<シネマ・エッセー> ヒトラーに屈しなかった国王 

ノルディック・スキーの本場、ノルウェーの国王、ホーコン7世(1872-1957)
は1902年に起きた八甲田山(陸軍)雪中行軍遭難事件の折に、見舞いとして明治天皇にスキー板を贈った親日家です。「スキー板があれば、このような事故は起こらなかったのでは」という趣旨で、ここから日本とノルウェーとのスキーを通じての交流が始まったそうです。
ホーコン7世は北欧の王家に育ち、普段は孫たちと鬼ごっこに興じる好々爺でしたが、第2次大戦勃発翌年の1940年4月、破竹の進撃を続けるヒトラーのドイツ軍がノルウェーの首都・オスロに侵攻するや、国王は政府閣僚と共に一斉に首都を放棄して北へ避難します。
ドイツ軍の攻勢が続く中、ヒトラーはドイツ公使、ブロイアーに「ノルウェー政府の閣僚ではなく、国王に直接会って降伏文書にサインを求めよ」と命令。公使は単身、ノルウェー王らの秘密の避難先へ乗り込みます。
勢いに乗って突き進むドイツ軍と違い、ブロイアーは外交官らしく、あくまで話し合いによって解決をしたいと、粘り強く国王に降伏を迫ります。戦闘はドイツ軍の優勢下にあり、国王一家も空爆を受けて危険が迫る中、苦悩の決断を迫られる王が最後に下した”究極の回答”は、政府=国民の決定した「徹底抗戦」でした。
「この国の未来は国民の総意で決まる。それが民主主義だ。」「民主主義に背くのならば、王室は解体すべきである。」ヒトラーに『No!』をつきつけた国王はのちにイギリスに一時亡命して、ドイツとの戦争を継続。運命の3日間、悩み続けた最後の結論は正しかったわけで、1945年のドイツ第3帝国の崩壊で、ノルウェーは結果的に戦勝国となったのです。
映画を見ていて連想したのは同じような決断を迫られた昭和天皇のことです。
ボツダム宣言を突きつけられた鈴木貫太郎内閣が、1945年夏、最後の御前会議で昭和天皇の「御聖断」を仰いだ時、当時の迫水久常・内閣書記官長によると昭和天皇は次のように語っています。
「陸海軍では本土決戦に勝つ自信があると言っているが、今の状態で本土決戦に突入したらどうなるか、自分は非常に心配である。あるいは日本民族は皆死んでしまわなければならなくなるのではなかろうかと思う。自分の任務は祖先から受け継いだこの日本を子孫に伝えることである。」「自分はどうなっても構わない。堪え難きこと、忍び難きことであるが、この戦争をやめる決心をした次第である。」
国王の<徹底抗戦>と、天皇の<終戦>との違いはあっても、最高権威者の苦悩の決断であったことに、変わりはありません。二つの決断は共にその国の歴史に大きな足跡を残し、今日に至っているのです。
エリック・ポッペ監督はこの映画の制作に4年間をかけ、膨大な文献を調査した上、史実に基づいて脚本を書いたそうです。国王役を演じたイェスパー・クリステンセンはアメリカ映画『007/スペクター』に出演中で、撮影時期が重なったため、ポッペ監督はこの映画の撮影を1年延期。その理由は彼が素晴らしい役者であるからだけではなく、ホーコン国王にそっくりで、余人をもって代え難かったからだそうです。
ノルウェーでは国民の7人に1人が映画を見るという大ヒットを記録。1967年と2015年制作の映画「日本のいちばん長い日」(岡本喜八監督、原田眞人監督)と対比して見ると、さらに面白いかも知れません。
磯貝 喜兵衛(元毎日映画社社長)

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