なぜ、私たちは書くのか 誰に向けて書くのか ―いま「記者」を考える―

 2022年11月、一般向けに公開された生成AI「ChatGPT」は、瞬く間に私たちの社会を大きく揺るがし始めた。それは「記者」の存在意義にも、深刻な問いを突きつけている。

 本稿では記者活動を通じて得た自身の経験を元に、「なぜ、私たちは書くのか」という初歩的で、だが答えの出ないテーマについて、私なりに考えたい。なお、ここに書かれたものは全て私見によるもので、自身の所属先等の意見を反映するものではないことを付記する。

【終戦の日、現れた天女 消えゆく個人の記憶に触れる】

 「いまは、人間の声はどこへもとどかない時代です。自分の声はどこへもとどかないのに、ひとの声ばかりきこえる時代です……いまはどうか。とどくまえに、はやくも拡散している」(注①)

 シベリア抑留を経験した詩人・石原吉郎が1972年「失語と沈黙のあいだ」と題して論じた中の一節だ。

 私が新聞社に入社した約10年前と比べても、メディアを取り巻く状況は劇的に変化した。ネット上には膨大な数のプラットフォームがあふれ、新聞の読者数は減少の一途をたどる。玉石混淆の情報が大量に流れ、瞬時に消えていく中で、「本当にとどいているのか分からない」記事を書くことに意義を見いだすことは、難しくなっていく。その虚無感に、私たちはどう対峙すべきなのだろうか――。

 地方時代のある出会いが胸中をよぎる。2016年、山口県で勤務していた私は、ある連載の一環で「万徳おじさん」の取材をした。大正13年生まれで当時92歳だった万徳さんは、その数年前まで自ら竹を切り、竹材店を営んでいた。私が1945年8月15日の記憶を尋ねると、こんな話を聞かせてくれた。

 あの日、群馬県の蚕糸学校に駐屯していた万徳さんは、仲間と共に玉音放送を聞いた。すると、近くにいた4人の将校が悲嘆し、割腹自殺をした。怖くなってその場から逃げ出すと、目の前に突然「天女のように美しい人」が走り出してきた。その女性は「ほたるのひかり まどのゆき……」と「蛍の光」を歌い始めた。それを聞くうち「ああ、これはいけん、自分は何としても生きなければいけん、と思うた」のだという(注②)。

 私はこの光景を、「天女」の歌がどんなものであったのかを、今も想像し続ける。一人の人間の奥底に秘められ、消えていこうとする言葉を、私は託されたように感じてやまない。

 石原は同じ論考で、こうも語る。「ことばはじつは、一人が一人に語りかけるものだと私は考えます」(注③)。この、潰えようとする「一人」の呼びかけを受けとり、葛藤し、心を揺るがす「一人」としての記者。それは、蓄積された情報を瞬時に記事としてまとめるAIとは、異なる位相の存在ではないだろうか。

【「記者さんも、体に気をつけて」 被災地で出会った女性のひと言】

 「一人が一人へ語りかける」ささやきを考える際、もうひとつ、胸に去来する経験がある。

 2016年4月に発生し、甚大な被害をもたらした熊本地震。私は同月14日に発生した「前震」の直後に現地入りし、取材にあたった。

 数日目、同県西原村の避難先の体育館を訪れた。そこでも、多くの人々が身を寄せ合い、不安を口にしていた。ある女性へのインタビューを終え、辞去しようとした時のこと。「記者さんも、体に気をつけて」と、女性から声をかけられた。家を失い、あるいは大切な人を失った被災者に対し、傍観者として取材をする傲慢さに引け目を感じていた私にとって、思いもかけないことだった。それは私の、ごく個人的な体験に過ぎない。しかし、女性のひと言は、苦難にあってなお他者を思いやる人間の気高さの表れであるように感じられてならなかった。この出来事を記事にしようとすることで、記者が偶然に見聞きした小さなひと言、極めて個人的な体験も、あるいはそれこそが、人間万般に通じる重要なものを表し得るのだと私は痛感した。

【「記す者」が記す先はどこか ラストリゾートを求めて】

 「記す者」という名前が与えられた記者は、自身が見聞きした体験を「外」に向けて発信する。ただ、私はここで「内」に記すことの意味にも目を向けたい。「内」とは何か、むろん記者自身の内面のことである。「一人」の呼びかけを受け止めるという営みを通じ、私たちはその「一人」と不可思議で密接な関係を結ぶ。記事とはすなわち、それぞれの記者の足跡を刻み、記録したものであるとも言える。

 デジタル化が進み、いかに人々の注目を集めるかを最大の関心事とする「アテンション・エコノミー」の論理に絡め取られていくメディアの中で、私たちは「なぜ書くのか」との問いから離れ、右往左往しているように思える。それゆえに一層、記事を書くというのは自身のまなざしを以て世界と対峙する私的な営みなのであり、「記す」場所は自身の内面でもあるのだということを、意識する必要がある。私的な体験を通じて形成された空間は(たとえそれが取るに足らないものであったとしても)、AIが浸食し得ない「ラストリゾート」なのである。

 あなたの詩を見せてくれたら 言いましょう、その詩が もっと早くにも、遅くにも生まれなかったその訳を。(ヴィスワヴァ・シンボルスカ)(注④)

この「詩」を「記事」に置き換えても、差し支えはないだろう。

山本悠理(朝日新聞記者)

注①)「石原吉郎詩文集」講談社文芸文庫
注②)2016年6月15日付、朝日新聞山口県版
(しあわせのありか 参院選を前に:1)中野万徳さん 終戦の日、群馬で見た修羅場
注③)「石原吉郎詩文集」講談社文芸文庫
注④)ヴィスワヴァ・シンボルスカ「橋の上の人たち」工藤幸雄訳、書肆山田

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