<シネマ・エッセー> 夏をゆく人々

ジェルソミーナと言えば、フェデリコ・フェリーニの名作「道」(1954年)を思い出す。道化の格好でトランペットを吹く旅芸人の少女(ジュリエッタ・マシーナ)と、悲しげな曲が耳に残っている。昨年のカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した『夏をゆく人々』のヒロインもジェルソミーナ(マリア・アレクサンドラ・ルング)という名の、どこか憂いを含んだ13歳の美少女である。

イタリア中部トスカーナ地方の人里離れた湖畔には古代エトルリアの遺跡が残っていて、そこで養蜂を営む農家の長女、ジェルソミーナは妹と共にドイツ人の父から蜂の飼育と蜂蜜製造のハードな仕事を仕込まれている。

もう二人の妹は双生児で、4人ともイタリア人の母との混血。この映画で一躍世界に認められた女性監督のアリーチェ・ロルヴァケル(33)も、母親役の姉(アルバ・ロルヴァケル)も独伊混血で養蜂家に育ったというから、どこかに自伝的要素がひそんでいるのだろう。

決して豊かではない、素朴な毎日を送る一家がある日突然、盗みと放火で(日本流に言えば)「保護観察中」のドイツ人少年を預かることになる。折しも地方のテレビ局がエトルリア文化を紹介し、その典型的な家庭を選ぶ<ふしぎの国>という番組の取材に来ているのと遭遇し、一家もそれに巻き込まれる。

そのうえ預かっていた少年が行方不明になるという騒ぎで、波紋はさらに大きくなり、一家が翻弄されることになるが、物言わぬ少年が小鳥の鳴き声を鋭い口笛で吹き、それに呼応するように、口の中に含んだ蜜蜂を遊ばせるジェルソミーナの優しさが対照的に画面に描かれる。

娘たちにドイツ的(?)スパルタ教育をする父親の一徹さが現代社会では珍しいが、その頑固おやじが家畜を売りに行った折に、ジェルソミーナがかねがね欲しがっていたラクダをおみやげに買ってくるシーンがある。砂漠から突然拉致されてきたような、小柄なラクダだが、実に悠揚迫らぬデカい態度で農家の庭を占領する。そのユーモラスな姿が笑いを誘った。

2次大戦後、イタリアでは「靴みがき」「自転車泥棒」「鉄道員」などのネオ・リアリズム映画が20世紀中盤の一時代をつくったが、この映画もどこかその伝統を汲む、21世紀のネオ・ネオリアリズムともいうべき、独特の味わいがあった。

映画の原題のLe Meraviglie は「驚き」「ふしぎ」という意味だというが、ローマからそんなに遠くないトスカーナ地方に現代生活とかけ離れた世界が残っているとすれば驚きであり、見る者をふしぎな魅力に巻き込んでしまう映画ではある。(8月22日から東京・岩波ホールなどでロードショー)
磯貝 喜兵衛(元毎日映画社社長)

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