ジャーナリズムと放送法~拡大ミニゼミの議論から~

 綱町三田会が、メディアコムの学生や教職員と一緒に開いてきた勉強会のミニゼミは、今年で節目の10年目を迎えた。そこで、6月28日、慶應義塾大学三田キャンパスで開かれた2023年度第2回のミニゼミは、通常の綱町三田会、メディアコムの学生、教員に加えて、メディア界等で活躍している三田会のOB・OGにも広く参加を呼びかけ、いわば“拡大ミニゼミ”となった。

 テーマは、「ジャーナリズムと放送法」である。1950年に制定された放送法は、その第4条に放送の「政治的公平」が謳われ、政府の介入を排し、自主、自律的な放送のバックボーンとなった。しかし、1993年9月、当時のテレビ朝日の取締役報道局長であった椿貞良氏による民放連会議での発言、いわゆる“椿発言”が、政治的公平を定めた放送法第4条に抵触するのではないかと問題になり、これが、その後の政府と放送界の政治的公平をめぐるせめぎあいの契機ともなった。

 今年3月の国会では、2014年当時の放送法第4条の政治的公平をめぐる政府内の議論を記した、総務省の行政文書が暴露された。文書には、安倍元首相の当時の補佐官が、放送法の政治的公平をめぐり、法解釈の変更を総務省に迫るなど、生々しいやり取りが記載されており、その2年後の2016年2月、当時の高市総務大臣が、国会答弁の中で、第4条の遵守をめぐってテレビ局の停波にまで踏み込んだ、いわゆる“停波発言”に至るまでの経緯の一端を、白日の下にさらすものとなった。

 拡大ミニゼミでは、始めに、この1993年の“椿発言”から2023年の行政文書の暴露までの30年にわたる「ジャーナリズムと放送法」をめぐる動きについて、綱町三田会の瀬下代表幹事が概要を説明した。瀬下氏は「“椿発言”以降、放送を縛るのに政治的公平を定めた放送法第4条が使われる。一方で、2018年には、安倍元首相が提唱した放送ビッグバン構想に絡んで、第4条撤廃の動きもあった。第4条に意味はあるのか、必要なのかどうか、議論したい」と呼びかけた。

 続いて、元テレビ東京の編成局次長で、工藤メディア事務所の工藤卓男氏が、“椿発言”をめぐる一連の経緯について、報告した。工藤氏は、“椿発言”がなされた民放連の会議の出席者の1人で、「椿氏は、“非自民連立政権を作るために放送した”と、会議ではっきり言っていたが、その後のテレビ朝日の検証番組では、“放送法に触れることはなかった”と結論付けるものになっており、なんとか事態を収めようとしたのだろう」と振り返った。報告からは、当時は、放送側から、第4条の政治的公平を正面から議論しようという動きや雰囲気はなかったことが見えてきた。

 議論に入ると、放送法第4条の必要性をめぐって、参加者の意見がぶつかりあう展開となった。第4条をめぐる民放内の議論について工藤氏は、「民放内に第4条廃止の動きは見られない。今もないと思う。第4条をうまく使うことで、たとえば原発問題では、賛成、反対など、多角的に論点を、バランスを取った風に伝えられる」と、第4条が、視聴者に信頼される公正、公平な放送をする上で、いわば“支え”となってきた現状を強調した。加えて、「第4条の政治的公平などのルールは、素朴で誰にもわかりやすく、外部からのクレームや雑音を押し返したり、かわしたりする対応にもうまく使ってきた。倫理規定ではあるが、これがないと放送現場は困ってしまう」と、現場からの声としての第4条の必要性を訴えた。

 これに対して、参加者からは「放送は第4条で守られている世界だが、ネットに代表される第4条で守られていない世界の方が、今や大きくなっており、第4条があることが、公正な報道の担保となり得るのだろうか。」「第4条の規定を理由に政治介入は許されないが、逆に政府がこれを使って、放送を縛っていく動きになっていることをどう考えるか」「放送法は、電波の希少性と放送の影響力が大きいことから制定されたものだが、ネットの広がりで、制定の土台そのものが怪しくなってきているのではないか」など、第4条を取り巻く環境の変化を指摘する発言や疑問の声が相次いだ。

 こうした中で、鈴木秀美教授からは「政治的公平を定めた第4条は、倫理規定であって拘束力はない、というのが学者の間での通説となっている。しかし“椿発言”以降、政府に放送介入の口実に使われるという現状があり、民放について第4条は廃止した方が良いと、自らの論文でも書いている」と、第4条を廃止すべきとの見解が示された。

 一方、津田正太郎教授からは、アメリカで日本の放送法第4条にあたるフェアネスドクトリンが廃止されたあと、放送局の党派性が強まり、社会の分断が急速に進んだことを念頭に、「日本でも政治的分断が強まれば、第4条は形骸化していくかもしれないが、今は、アメリカほど政治的分断が進んでいないので、まだ、第4条が存在する意味はあるのではないか」との見方が示された。加えて、「第4条をめぐる議論を見ていると、保守もリベラルも、第4条なき後の社会を、自分たちに都合よく考えていないか。放送の機能には、統合、共有の意味合いがある。それがないと、アメリカのようになってしまう」と指摘した。

 議論はさらに、第4条を口実にした政府の圧力が、結果的に放送局側の委縮につながっていないかという点に及び、参加者から「萎縮と言うか、自由度は減った気がする。デスクをしていて、よりナーバスかつ慎重になった」「放送の権力監視の機能が、政治的公平を定めた4条があることによって、逆に自ら弱めているという点はないのだろうか。その点について、内部的な議論はされていないのだろうか」といった声が聞かれた。一連の議論を踏まえ、瀬下氏が「政府に言われても押し返していく気構えは必要だ。ジャーナリズムを守るという視点で、放送法をどう考えるか、今後も議論を重ねていきたい」と締めくくった。

 今回のミニゼミでは、学生からの発言は2人と少なかったが、1人から「何のために放送はあるのか。よくわからない」との疑問が提示され、「発言にショックを受けた」と述べる参加者も見られた。若者のテレビ離れが言われはじめてから久しいが、多くの情報をネットから入手する若い人にとっては、放送の存在価値そのものが、“自明の理”ではなくなっていることを、図らずも示す結果となった。

 松舘晃(元NHK記者) 

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