ミニゼミリポート 実名報道の是非と京アニ放火事件

2019年9月25日、「実名報道」というテーマのもと、2019年度第3回ミニゼミが、慶應義塾大学三田キャンパスで開かれた。実名報道は必要なのか、疑問や関心を持った学生が参加し、メディア・コミュニケーション研究所の担当教授、5名のジャーナリストと共に議論を交わした。

学生が実名報道について興味を持ったきっかけは、2019年7月18日、京都市伏見区の京都アニメーションの事務所で起きた放火事件だった。36人が死亡、被疑者を含む34人が負傷し、世に衝撃が走った。7月21日には京都アニメーションの担当弁護士が、京都アニメーションの社員、家族、遺族への直接の取材及び実名報道を控えることを求め、弔いが終わるまでは実名を公表しない旨を記した文書を公表した。京都府警は、弔い後、死者の実名を発表したが、あわせて遺族の多くは匿名を希望していることを各報道機関に伝えた。しかし、全国紙や放送各社は実名報道に踏み切り、ネット上に多くの批判が集まった。

議論は実名報道の意義というテーマで入った。学生から、なぜ実名報道を原則とするのか、という問いかけがあり、ジャーナリストからは、「事件や事故を記録として残すためには、誰が、という実名報道は不可欠であり、とりわけ、大事件、大事故では、死者の実名は皆が知りたい情報だ。」との説明があった。さらに「犯罪では、実名を出すことにより、より事件がリアルに感じられ、再犯防止につながるという効果もある。」とのことだった。

参加した学生の中からは、故人のプライバシーや取材にさらされる遺族の不安等を考えると、ネット上の批判にも一定の説得力があるのではないかという意見が出されたが、これには鈴木先生から「メディアが遺族に殺到する、いわゆるメディアスクラムは問題だが、故人の名前を出すことは、プライバシー侵害にはあたらない。報道目的の実名報道は、法律や裁判でも認められている。」として、実名報道についての基本を学生は押さえておくよう促された。

マスコミへの批判を強めるネットの言論とこれに対するマスコミ側の対応も、議論の焦点となった。学生からは、「ネットには、たとえばマスコミは自社の利益のために遺族に押しかけているといった偏見が強く、そもそも批判的バイアスがある。」「今回の事件でも、実名報道の意義は、ネット側にほとんど伝わっていない。」などとして、批判が広がった背景にマスコミ側からネット側への説明について、努力不足があるのではないか、と疑問を呈した。

これに対して、ジャーナリストからは「真実はネットにあり、メディアがそれを隠しているという風潮がSNS上にあり、妄言を含んだ意見が拡散されやすくなっている。」と、ネット言論の状況については学生と同様の見方が示された。一方、メディアの説明努力については、ネットの1人1人に説明していくことは現実的ではなく難しいとしながらも、社会に対して、日常の報道や取材活動の中で、理解を求めていくことの重要性が提起された。報道する側と報道される側の報道被害に対する認識の乖離を埋めていき、メディアの必要性がネットを利用する一般の人たちにもわかってもらえる努力を積み重ねることや、事件で亡くなった故人の名誉や尊厳を損なうのではなく、故人の人柄や業績を扱った記事や放送をきちんと取り上げていくことが肝心なことではないか、との言及があった。一方、山腰先生からは「今は、発信するのがマスメディアだけではなくなっている。プラットフォーマーに関しても社会的な責任を担うべきという声もある。」と、ネットを提供する側の責任についても触れられた。

議論の終りの方では、実名報道のあり方をめぐり、マスメディアは、今後、どう対応してくのか、変わっていくべきなのか、という点を中心に、議論が展開されていった。今後、被害者の実名報道は控えるべきではないか、という学生の意見に対して、ジャーナリストからは、被害者であっても、名誉に関わるような場合は、各社の判断で実際に匿名にして報道されており、警察発表も匿名化の流れが強まっている中で、実名報道の原則は変えられないことが強調された。そのうえで、犯罪者の呼称については、逮捕者はかつて呼び捨てだったが、その後容疑者という呼称を付けるようになった経緯をあげて、社会の変化に応じて、実名報道のあり方についても、メディア側として変わっていかざるを得ないし、少しずつ変わってきているのではないか、との認識が示された。

今回のミニゼミでは当初、実名報道に対して違和感を持ったり、実名にする理由がわからなかったり、批判的な視点を持っていたりした学生もいたが、議論を通じて、実名報道への理解はより深まったと感じた。澤井先生も、最後に「大変、深い議論で、非常に考えさせられた。」と、今回の議論を振り返られた。ネットの反応も含め、実名報道をめぐる社会の受け止め方の変化に、マスメディア側も敏感に対応しつつ、実名報道の原則は、貫き続けることが大切なのだろう。このテーマについては、今後もミニゼミ等で取り上げることを検討したい。

城谷 陽一郎(慶應義塾大学経済学部3年)

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