木を過ぎたところを若い女性ランナーが歩いていました。追いついた僕は思わず声をかけました。「もう少し。頑張って!」。横を向いてニッコリ笑ったランナーは「有難うございます。前から痛かった膝が、また痛くなっちゃって」「無理しないでね」。そう言って、僕は追い抜いて行ったのですが、しばらくすると「お先に!」。今度は逆に彼女が僕を追い抜いていきました。

「最後の給水です。これを飲んでラストスパートしてください」。絵画館前の給水所でスポーツドリンクの入ったカップを差し出しながら、スタッフが叫んでいます。「有難う!」僕は受け取ると同時に「よし、行くぞ!」と大きな声で叫びました。別のスタッフが「おとうさん、もう少し!」と励ましてくれました。「おじいさん」と言うのは、遠慮したのかな。

9キロの表示が出ています。残り、あと1キロ。そこからペースを㌔6分台に上げ、遅くなったランナーを追い抜いていくことにしました。まず1人、すぐにいっぺんに2人。前方にエンパイアステートビル型の電波塔が青空に真っ直ぐ立っているのが、見えます。折り返し地点でUターンすると、後はゴールを目指すだけ。また一人追い抜きました。

神宮球場の前には応援の人たちが増えて、声援を送ってくれています。手を上げながらそれに応えて、球場の中に入りました。ゴールまで後100メートル。結局、11人抜いてゴールラインを越えました。やったー!青空のもと、本当に気持ちよく走れました。タイムは1時間11分55秒。ほぼ目標タイム通りです。完走証をもらいに行くと、スタッフは「ブルー・レッド・アンド・ブルー」の細いラインが入った真っ白なトレーニングウエアの母校の競争部の学生でした。「僕は大先輩だ」。そう言うと、ニッコリ笑いながら記録が刻印された完走証を渡してくれました。

70歳で走ったボストンマラソンのレポートの最後に、僕はこんなことを書きました。「75歳ではどこを走っているでしょう。ロンドン、ベルリン、あるいはモンゴルの大草原かもしれません」。その夢はかないません。もうフルマラソンは無理でしょう。いや、いつ走れなくなるか分からない。でも可能な限り走り続けるつもりです。これからは距離にはこだわらず、例え10キロでも、気持ちよく、楽しく、自分の納得いくような形でレースに挑戦していきたい。そう思っています。

あっ、忘れていました。一つご報告があります。マラソンには関係ないのですが、この夏、朝日新聞の朝日俳壇に投句した僕の句が、高山れおな先生の3席に採られました。とても嬉しかった。俳句と先生の講評は次の通りです。

まぼろしの如き原発大西日  土肥酔山

講評:原発のみか戦後体制自体が幻だったとなりかねない昨今。

最後まで読んで頂き有難うございました。またいつか、お会いしたいですね。これから寒さが厳しくなります。どうぞお身体に気を付けて、健やかにお過ごしください。

彼は彼我は我なり冬日和     土肥 一忠(元時事通信記者)

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