富雄丸山古墳の発掘現場を見た

 国宝級の遺構・遺物が相次いで見つかり話題を集めている富雄丸山古墳(奈良市)。拙宅から車で20分足らずの近場にある。遠目には、雑木に覆われた変哲のない小高い山だが、1600年以上前の「宝の山」とあっては、考古学ファンでなくても興味をそそれられる。その発掘現場が3月中旬に一般公開されると知り、いそいそと出かけた。現地には駐車場がないので電車とバスを乗り継いで小一時間。バスを降りてしばらくすると、長い列に出会う。歴史ファンの多さに改めて驚かされる。結構な登り道なのに杖を手にしたお年寄りも数人。途中で説明資料を配られる。

 現地には、遺構を守るようにしっかりした建屋が設置されていた。担当者の説明に耳をこらす。

 富雄丸山古墳は直径109mの円墳で、国内最大という。4世紀後半(古墳時代前期後半)に作られたと教わる。一帯の宅地造成に伴い、奈良県教育委員会が1970年代から断続的に測量・発掘調査をしてきた。公開現場は古墳の裾野付近にあった。円墳の北東側に「造りだし」という出っ張りがあり、ここから粘土で覆われた「粘土槨(ねんどかく)」(埋葬施設)が見つかった。その内部に、丸太を半分に割ってくり抜いた棺(ひつぎ)が置かれていた。長さ約5.6m、幅64~70cm。棺が丸ごとしっかりと残っている。南東端に青銅鏡3枚が重なった状態で置かれていた。卑弥呼が中国から授かった三角縁神獣鏡の可能性があるという。真ん中辺に赤く染まった広がりがある。赤色顔料の「水銀朱」で、被葬者の頭があった位置とされる。また、縦に長い竪櫛9点なども出土した。感動に浸っている間はない。「立ち止まらないで」と促され、あわててカメラを向けた。

墳頂部にも登った。明治時代に盗掘されてしまったといい、広場になっている。見学者が2,3人の担当者を囲んで質問攻めにしていた。頭頂部から出土したいくつかの遺物は京都国立博物館に展示されている。

 この円墳が注目され出したのは、実は去年1月、巨大鉄剣「蛇行剣」が出土した、と発表されてから。蛇のようにうねった形をしており、全長237cm。世界的に見ても最大級という。鉄剣とともに、長さ64cmの盾形銅鏡も見つかった。この時も現地で一般公開されたが、筆者は行きそびれた。

出土品の調査研究は奈良市教委と橿原考古学研究所(橿原市)が共同で進めることになっており、蛇行剣についても同研究所で、泥や錆などのクリーニング作業が1年がかりで行われてきた。

 その蛇行剣が同研究所附属博物館で特別公開されるという。今回を逃せば、本格的な公開は数年後になるとも聞き、3月31日、この目に焼き付けようと訪ねた。ここの会場も“長蛇の列”。待ち時間は1時間余りにも及んだ。刃の部分は6回屈曲して蛇行し、黒漆の鞘や柄も残されていた。「古墳時代の金属製品の最高傑作」と専門家の評価を耳にし、思わず手を合わせたくなる。

同研究所は奈良県立の埋蔵文化財調査研究機関で、公的な考古学研究所ではわが国で最も古いという。地元始め関係者には「橿考研」(かしこうけん)と呼ばれ親しまれている。附属博物館はすぐ近くにあり、これまで発掘した出土資料がぎっしり展示されている。常設している「大和の考古学」は「目で見る日本の歴史」になっている、としおりに記されている。

 今回の発掘調査で、「空白の4世紀」が解明される手がかりになるかもしれない、と研究者間では期待されている。テレビ風に要約すれば、3世紀は中国の「魏志倭人伝」に記された卑弥呼の時代で、小国が乱立されていた。5世紀は中国の「宋書」に記述のある倭の五王の時代。王権がほぼ確立してきたとされるが、4世紀についてはまだはよく分かっていないという。

これからの研究成果に目が離せない。

七尾 隆太(元朝日新聞記者) =写真は、橿原考古学研究所附属博物館で公開された蛇行剣=奈良県橿原市

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