ハンタウイルス感染症が注目を集めている。背景には、アフリカ・カーボベルデ沖を航行していたクルーズ船で、ハンタウイルス感染が疑われる事例と複数の死亡例が報告されたことがある。これを受け、日本でも報道が増加したが、国立健康危機管理研究機構(JIHS)や厚生労働省は、現時点で「日本国内で大規模流行が起こるリスクは低い」との見解を示している。
JIHSは、2025年4月に発足した日本の新しい感染症・健康危機対応機関である。背景には COVID-19 パンデミックの経験があり、研究・医療・危機管理を一体化することを目的に、従来の国立感染症研究所(感染研)と国立国際医療研究センター(NCGM)の統合によって設立された。
ハンタウイルスは主にネズミなどのげっ歯類を自然宿主とするウイルス群で、ヒトは動物の排泄物や唾液に汚染された粉じんを吸い込むことで感染する。代表的な病態には「腎症候性出血熱(HFRS)」と「ハンタウイルス肺症候群(HPS)」があり、今回問題視されているのは後者である。HPSは発熱、筋肉痛、倦怠感などインフルエンザに似た症状で始まり、その後急速に呼吸不全へ進行することがある。致死率は40〜50%程度とされ、重症度は高い。
ただし、一般的なハンタウイルスは「ネズミからヒト」への感染が中心であり、ヒトからヒトへの感染は極めて限定的と考えられている。例外的に南米のアンデスウイルスではヒト―ヒト感染の報告があるものの、効率的な空気感染を起こす病原体とはみなされていない。世界保健機関(WHO)やJIHSも、「ヒトからヒトへの感染可能性はゼロではないが限定的であり、適切な感染対策により封じ込め可能」と整理している。
最新の国際機関の報告では、クルーズ船に関連した感染は、2026年5月下旬時点で計12例(うち10例確定、2例疑い)、死亡3例と整理されており、原因ウイルスは「アンデスウイルス」と確定された。各国で帰国後の追跡が続いているものの、現時点では感染の多くが「船内または寄港地での単一曝露」に関連している可能性が高いとみられている。WHOも、現時点で一般社会へのリスクは「低い」との評価を維持している。
今回の事例で重要なのは、「重症性は高いが、感染拡大性は限定的」という感染症が、グローバル移動社会の中でどのように管理されるかを示した点にある。クルーズ船、航空移動、多国籍乗客、各国検疫、情報共有といった要素が複雑に絡み合い、感染症対策はもはや一国単位では完結しないことが改めて浮き彫りになった。また、感染症当局が「強い警戒」と「過度な不安抑制」を同時に進めている点も特徴的である。これはCOVID-19初期に見られた混乱を踏まえ、「未知への警戒」と「社会的パニック回避」を両立させようとする現在の危機管理思想を反映している。現時点では、「高致死率=パンデミック」ではないことが改めて確認されつつある。今回の事例は、感染症リスクを一律に恐れるのではなく、その重症度や感染拡大性、社会的影響を分けて捉える視点の大切さを改めて示したとも言える。
福地俊(創薬研究者)