新聞社による世論調査は社論を補強するためのもの? ~慶應義塾大学綱町三田会ミニゼミから~

 2014年度4回目の綱町三田会ミニゼミが、12月3日、慶應義塾大学三田キャンパスで開かれた。テーマとして設けられたのは、「世論調査と客観報道」である。2014年12月14日の衆議院選挙が近づく中、各ジャーナリズム組織は世論調査を通して、社会の実態を示そうとしている。社会が何をどう考えているかを知る指標として世論調査は便利であるが、そこに潜む問題点も十分に吟味しなければならない。今の世論調査は社会の実態を正確に反映しているといえるのだろうか。学生はこうした問題意識に基づきレポートを事前に提出し、それを基に、メディア・コミュニケーション研究所の担当教授、将来メディア業界を目指す学生、研究所卒業後メディア界に進んだジャーナリストらが議論を交わした。
 本来、選挙の際に当確を判定するための一種のデータとして用いられてきた世論調査であったが、最近変質してきてしまっているのではないかという指摘がまずなされた。NHKによって長期的に行われる意識調査の類とは別に、新聞社が短期的で、簡易的な世論調査を行うようになっている。社会問題や対立争点に関する是非にまで裾野を広げたそうした世論調査は、質問項目や選択肢の立て方、修飾語の用い方、調査主体によって結果が変わってくる。こうした調査の手法の問題点に加え、統計学上の課題、例えば母集団の推定や回収率の低下からも、今の世論調査は客観性を十分に担保していないのではないかという認識は現役のジャーナリストらの間で共通していた。だが問題の本質はそこではなく、報道機関、とりわけ新聞ジャーナリズムがこうした世論調査を意図的に用いて自社の主張を補強するために使っているのではないかということだ。新聞社によって主張のばらつきはあっていいものであるし、あるからこそ面白いとも言える。しかしながら、事実を事実として伝える客観報道と主張の展開は区別されるべきものである、という現役ジャーナリストの主張に対しては皆、首肯した。世論を誘導するような調査を使ってまで主張を展開するジャーナリズム組織とどう向き合えばいいのか。

「(新聞社が自社の主張を貫くための材料という)前提条件を明確に発表する」、「極端な話、最初から信じなければいい」といった意見が議論では飛び交った。また、世論調査そのものが抱える課題に関しては、電話調査の際のサンプリングの偏りを見直すという意見や、政府とも新聞社とも関係のない第三者機関がやれば良いといった指摘もなされた。
 さて次に、ここまでの客観的事実と主張の混在という議論から、論点は朝日新聞の吉田調書問題に移った。2014年度下半期にジャーナリズム、社会において大きな論争を呼び込んだ吉田調書問題は、報道の客観性を改めて考えさせる契機となった。「調書」そのものが目の前にありながら、何故、「所員が命令違反で撤退した」という調書には書かれていない報道がなされたのか。「反原発のトーンを出すのにいい材料であった」、「特ダネ意識があった」といった意見や、「自分たちの主張が正義で、本当に正しいと思って、それに疑問を感じる姿勢が足りなかった」という意見も一方であった。「歪曲」であれ「思い込み」であれ、いずれにしてもこの報道では客観的事実と主張が混在しているのではないか。「朝日にはきちんと検証してもらいたい」という意見が議論では挙がった。
 社会が複雑になり人々の意見が多様化していく中、また多メディア化が進む中、新聞ジャーナリズムが独自の主張を訴えることは自然なことであるかもしれない。それでも、事実は事実として、丹念に積み上げて報道していく必要があるだろう。積み上げた事実を前提に、新聞ジャーナリズムにはそれぞれ大いに主張をして欲しい。2014年度第5回ミニゼミは3月4日(水)を予定している。
田口翔一朗(慶應義塾大学法学部政治学科2年)

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