「岸田首相論」~長期政権の筈だったが~

 「もし将来、私が組閣する事あらば、官房長官に後藤田正晴氏を当てたいが、了承して欲しい」と頼んだ。田中(角栄)氏は驚いて、「なぜ後藤田氏を所望するか」と尋ねた。私は即座に「行政改革を断行し、又起こるかもしれない大災害や治安維持にあたる事ができるのは、後藤田氏しかいない」と答えた。彼は「よく考えておこう」と言った。

 これは中曽根内閣(1983年-1987年)で三度、官房長官を務めた後藤田正晴氏への追悼録、「私の後藤田正晴」(2007年9月、講談社刊)に中曽根氏が寄せた一文である。中曽根氏は、首相に就くと、まず、税金を無駄に使う国鉄を民営化するという難題、行政改革に取り組み実行して行った。更に、5年近くに及ぶ長期政権の中で、これも難問の税制改革(売上税)に取り組み、竹下内閣で消費税として実現する基礎を築いた。

 歴代の総理大臣でこれ程はっきりと政策目標を掲げて実行した人物は少ない。生存中の後藤田氏は「中曽根さんは、若くして政治家を目指し、首相になったら何をするか、はっきりした目標を持ち、よく勉強していた」と語っていた。

 さて、岸田文雄氏は2021年年11月4日首相に就任した。だが、就任から2年、早くも“岸田下ろし”の煙が立ち上り始めている。就任当時の首相の眼前には、自民党総裁として3年、衆議院議員の任期4年というゆったりとした時空が開けていた。難しい政策を幾つか解決してしてくれるだろうという期待もあった。

 だが、2年が過ぎた今、政界の“闇”からは「出来るだけ早く辞任させる」という声が聞こえてくる。「今年のうちに」というものまである。具体的には、岸田氏の辞任を受けて直ちに衆参両院の自民党議員による総会の場で次の首相を決定してしまう。ポスト岸田とされる茂木敏充幹事長がはしゃいでいるという“怪説”まである。

 実は、23年前、2000年4月、当時の小渕恵三首相が急死すると自民党の有力者5人が密かにホテルに集合、小渕首相の後任に森喜朗氏を推す事を申し合わせ、自民党総裁選挙を”飛ばして“、一気に、衆参両院の自民党議員総会で決めてしまったという“故事”がある。ポスト岸田もそれに倣えば良いというのだ。

 いずれにしても、今後も岸田首相の求心力回復は望めそうもなく、来年、2024年春の新年度予算の成立を待って辞任というシナリオが囁かれている他、慎重な観測でも、来年秋の自民党総裁選への岸田氏の再出馬は絶望的とされている。

 ところで、岸田文雄首相とは何者だろう?祖父を含めて政治家として三代目、毛並みの良さを誇る。菅前首相退陣後の自民党総裁選挙に出馬するに当たり、公約として高額金融所得課税(富裕税)の導入を提案するなどアベノミクスで拡大した所得格差の是正を主張、又、世界の厳しい安全保障体制に備えるとして日本の防衛費の倍増を提案するなど清新さをアピールした。

 だが、政権につくと岸田首相は豹変する。富裕税は時期尚早として事実上撤回、防衛費倍増は財源を税に求めた事が特に自民党安倍派から批判され、実現を先延ばししてしまった。本気なのか?そしてその後も、異次元の少子化、税の還元など“政策群”を花火のように打ち上げるが、「どうしても実現する」という気迫を国民は感じなくなってしまった。

 確かに、岸田首相の自民党内での基盤は弱く、安倍派などの有力派閥に阿る姿勢が目立つ。だが、かっての中曽根首相も党内基盤は脆弱だったが、有力派閥、田中派から後藤田氏を官房長官に据えるなど、政策を遂行する気力に満ち、知略に長けていた。岸田氏は本気で首相をやっているのだろうか?

 さて、こうして日本国内の政治状況は混沌へ向かいつつあるようだが、来年2024年の世界は、政治、経済とも予測不可能、日本にとって極めて不都合な事態が待っているとみるべきだろう。何もしない、何もできないとわかった首相をかかえる日本であって良いのだろうか?最善は無いとしても、次善の策は、なるべく早い選手交代かもしれない。  陸井叡(叡office )

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