公共放送のトップ人事 ~経営委員会のトラウマ~

 昨年(2016年)11月6日。東京・渋谷の日本放送協会(NHK)で開催された経営委員会は、今年(2017年)1月24日で任期を終える籾井勝人現会長の後任に上田良一氏を充てる事を議決した。上田氏はNHK経営委員会の常勤メンバーで、元三菱商事代表取締役副社長執行役員だった。 NHK会長の任命権は、12人の経営委員にゆだれねられ、会長を決める際は、12人の委員が、夫々 意中の人を推薦するのが、建前となっている。今回は、一部の委員が上田氏以外の人物を推したとされるが、最終的には上田氏でまとまった。
実は、NHK会長人事をめぐっては、昨年の秋も深まるころから、大手新聞社の取材・報道合戦が熱を帯び、朝日新聞が昨年12月7日金曜日の朝刊で、籾井氏再選はないと一面トップで報じた。すると、同日の夕刊で今度は読売新聞がスクープ扱いで、「新会長に上田氏」と大きく伝えた。
当時のNHK経営委員会のスケジュ-ルでは、月に二回 12月6日と12月20日の定例会合で人事を議論、12月20日の議決を想定していた。ところが、朝日、読売新聞に続いて各紙が週末をはさんで「上田氏」を報道、結局、経営委員会としても予定より二週間早く、週明けには決着をつけざるをえなくなった様だ。
経営委員会が上田良一氏を新会長に選んだ決め手は”皆が知っていて、安心出来る人”という事だった。
籾井勝人現会長を選んだ3年前の経営委員会は、殆ど議論もななかった。「三井物産の副社長まで勤めた人なので問題はあるまい」というのが委員会の大勢だった。
ところが籾井氏は就任会見で「政府が右というなら 公共放送も右へ」と言った趣旨の発言を繰り返し、経営委員会は何度か籾井氏を呼んで注意した。しかし、籾井氏は自分をNHK会長に据えたのは政府であって、経営委員会ではないという姿勢さえ見せた。籾井氏に対し決定的な行動をとれなかったのは、安倍政権も同じだった。いずれも、”任命責任”を追求される事を恐れた結果だった。
実は、籾井氏を会長に選出した三年前の経営委員会のかなりのメンバーが、今も中核として残っている。彼らの間には、”籾井ショック”がトラウマとなっていた。そうした彼らの間で、籾井氏の後の新会長は、いわゆる、NHKプロパーからという動きもあったが、大勢とはならかった。上田氏は、常勤の委員としてNHK執行部とのパイプが太く、更に、これまでも国会答弁をたびたび経験し 政治家の受けも悪くないなど安定感がある事が決め手となった。
さて、今月1月24日の籾井会長の退任とともに、翌日25日上田新会長の初めての記者会見がある。新会長を待ち受ける課題はインターネット放送の推進など数多くあるが、まず、最大の問題として、上田氏が誰を副会長に選ぶのかに皆注目している。任命権者は上田氏であるが、例によって、総理官邸の役人や、政治家を使っての横車、売り込みがあると聞く。上田新体制が、そうした圧力に負ける事なく 適材を選び、NHKの独立、独自性を示してもらいたいと思う。
陸井 叡(叡オフィス)

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