シリーズ ラジオ100年 Ⅵ 今日の話はきのうのつづき 

 ラジオ100年、それは昭和100年でもある。そして今年、敗戦80年。 

 思えば、戦前の20年はともかく、それからの80年をラジオに沿って、自身のほぼ80年を振り返れば、ラジオが始まっての4分の3ほどを、多少なりと意識して聴いてきたように思う。この夏、合言葉のようにいわれる「語り継ぐ」風に、その関りを綴ってみよう。同時代の人にとっては「ああ、あった、あった」の懐かし話に過ぎないが。 

 「物心」がいつ 頃ついたものか、定かではない。おそらく4-5歳、その頃から、ラジオはお友達だった。もちろん、まだテレビの登場以前の話。1950年代。聞いたドラマの筋書きなどは忘れてしまっているが、そのテーマソングは、いまでも諳んじることができる。いわく「鐘の鳴る丘」は、「緑の丘の 赤い屋根」が歌い出し、「鐘がなります キンコンカン♪」である。「笛吹童子」「紅孔雀」……。もっぱらNHKしかない時代から1951年には民間放送も始まった。思い浮かぶのが、まずはラジオ東京(後のTBSラジオ)の「赤胴鈴之助」。「剣を取っては日本一の………頑張れ、強いぞ、我らの仲間」。当時は小学生であった吉永小百合が出演していた、などとは知らなかったが。初めて大阪弁というのがあるのを知ったのは、花菱アチャコと浪花千栄子の「お父さんはお人好し」だった。また今ではほとんど聞かれない浪曲番組が「虎造アワー」をはじめ、「浪曲天狗道場」など結構多く聞いた。さらにクイズ番組もあった。「二十の扉」、「私は誰でしょう」などアメリカの番組をリメークしたものも、長く人気を集めていた。 

 と書いていて、ラジオのクイズ番組に出演したことを思い出した。さて、どの番組だったか、思い当たるのは、ラジオ東京の「ぴよぴよ大学 」であったようだ。小学校6年で学校から、もう一人の同期生と指名されて出場したのだった。河井坊茶扮する「チキン総長」が、科学に関する様々な問題を出題。その選択肢について、「オンドリ博士」「メンドリ博士」「チャボ博士」と、鶏にちなんだ3人の専門家が、それぞれの見解について解説し、どれが正しいかを回答者が答えるというものだった。「オンドリ博士」を千葉信男という、でっぷりと肥えた人がやっていた、という記憶がある。その次第がどうであったかは忘れてしまった。 

 中学生になると、定番だったに違いない「百万人の英語」。ブラームス作曲の「大学祝典序曲」がテーマ曲として流れていた。「バレンタイン・デー」の由来を初めて知った、という妙なことを覚えている。この年代は、一方でテレビの番組も見たが、勉強時間と称してのもっぱらラジオ「ながら」族。今の天皇が皇孫として誕生した、との速報は「ながら」のラジオで聞いた。歌謡曲からヒットパレードまで、チャンネルを回して聞いていた。世は日劇ウエスタンカーニバルのロカビリーから和製ポップスへ。ザ・ピーナッツ、坂本九、森山加代子などがご贔屓だった。民放の深夜放送については、熱心なリスナーではなかった。 

 そんな中で、番組として一番面白かったのが、出来立てのラジオ関東(現:アール・エフ・ラジオ日本)の「昨日のつづき」という番組だった。当初は前田武彦、永六輔らが交代で執筆した台本に沿って、出演者のトークで進行する「普通の」番組の予定だったが、当時は民間放送の開局ラッシュ状況のなか放送作家の人数が少なく、引っ張りだこで執筆が間に合わないので、放送作家自身が出演、結果、「台本無しのフリートークで進行する日本初のラジオ番組」だったらしい。月ー金の午後10時25分からの10分間。当初のパーソナリティは前田武彦と永六輔。アシスタントは女優の冨田恵子。時は60年安保前夜。皆がいかにも自由闊達に政治を含めて切りまくる、というやりとりが痛快だった。番組の最後にアシスタントが語る「今日の話は昨日のつづき、今日のつづきはまた明日」というキャッチフレーズも粋だった。大橋巨泉の考案とされているという。永六輔は番組開始後の早い時期にスタッフと喧嘩別れして降板、複数のパーソナリティが日替わりで登場していたが、大橋巨泉で落ち着いた。 

 「ラジ関」ついでに、60年安保の最も激しかった6月15日の国会乱入事件の際の話。現場から在京各局でただ一局、これを実況中の島碩弥アナウンサーが、鎮圧に投入された機動隊隊員に殴打される模様を生中継。多くの聴取者に闘争の実態を知らせたことがあった。島アナウンサーは「機動隊に殴られました、暴力です。ただ暴力があるのみ、これが日本の現実です」とリポートした。実況を聞いていたわけではない、聞いた話。 

 その後、記者として外勤の折には、小型のラジオを携帯、定時や臨時のニュースを聞いた。それの最たるものが、88年秋から翌年の正月。昭和天皇の病状の推移のウォッチには、夜のベッドサイドのラジオをつけっ放しにした。午前零時で放送終了だったNHKが、24時間放送をしていた。それが、「ラジオ深夜便」に衣替えして以降は、再びつけっぱなしにしている。夜中に目覚めた際の、時計代わりになった。せめて今夜も、安らかな眠りと、快い目覚めを願って。今夜もラジオは流れ続ける。 

高原 安(元朝日新聞記者)

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