故・古市泰宏博士の業績 -ノーベル賞受賞のmRNAワクチン実用化に貢献

スウェーデンのカロリンスカ研究所は、2023年のノーベル生理学・医学賞を、mRNA(メッセンジャーRNA)ワクチンを開発したドイツのバイオ企業ビオンテック顧問で米ペンシルベニア大学のカタリン・カリコ客員教授(68)とドリュー・ワイスマン教授(64)の2氏に授与すると発表した。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックを受け実用化された“mRNAワクチン”開発への貢献が評価された。賞金1100万スウェーデン・クローナ(約1億5000万円)が贈られ、2氏で等分する。授賞式は12月10日にスウェーデンのストックホルムで開かれる。
mRNAは生体内のタンパク質合成の設計図である。人工的に合成されたmRNAを細胞に導入すれば、ワクチンなどに利用できるとの期待が、1980年代に高まった。しかし、mRNAを細胞に導入するだけでは、そのmRNAを異物として認識する免疫反応で強い炎症が起こることが明らかになり、ワクチンへの応用は困難であるとの見方が広がった。さらに、mRNAの応用研究を困難にしていたのは、その不安定性であった。
 実は、mRNAのワクチンの実用化には、日本人研究者による発見が大きな役割を果たしている。壊れやすいmRNAの安定化に不可欠な“キャップ構造”とよばれる構造を発見した故古市泰宏博士の研究成果である。
 分子生物学者の古市博士は、1969年から国立遺伝学研究所に在籍し、RNAウイルスの遺伝子を研究中に、mRNAの先端部分に奇妙な構造を発見した。その後、米国に研究拠点を移し、1975年にその正体を明らかにした。mRNAの先端に、特殊な分子構造(キャップ構造)をした核酸塩基が3個のリン酸基を介して結合していたのだ。
キャップ構造は、多くの生物やウイルスに共通して存在し、mRNAは細胞内で分解されやすいがキャップ構造を持つ場合には安定した状態で存在できること、タンパク質の合成を担う細胞内器官(リボソーム)がキャップ構造を目印にmRNAに結合することを発見した。つまり、キャップ構造は、mRNAを安定化させ、 タンパク質合成に欠かせない構造として機能する。これらの特徴をもつキャップ構造は、新型コロナウイルスのmRNAワクチンに欠かせない要素技術として組みこまれ、世界中の人々の感染予防に貢献したのだ。
 カリコ教授とワイスマン教授は、“mRNAが異物として認識され強い炎症が起こる問題”に継続して取り組んだ。その結果2005年、mRNAを構成する物質の一つを、原子の種類は同じだが構造の違う“異性体”に置き換えることで、免疫反応による炎症を避けられることを発見した。さらにこの置き換えによって、mRNAを鋳型にしてできるタンパク質の生産量が上がることも明らかにした。こうした基礎研究の成果が、新型コロナウイルスのワクチンとして世界中で使用されているmRNAワクチン開発の土台となった。2020年3月のパンデミック宣言後、新型コロナウイルスの遺伝子の情報が解明されると、1年足らずという異例の短期間で高い効果を示すワクチンが実現し、世界に普及した。
 米国での研究を終えた後、古市博士は日本国内のいくつかの研究機関で研究を継続した。新型コロナウイルスが感染拡大すると、自宅がある神奈川県鎌倉市内で米ファイザー製のmRNAワクチンの接種を受けた。「苦労して見つけた物質が使われるワクチンが自分や多くの人に接種されているのを見て、非常に感慨深かった」と喜んでいたそうだ。
 古市博士は、昨年10月に81歳で死去。今回、ノーベル生理学・医学賞の受賞が決まったカリコ博士とは個人的にも親交があり、亡くなる前の取材では「カリコ博士がもらえるなら私もうれしい。悔しさはまったくない」と断言し、「mRNAワクチンが注目されたおかげで、半世紀も前の私の発見にも脚光が当たった。それが一番喜ばしい」としみじみ話していたという。
アカデミア創薬研究者 福地俊

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