経済危機に揺れるスリランカを訪問した

1) 荒波砕けるスリランカ

大荒れのインド洋
インド洋を見渡す時計台

 この夏、インド洋に浮かぶスリランカを訪れた。5泊6日の旅だった。8つある世界遺産のうち、仏教遺跡など5つを見ることができた。国名は「光輝く島」の意。スリランカを巡れば、豊かな自然と悠久の歴史・文化の輝く宝庫だと実感した。
 最後に訪れた世界遺産は、スリランカ南部のゴール旧市街だった。古来、ゴールは中東、インド、中国などの商人で賑わう海上交通の要衝だった。大航海時代の幕開けとともに、ポルトガル、オランダ、イギリスの兵士らが渡来し、統治・支配を続けた。途中、中部山岳地帯の紅茶発祥の地も巡り、鉄道敷設の経緯、背景を知ることができた。その歴史には、宗主国イギリスの足跡がくっきりと刻まれていた。スリランカは1948年、イギリスから独立した。西欧列強の植民地支配は400年以上も続いたことになる。その負の歴史から、スリランカは「インド洋の涙」との別名も持つ。
 独立を果たしたスリランカも、平穏は長続きしなかった。やがて分離独立を求める部族との内戦が起こり、2009年まで26年も続いた。内戦の収束が近づくとともに、スリランカ政府は、空港、港、高速道路、通信・電力などのインフラ整備に乗り出す。ところが、計画を急ぐ余りに外国からの借金は膨らみ、外貨も不足し、2022年5月、債務の返済不能・デフォルトに陥った。食料品、燃料、医薬品などの輸入品が軒並み高騰し、スリランカは深刻な経済危機に陥り、今も苦しんでいる。
 インド洋に浮かぶスリランカは、季節風によって荒波が押し寄せる。ゴールの浜辺に砕ける荒波は、波乱に満ちた歴史を象徴するかのようだった。
 
2) 経済危機はなぜ起きたか

朝のキャンディ街

 スリランカの経済危機の実態は、3日目の宿泊地、キャンディ市街で思い知ることとなった。賑わう街や市場で、市民に声を掛けると、その言葉や表情から、厳しい暮らし向きの一端が見えてきた。ひと頃に比べて落ち着いたというものの、物価高は続いている。市場の値段はかつての2倍近いものもあり、必需品だけしか買えないと嘆く。物価高は食卓にも影響し、食事が不足ぎみの児童・生徒が学校の朝礼で倒れることもあるという。
 独立後初めての経済危機は、なぜ起こったのだろうか。まず、スリランカ政府が進めたインフラ整備が現実無視の過大な計画だったことが指摘されている。その結果、対外債務が膨れる一方、施設の採算も合わず、返済が滞る悪循環に陥ったという。また、最大の外貨収入となる観光業がコロナ禍で縮小したほか、通貨ルピーも大きく値下がりし、返済が一層難しくなったことも挙げられよう。デフォルト寸前の外貨準備高はおよそ16億ドル。1か月分の輸入額にも満たない水準にまで落ち込んでいた。
2022年7月、窮乏生活に苦しむ市民が大規模な抗議デモを起こした。大勢の市民が大統領公邸を占拠し、退陣を求める騒ぎとなった。当時のゴタバヤ・ラジャパクサ大統領は国外に脱出して辞任し、当時のウィクラマシンハ首相が大統領になるという、政権交代が起きた。経済危機は、内政にも大きな混乱を引き起こすこととなった。
  気になることがある。10年以上もスリランカの政権を握り続けた「ラジャパクサ」一族が失脚した今、親密な関係にあった中国はどう動いているのだろうか。

3) 中国の開発プロジェクトは今も続く

南部高速道路

 最終目的地、ゴール市街へは、南部高速道路で移動した。スリランカで最初の高速道路である。途中、サービスエリアに立ち寄ると、道路交通情報システムが日本の援助によるものと記されていた。2006年からの建設工事では、日本企業2社が関わっている。そして、スリランカ最大の都市、コロンボからゴールまでを結んだ道路は、2019年、100キロ余り先のハンバントタまで延伸された。ハンバントタは、中国が「海のシルクロード」の物流拠点として巨大港湾施設を建設したところだ。無論、道路の延伸は中国主導の建設となった。南部高速道路の移動は、2時間ほどの旅。スリランカへの経済援助の歩みを考えるうえで、この上ないきっかけとなった。
 周知のように、ハンバントタ港は様々な課題を抱えている。海の交通の要衝であっても、現状で地理的条件が悪く、稼働率が極めて低い。2017年、スリランカ政府は債務の返済ができず、港湾施設の運営権を中国企業に99年間リースした。中国への警戒感に、「債務の罠」として厳しく批判する声も根強い。
 新政権が生まれた今も、スリランカは中国寄りの姿勢を続けているように見える。スリランカの対外債務を見てみよう。2022年末現在で総額415億ドル、このうち、中国の債務は69億ドルと、1兆円を超えている(日本財務省まとめ)。スリランカと中国の間では、経済に限らず、政治、社会、文化、それに安全保障などの分野で、すでに深い関係が築かれている。その関係は、「切っても切れない」ということだろう。
 そして、今、最も注目すべきは、中国が進めるコロンボ港の「ポートシティー」プロジェクトだ。コロンボ港のすぐ沖を埋め立て、2025年までに高層ビルが立ち並ぶ金融センターとし、経済特区にしようというものである。政権内にも批判があるが、建設工事は今も着々と進んでいる。

コロンボ港の 開発計画

4) 世界の分断化で問われること

 中国がスリランカで存在感を強めるなか、日本はスリランカとの間でどんな関係を築いてきたのだろうか。双方が本格的な関係を結んだのは大戦後である。日本の戦後の運命を決したサンフランシスコ講和会議で、スリランカ代表がブッダの教えを引用しながら、日本への賠償請求権を放棄する演説を行い、大きな喝さいを浴びたという。これに応えて、日本は途上国に対する経済支援の枠組み「コロンボ計画」に参加し、スリランカへの支援を開始した。友好親善関係は、内戦下でも途絶えることがなかったという。日本の経済支援は、有償、無償、技術協力の累計で、1兆数千億円を超えている。
 中国が「一帯一路」構想を打ち出したのは2013年だ。その3年後、日本は「自由で開かれたインド太平洋=FOIP」構想を提起した。インド太平洋における「法の支配」や「自由」を掲げ、「世界共通の価値観」を強調している。また、日本はスリランカをFOIPの「良きパートナー」として位置付け、連帯を働きかけている。スリランカの新政権は、中国と日米欧との間に立ち、「中立主義」を鮮明にしているように見える。
 世界は今、ロシアのウクライナ侵攻により、混迷の極致にある。中国の力による現状変更も無視できず、既存の国際秩序は心もとない。世界の分断が進む今、まさに国際世論の支持を集める争奪戦も激しい。10月、北京で開催される「一帯一路」のフォーラム、11月にアメリカで開催されるAPEC首脳会議など、グローバルサウスと呼ばれる参加各国がどんな動きを見せるのか、注目したい。そこで、問われるべきものは、やはり「法の支配」「自由」「正義」という共通の「価値観」である。
 経済危機のスリランカで出会った一人に、日本に就業して仕送りを希望する若者がいた。日本のアニメで日本語を学び、「何とか・・・日本、行きたい」と語り掛けてきた。あの目の輝きに、日本はどう応えられるのか、今も案じている。

羽太 宣博(元NHK記者)

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