韓国の政治的混乱と大統領選挙

1)政治的混乱の続く韓国
 韓国は今、政治的混乱と分断の渦中にある。去年12月、ユン・ソンニョル大統領が宣言した「非常戒厳」は、民主主義に反するものとして大きな波紋を広げた。与野党の激しい対立が引き起こしてきた政治的混乱に拍車を掛けるものとなった。
 ユン大統領の弾劾訴追について、憲法裁判所が4月4日に妥当とする判断を示し、ユン大統領は直ちに罷免となった。ユン政権は残り2年の任期を残し、幕を下ろすこととなった。韓国大統領の罷免は、2017年のパク・クネ大統領に次いで2人目となった。また、ユン前大統領は内乱の罪にも問われて、現職の大統領として初めて逮捕・起訴されており、裁判の審理の行方も気に掛かる。
 韓国では、去年4月の総選挙で野党が過半数を大きく上回り、いわゆる「捻じれ国会」が政局を不安定にするきっかけとなった。ユン大統領としては、政局の不安定を打破しようと打ち出したとされる「非常戒厳」の宣言、現職大統領の逮捕・起訴、さらに「大統領罷免」という事態が相次ぎ、混乱は深まるばかりだ。
 混乱と分断の真只中、ユン大統領の罷免に伴う大統領選挙は6月3日に実施される。国内の混乱を収拾し、深まる分断を少しでも埋めること、また、混迷する世界にあって、先進国としての韓国がどのような役割を果たすのかが問われるだけに、今回の大統領選挙は大きな節目となろう。

2)罷免の背景と大統領選挙
 6月の大統領選挙の意味や争点について考える場合、ユン大統領が罷免された理由と背景をしっかり検証する必要がある。
 ユン大統領の罷免は、憲法裁判所の裁判官8人全員が一致して妥当と決定したものだ。憲法裁判所の決定は、非常戒厳の宣言は「憲法上の手続きに反して不適切」であり、「国家非常事態の基準」を満たしていないと指摘する。また、ユン大統領が非常戒厳の下、軍隊によって国会議員の拘束を図ろうとしたのは、民主主義の根幹を揺るがすものと断定している。
 一般に、非常戒厳は戦争や災害などの国家非常事態に宣言される。動員された軍隊が行政や司法を掌握し、言論や集会の自由といった基本的人権を制限するもので、民主主義とは相容れないものである。すでに先進国となった韓国の国情からしても到底理解できるものではない。また軍事政権下、非常戒厳が繰り返された韓国の歴史や国民感情からしても認めがたく、罷免はやむを得ないと言えよう。国内外に政治的マヒ状態を不用意に招いたことは、政治・経済、社会的に重大な責任を招くということである。
 一方、ユン大統領の主張について、憲法裁判所は次のように述べ、野党を戒めている。決定によれば、最大野党「共に民主党」が閣僚らの弾劾を22件発議したことに触れ、圧倒的多数の議席を背景に、「強引な手法は弾劾制度を利用した政治的圧迫」との懸念が生じると指摘する。さらに、「尹大統領と国会との対立は、一方だけの責任とは考えにくく…国会は少数意見を尊重し…寛容と自制を前提に対話と妥協を通じて結論を導き出すべきだった」と結んでいる。
 憲法裁判所の判断は、ユン大統領の非常戒厳の宣言自体が民主主義に反するとする一方、野党側の対応も民主主義の在り方を検討すべき点があるとの見方を示したと言ってよい。

3)始動する大統領選挙
 韓国の大統領選挙は、民主化以降、保守と進歩が激戦を繰り広げてきた歴史を持つ。進歩派の立場からは、今回の選挙はユン大統領の罷免に伴うものだけに、保守系のパク・クネ大統領を罷免した選挙で、進歩系のムン・ジェイン大統領が誕生したように、何としても進歩系の勝利を目指していよう。
 6月の大統領選挙が迫る中、与野党は候補の絞り込みと選挙戦略の策定を急いでいる。野党「共に民主党」は、4月27日に党内の予備選挙を終え、イ・ジェミョン前代表を公認候補として選出した。イ候補は、次期大統領候補の支持率で常にトップに立ち、予想通りの展開だ。イ候補は、日本に対して厳しい発言も目立つが、最近は中道派の支持を得ようとの思惑からか、「歴史問題などで争うこともあるが、経済や文化の面までそうする必要はない」と述べ、日韓の協力の必要性も強調している。
 一方、ユン大統領を支えてきた与党「国民の力」は、6月3日までに自治体の元首長や閣僚などから公認候補を決める方針だ。いずれも支持率はやや低調で、一部の保守層からは実務能力が高く、現在大統領の職務代行を務めるハン・ドクス首相の立候補を求める声も高まっている。ハン首相は野党の牙城、全羅道(チョンラド)の出身で、キム・デジュン政権やノ・ムヒョン政権下で首相を歴任したこともあり、進歩層の支持も得られやすいと期待されている。
 大統領選挙について、韓国の大手各紙は社説や論説などで取り上げ、国内の混乱と分断という厳しい現実を踏まえながらも、前向きな姿勢に徹している。「国の正常化と危機克服を(朝鮮日報)」、「迅速な国の安定が最優先(中央日報)」、「これから新たな始まりだ (ハンギョレ新聞)」など、タイトルからは、長引く混乱と分断を収拾するきっかけにすべきとの期待感を読み取ることができる。

4)大統領選挙で問われるのは何か
 世界もまた、混乱と混迷の極致にある。和平や停戦に向けた交渉が断続的に続くウクライナや中東情勢などに象徴されるように、平和、人権、正義、民主主義、法の支配といった国際社会共通の価値観が揺らぎ、国際秩序も土台から軋み続けている。今回の大統領選挙は、韓国の大手日刊紙がこぞって説くように、韓国内の混乱を収拾し、分断を修復するきっかけになるよう期待したい。また、厳しい世界の現実に照らして、先進国としての地位を築いた韓国が平和、安定、経済発展、さらに環境や貧困などの地球規模の諸問題で果たすべき責務は、急激に大きくなっている。何よりも、この課題に積極的に取り組む政策と大統領の誕生が求められていると言ってよい。
 今年2月に久しぶりに韓国を訪れた際、ユン大統領の弾劾訴追の審理が行われていた憲法裁判所前で、100台を超える警察車両が道路を塞いで警備する光景をみることとなった。弾劾に賛成であれ反対であれ、デモに参加する若者が多いことを知り、対面した若い女性に韓国の将来像について尋ねてみた。すると、その若者は英語で「これまでの韓国は世界での役割を十分果たしていなかったように思います。世界からもっと信頼される国になって欲しい」と語り掛けてくれた。混乱の最中、韓国の明日に思いを馳せる若者の心に触れたことで、日韓関係も含めた韓国の若者の政治意識がさらに気に掛かるようになった。
 韓国の知人から数か月ぶりにメールが届いた。やはり…と頷いたのは「大統領選挙で、誰が選ばれても国民統合はおろか、ますます葛藤が深まるのではないかとても心配です」との件だった。そして、大統領選挙への関心を一層高めたのは、「SNSでのフェイクニュースが蔓延する中で、若い世代には冷静かつ客観的に情報を判断し、冷静な目で政治や社会を見てほしいと願ってます。とくに海外メディアが韓国をどう伝えているかを参考にするのも大変役に立ちますよね」と、結ぶ。
 6月の大統領選挙が若い世代によってどんな結果をもたらすのか、気にかかる。

元NHK記者 羽太 宣博

写真:憲法裁判所前の警備(著者提供)

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