インフォデミックと都知事選

 2020年東京都知事選は新型コロナウイルス感染拡大という、かつてない状況下での選挙となった。小池百合子知事は感染拡大防止を理由に街頭活動やテレビ討論を避けたが、現職としての会見映像が連日テレビに流れた。同じころ学歴疑惑などを記した書籍『女帝小池百合子』が空前の大ヒットを記録し、インターネット上では小池知事に対する批判的なムードがあった。また、6月には検察庁法改正案に反対する市民らが同一ハッシュタグを使い投稿する「ツイッターデモ」が行われ、小泉今日子さんら著名人も賛同し大きなうねりとなった。こうした流れが都議選にも続き、ネット上では現職に対抗する候補を応援する動きがあった。ところが結果は小池知事の圧勝。NHKが20時に当確の報を流すとネット上では「なぜ?」という声も飛んだ。この乖離はなぜ起きたのか。感染拡大とともに問題視される「インフォデミック」と都知事選の関係を考える。

●インフォデミックの拡大

 新型コロナウイルスの特徴として、「インフォデミック」が挙げられている。information(情報)とepidemic(伝染、流行)を組み合わせた造語で、2003年のSARS発生時に「いくつかの事実が、恐怖や憶測、うわさと混じり合い、現代の情報技術によって増幅され、世界中に素早く伝達される」現象を表す言葉としてワシントン・ポスト紙上で使われた。

 今年2月2日、WHOが「インフォデミック」への警戒を呼び掛け、米誌は「SNSによって起こされた初のインフォデミック」と報じた(MIT Technology Review, 2月12日 )。背景として民間コンサルタント会社・デロイトトーマツは、現在の「情報伝達力」はSARS流行時の68倍であるとの試算を示し、SNSの影響力を指摘している(4月6日)。

 日本でも3月下旬以降「ステイホーム」が呼び掛けられ在宅者が増えると、テレビのワイドショーに出演した「専門家」コメントへの反応がSNS上で広く見られるようになった。多くの医師や専門家の異なる見解や議論が広くリツイートされた。「4月1日に東京がロックダウンされる」というチェーンメールや、「お湯を飲めば予防できる」「ウイルスは中国で作成された生物兵器」といったデマも広がった。

●二つの「世界」

 こうしたなか、6月には30代の女性がツイッターに投稿した「#検察庁法改正案に抗議します」というタグが500万ツイートを超すオンラインデモに発展し、法案廃止につながった。テレビ放送に携わる有志らによるネット配信企画「Choose Life Project」が6月27日に行ったWEB上の候補者討論には宇都宮健児、山本太郎、小池百合子、小野泰輔の4候補が出演し、YouTube上の動画再生件数は21万回を超えた。司会のジャーナリスト・津田大介さんが4候補に問いかけた「10の質問」への答えは一覧表で共有され、小池知事が関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文を出さないことについて「大法要での慰霊にあわせる」と答えたことに対して「虐殺と自然災害犠牲者を同一視するのか」「差別的だ」と批判の声も上がった。投票日も著名人や若者が投票を呼び掛け、ネット上には小池知事に対して宇都宮候補、山本候補が接戦を繰り広げているというムードもあった。

 選挙結果は、小池知事が前回得票を大幅に上回る366万票を得て、圧勝だった。支持者が政策宣伝画像を作り共有する「バナープロジェクト」など地道なネット選挙を展開した宇都宮候補の得票は伸びず、これまでの選挙では「ゲリラ演説」で聴衆を集めSNS上で画像を拡散し支持者との一体感を演出した山本候補もブームを作れなかった。一方、「自転車で山手線一周」などの写真がスポーツ紙で報道された小野候補は中央、千代田、港の都心3区で2位となるなど一定の存在感を示したほか、政見放送で「武漢肺炎」と連呼して感染不安と中国に対する嫌悪を煽り「固定資産税免除」などの対応策を強調した桜井誠候補は前回得票を7万票上回る18万票を獲得、政見放送で裸になった後藤輝樹候補は前回の3倍、21,997票を得た。この明暗は何を意味するのか。

●「絵のない災害」とテレビの力 

 一つの仮説として、「絵」の有無という考え方はできないだろうか。得票を上積みした候補の共通するのは、特徴的なイメージ(画像や映像)をつくりテレビで流通させている点である。小池知事はテレビ討論会を避け他の候補の露出機会を削ぐ一方、連日会見した。フリップを掲げ感染拡大防止を訴える映像がテレビに流れた。得票を伸ばした独立系候補も、テレビの政見放送を話題づくりに使った。新型コロナウイルスについて慶応大学の大石裕教授は、阪神・淡路大震災における高速道路倒壊のような「現場」がないため、人の動きにかかわる同じ映像が繰り返し使われる傾向があると指摘する(三田評論7月号)。「現場の見えない災害」下で、外出自粛により日常生活や人間関係から切り離された人々にテレビが送ったイメージが、投票行動に影響したという仮説は成立するのではないか。

 2月末に起こったトイレットペーパー買い占め騒動について、SNS上のデマよりテレビが空の棚を映し出す映像の力が大きかったという研究結果がある。東京大学の関谷直也准教授(社会心理学)らが3月上旬にインターネット上で行った調査(全国47都道府県・4700人対象)によると、トイレットペーパーが不足するといううわさを最初に知った情報源については46.7%が「テレビ」、15.9%が「人との会話・口コミ」と回答した(5月5日 毎日新聞朝刊など)。日本ではネットの情報拡散が多くて数十万人単位であるのに対して、テレビは数百~数千万人単位で消極的視聴者にも情報を伝えることができる。テレビというプッシュ型メディアが投票行動に与えた影響について、とりわけ差別的な考え方をもつ候補が得票を伸ばした点について、恐怖や不安によって差別や分断が拡大するインフォデミックの特徴と合わせて今回の選挙結果が検証される必要があると考える。

 インフォデミック対策としてSNS規制を検討する動きもある。しかし総務省調査では、テレビやまとめサイトがデマ拡散に影響を及ぼしたこともわかっている。情報の流れを丹念に洗い出し差別や分断の根を断つこと、安易な私権制限ではなくプラットフォーム事業者や広告事業者、ネット利用者などがそれぞれの立場で情報環境健全化のためにできることをすることが先決だろう。同時に、SNS上では医療従事者への感謝、自粛下で暮らす各国の人々の声なども共有されている。分断された世界を共感の力によってつなぎ直すことが今、求められているのではないか。

中島みゆき(新聞記者、東大学際情報学府博士課程)

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