政権とメディアが今回もつくり出した“解散騒動” 

 永田町に吹いた解散風をあおり、沈静化させたのは、解散権を握る岸田文雄首相だった。マッチポンプという言葉があるが、岸田氏は解散権をもて遊んでいた節がある。
 解散権は「首相の専権事項」といわれ、政権の都合のよい時期にすることができるとされる。国民の審判を仰いだ議員は任期に関係なく、一瞬にして職を失うことだから、いわば生殺与奪の権といえるだろう。                              
 安倍一強体制は、この解散権を巧みに使って基盤を固めたといわれる。ただし大義のない解散をしていては、投票率は上がらないのではないか。岸田首相は5月の主要7カ国首脳会議(G7サミット)で高揚感を盛り上げて解散を想定していたらしい。
 5月24日、解散総選挙の機運が盛り上がったところで、週刊誌が首相秘書官の長男・翔太郎氏の公邸忘年会を報じた。首相周辺では「解散反対勢力が、昨年末の写真を手に入れ、タイミングを見計らって週刊誌に持ち込んだのではないか」と警戒したらしい。
 追い打ちをかけるように、衆院の選挙区調整をめぐる自民、公明両党の公認調整が決裂する。公明党の支持母体の創価学会の支持がなければ、自民は苦しい。自公決裂となると政局への影響も出てくるが、公明党の狙いは「早期解散阻止」にとどめた限定的だったようだ。公明党・創価学会グループは、4月の統一地方選挙で全国展開しており、態勢を立て直すには時間が必要という事情があったとされる。
 さらにマイナンバーカードをめぐって、健康保険証との統合や金融機関とのひもづけで、トラブルが続出し、支持率も下がる。広島サミットの高揚感から、早期解散のタイミングを探っていた岸田周辺も、6月初旬には解散見送りやむなしに傾いたらしい。
 ところが自民党議員からは「立憲の支持率は下がった」、「維新は衆院選の準備が遅れている」など、「解散近し」ばかりが強調されていく。メディアもそれに乗って、解散に前のめりになったきらいがある。             
 そして6月13日、岸田首相は記者会見で解散を聞かれて、それまでは「今は解散を考えていない」と答えていたが、「解散は諸般の情勢を見極めて判断する」と、含みを感じさせる答え方で、最後ににやりと笑って見せた。この「にやり」という表情が永田町を駆け回り解散風を強めたとされる。
 2日後の15日、反響の大きさに戸惑ったのか、岸田首相は「(不信任案は)内閣の基本姿勢に照らして即刻否決するよう、先ほど茂木幹事長に指示を出しました」と述べ、解散はないと明言する。以上が今年前半の解散劇の顛末だが、岸田首相の一連の言動には党内や野党の感触を探るなど、いささか解散権をもて遊んでいる感じである。
 首相の解散権については大事な教訓がある。1976(昭和51)年に首相になった福田赳夫首相は、党内の主導権を確保しようと、たびたび解散を口にした。このため、選挙区に帰って国会を欠席する議員が出た。前代未聞の解散反対の署名運動も起きる。
 事態を憂慮した保利茂衆院議長は「有権者の厳粛な審判を仰いだ議員を党利党略的に解散するのはおかしい」と戒め、解散権は69条が指摘する政局が行き詰った事態や、国民の審判を仰ぐ必要がある場合に限られるべきだ」との見解をまとめ、遺言として残された。岸田政権の面々にはこの見識を学んでほしいところだ。
 日本では約3年に1回選挙があるが、英、ドイツでは4年か5年に1回とされる。しかも、直近の2021年10月の衆院選から、任期の折り返しにも至っていない。
 解散総選挙報道ぶりについてはメディアについても指摘されている。解散総選挙は国民にとっても重大事だから、メディアも選挙報道に力を入れるが、「いつ解散か」というニュースが中心になって、ではなぜ解散なのかという原則のところをもっと抑えることが大事ではないかと思われる。メディアが選挙に力が入るのは、公示日や投票日には特別番組を組むなど、選挙取材は大掛かりになる。そのために解散の時期は貴重になるが、政治家や関係者の片言隻句や思惑などに惑わされ、無用な駆け引きなどに加担しないよう自戒も欠かせないだろう。     
 解散総選挙は、有権者から厳粛な審判を受けた議員の資格を失わせ、一方で議会制民主主義の根幹を支えるから、厳粛な熟議と公平なルールの下で行われることが欠かせない。

政権与党に有利な時を見計らって解散権を行使するのは、解散権の本来の意味から逸脱していると言わざるを得ない。

 栗原猛(元共同通信社政治部)

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