福島第一原発の処理水放流と韓国

1)福島原発処理水とIAEA報告書

 福島第一原発で貯まる処理水問題が大きな節目を迎えた。IAEA=国際原子力機関は7月4日、処理水を基準以下に薄めて海に放出する日本の計画が国際的な基準に合致し、安全とする報告書を公表した。その3日後の7日には、日本の原子力規制委員会は、処理水を薄めて海に放出する設備が最終検査に合格したことを明らかにした。これにより、処理水の放出開始に向けた準備は最終段階に入ったことになる。

 福島原発は、2011年3月の巨大地震と津波によって、3基の原子炉が同時にメルトダウンを起こす、重大事故に見舞われた。原子炉を冷却する作業は今も続き、その水が地下水とともに今も貯まり続けている。その貯水量は130万トンを超え、来年には1000基以上あるタンクが満杯になるという。この事態を受け、日本政府は2021年、処理水に関する基本方針を決定し、処理水を薄めて海に放出するほか、国際社会に対する透明性を示すため、IAEAに安全性に関する検証を要請した経緯をもつ。

 IAEAは、独自に設けた調査団を繰り返し日本に派遣し、これまで評価を続けてきた。調査団には、中国、韓国、アメリカなど11か国の専門家が加わり、これまでに6回の報告を行っている。今回の包括的な報告書について、IAEAのグロッシ事務局長は、NHKのインタビューに応じ、「科学的に正しく、全面的に支える」と強調している。この報告書は、処理水の海洋放出に対するいわば「お墨付き」と言ってよい。しかし、中国や韓国では予想通り激しく反発している。韓国では、野党「共に民主党」やその支持者らが強い不満を表明し、様々な運動を繰り広げている。

 

2)賛否渦巻く韓国の反応

 処理水の海洋放出をめぐって、韓国では賛否が大きく分れている。去年5月に発足した保守系のユン・ソンニョル政権はグローバル国家を目指し、普遍的価値を共有・尊重する外交を展開している。冷却した日韓関係を改善する立場からも、科学的視点を重視し、国民の安全を最優先に処理水の海洋放出を原則容認する姿勢を示してきた。一方、処理水の海への放出に反対する動きは、日本が計画を表明して以来、今も続く。革新系のムン・ジェイン前政権は水産物への影響を懸念する世論に呼応し、強く反発してきた。ムン政権を支えた今の野党「共に民主党」は処理水を放出する計画を「放射能テロ」と表現し、厳しく批判している。5月下旬からは、放出に反対する署名活動も始め、ソウル市内を中心に集会を何度も開いている。

 今回のIAEAの報告書に対し、韓国の与野党はどんな反応を見せたのだろうか。ユン政権は「IAEAは国際的に合意された権威ある機関で…そこで下したこと・・・は尊重する」との立場を明確にした。また、7日には韓国政府の独自報告書を公開し、「日本の計画は…国際基準に合うことを確認した」「韓国の海域に有意味な影響はない」との考えを改めて表明している。

 一方、野党「共の民主党」は予想通り激しく反発している。まず、処理水を「核廃水」と呼び、「日本政府寄りの空っぽの報告書だ。世界の人々と韓国の懸念の払拭に全く寄与していない」と批判した。また、IAEAについて、「国際機関として安全性を検証する責任を事実上放棄した」と非難している。こうした野党の主張の背景には、ユン政権に打撃を与え、同時に日本も非難するという、一石二鳥を狙う思惑が見て取れる。

 韓国の一般市民の反応はどうだろうか。韓国の大手通信社「NEWSIS」の世論調査(12日)によれば、IAEA報告について、54%が「信用しない」と答え、「信用する」が37%、「よく分からない」が8%だったという。そもそも韓国では、福島原発事故直後から、海への影響に対する不安や懸念が根強い。福島原発の事故以降、韓国周辺の海域で放射能の観測値が高まったとの情報はない。にもかかわらず、韓国南部の干潟で作る天日塩が処理水の海洋放出の影響を受けるとの懸念から、買い占めが進み、品薄になっているという。韓国政府はすでに400トンもの備蓄天日塩を市場に供給している。まさに風評の、異例な事態が起きている。

