今も続くドイツの謝罪、補償―日独で異なる戦後処理

戦後70年、日本と同じ敗戦国ドイツは、今や欧州連合(EU)の優等生といわれる。その背景には経済力や技術力だけでなく、今でも政府首脳が、ナチス軍が殺害事件を起こした周辺諸国の村を回り謝罪、今年5月には長年続けられた旧ソ連軍捕虜生存者への補償をまとめるなど、和解への努力の積み重ねが大きい。
◆戦争犯罪を自らも裁く
日本はよくドイツと比べられるが、占領形態の違いもあり比較は難しい。ただ1990年の東西ドイツ統一の際に周辺諸国から異論がなかったのは、戦後処理に一定の理解があったからとされる。
第2次世界大戦の敗戦で、ドイツは東西ドイツに分断され、米、英、仏、ソ連(現ロシア)4か国が進駐、日本の占領は米国だけだった。占領政策も日独で異なる。日本は民主主義が未熟だとして政治、経済、税制、地方自治、教育の民主化の徹底に重点が置かれた。ドイツでは反ナチ化だった。  
戦争裁判では日本は極東国際軍事裁判、ドイツはニュルンベルク国際軍事裁判で裁かれる。この裁判については「勝者の裁き」との批判があり、ドイツでは自国の裁判所でも裁く。結果、9万人以上のナチス関係者を起訴し、有罪判決は7千件に上った。西ドイツ議会が「ナチス犯罪の時効を廃止し永久に追及する」とした決議も重い。日本は自ら戦争犯罪を裁くことはなかった。
戦後処理も複雑である。被害国も東西に分断され、講和条約を結べる環境になかった。石田勇治東大教授(ドイツ現代史)は「このためにドイツは日本のような包括的、抽象的な謝罪ではなく、56年に制定した連邦補償法を基に個別事象的、具体的な謝罪になった」と、指摘する。
◆領土4分の1を割譲
最大の被害国、ポーランドに対してドイツは、戦前の国土の4分の1(約13万平方キロ)を割譲。現在のポーランド領土の3分の1に当たる。犠牲者600万人以上とされるユダヤ人の多くは、ポーランドに住むユダヤ人だったが、48年にイスラエル建国後はイスラエルとも交渉をした。
補償交渉は西側諸国(スウエーデン、ノルウエー、デンマーク、ルクセンブルグ、ギリシャ、スイス、オーストリア、英国、イタリア)と、旧ソ連圏の東欧諸国(ポーランド、チェコ、ハンガリー、ルーマニア、ユーゴ)とでも異なる。東欧諸国は一括して西ドイツに要求したが、これはドイツ統一後に対応する。この時ネオナチ運動が盛り上がったが、何度も補償をすることに若者たちの反発があったとされる。
補償はその後拡大していく。「ポーランド和解基金」(91年)、「ロシア和解基金」(93年)、強制労働を補償するため2000年には国と企業で財団を設立、既に167万人に補償金を払った。歴史教科書問題も周辺諸国と決着、例えば150ページの教科書のうち50ページが近隣国と同じ記述のものがあるという。
◆哲学者、宗教家が国の道義を説く
粘り強い戦後処理の背景には、哲学者や宗教家たちが「戦争犯罪は国家の道義の問題」と説いたことも大きい。終戦直後の45年に哲学者、カール・ヤスパースは「戦争の責任を問う」と題して、歴史認識を持ち続けることの重要さを説き、70年にはブラント首相がワルシャワのユダヤ人犠牲者追悼碑にひざまずく。85年の終戦40年式典では、ヴァイツゼガー大統領が「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」と、演説するなど、歴史の節目に必ずメッセージを発信した。「ドイツはナチスに責任をかぶせた」と批判が出ると、「国防軍の犯罪展」を全国で開く。そして90年代に入るとイスラエル、フランスから「償いは済んだのではないか」という声が出始めたという。
戦後処理について日本政府は、関係国と賠償や財産・請求権は一括して処理し、個人の請求権も「法的に解決済み」とする。72年の日中共同声明で中国は請求権を放棄したが、当時政府、自民党首脳の間に「それではあんまりだ」との声があった。結果は3兆円超の開発援助(ODA)になったが、中国は既に利子も含め全額返還したという。韓国とは65年の日韓請求権協定で、総額5億ドルの経済援助資金を提供。人道支援として95年に「アジア女性基金」を設置「償い金」を渡す。
謝罪では従軍慰安婦問題で、93年の河野洋平官房長官談話、95年の村山富市首相が「植民地支配と侵略戦争」「痛切な反省と心からのおわび」「国策の誤り」を表明。この後、村山首相はシンガポールの「血債の塔」(日本軍占領時の受難者の碑)に献花、盧溝橋を訪れた。残念なことは「おわび」をしても、心ない発言でしばしば振り出しに戻ってしまうことだ。中国や韓国からは南京事件や従軍慰安婦問題などで、日本は歴史を直視しないとの批判も続く。
ドイツとユダヤ史が専門の武井彩佳学習院女子大准教授は「ドイツは現実的な判断を繰り返し積み重ねた。和解はあるまいとされたドイツとイスラエルの関係は今はおおむね良好」という。ユダヤ人犠牲者追悼碑にひざまずいたブラント首相、戦没者の墓地で手を取り合ったミッテラン・コール仏独首脳、今も謝罪と補償を続けるドイツ。比較は難しいがトータルでみると、ドイツに加害者としてのより深い配慮がうかがえる。  
栗原 猛(政治ジャーナリト)

Authors

*

Top