3)日韓のメディアの伝え方

 福島原発の処理水を海洋に放出する日本の計画は、すでに最終段階に入った。日韓それぞれのメディアは一連の動きをどう伝えてきただろうか。

 日本メディアは、福島原発事故が世界最悪レベルの事故として、東日本大震災の復興や原発の廃炉問題などと関連付け、現地や政府の動きをきめ細かく伝えてきた。処理水問題で大きな節目となった、IAEAの報告書について、大手各紙が揃って社説で取り上げている。そのタイトルを見ると、「処理水の放出 不安軽視せず対話を(朝日)」、「IAEA 処理水報告書 説明尽くす責任は政府に(毎日)」、「原発の処理水 偽情報には科学的に反論せよ(読売)」、「処理水放出へIAEAの支援をいかせ(日経)」、「IAEA報告書 首相は処理水の決断急げ(産経)」などとなっている。タイトルからも分かる通り、いずれもIAEAの報告書を肯定的かつ技術的に認め、風評被害や廃炉に向けた日本政府の今後の課題について論じている。

 これに対し、韓国メディアは、今年春以降、IAEAや日本の動きを中心に、ニュース、解説・コラム、社説などで取り上げ、関心の高さを示している。IAEA報告書については、公表前後にそろって社説で取り上げている。タイトルを見ると、「IAEAの安全評価が今後も守られるか、福島放射能の監視を続けるべきだ(朝鮮日報)」、「汚染水放流外交戦、国民の安心が最優先だ=韓国(中央日報)」、「IAEA『汚染水の海洋放出に問題ない』、不安を煽る『政治の失敗』あってはならない(東亜日報)」など、保守系各紙ともにIAEAの報告書の骨子を認め、国内の懸念や不安を念頭に韓国の対応の在りようを論じている。表現には微妙な違いがあるが、日本メディアの論調と重なる点もあり、興味深い。これに対し、革新系のハンギョレ新聞は「ユン大統領は韓日首脳会談で汚染水放出への懸念と韓国の要求を伝えよ」、「韓国政府の汚染水に対する立場発表、国民の不安解消に一層の努力を」と2日続きで掲載し、ユン政権の外交姿勢に注文をつけるものとなった。

 総じて、韓国メディアはIAEAの役割や業績を認め、韓国政府が果たすべき役割を冷静に論じている。けだし当然であろう。

4)グローバルな日韓関係を目指して

 処理水の海洋放出を事実上認めたユン政権は、新たな難題を抱えることとなった。まず、国会で多数を占める野党「共に民主党」による政治的攻勢が強まったこと。また、与党として当然背負う、国民の不安と懸念が殊のほか根強いことだ。     

 野党側は今、この2つの要素を合体させた戦術で、ユン政権への揺さぶりを強めている。その戦術は、集会、チラシ、メディア、SNSなどを通じ、フェイクニュースや過激な表現を使って誤解を招きやすい情報を流布するというものである。不安や懸念に乗じて世論を誘導するやり口で、韓国ではこれまでも何度となく経験してきている。

 朝鮮日報がその実態の一部を報じている。7月20日の記事によると、福島原発の処理水を取り上げた放送番組の出演者を市民団体が調べたところ、処理水を「危険」と主張する専門家の出演回数は30回、「安全」と主張する専門家の出演は4回だったという。革新系の放送メディアは、危険と主張する専門家を集中して出演させていたという。また、27日には「市民団体が選んだ福島フェイクニュース19件」と題する記事を掲載した。それによれば、「IAEAの中傷」や「食品に対する不安」などの情報がファクトチェックの結果、すべて事実と異なっていたと指摘している。

 今回の処理水の海洋放出をめぐる韓国内の分断と対立をめぐっては、世界中で活躍する韓国の科学者たちが科学的知見と冷静な論理で虚偽を暴く場面が目立ったという。野党側の思惑通りに事が運んだわけではない。と同時に、科学を尊重する意識がより強まり、韓国社会がまた新たな時代を開くのかもしれない。

 去年5月に発足したユン政権は、国際社会で確固たる役割を果たす「グローバル中枢国家」を目指している。自由、平等、法の支配などの共通の価値観を尊重する姿勢を打ち出し、日韓、米韓、日米韓などの外交関係の改善に取り組んでいる。韓国は、自動車、IT、半導体などですでに科学立国の仲間入りを果たした。一時的な感情に囚われず、科学に立脚しなければならない。国際社会の共通の価値観は、当然、科学を含む。                         

羽太 宣博(元NHK記者)

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