シリーズ コロナ禍での米国オンライン留学 最終回 東京にいながらシカゴから学んだこと、得られなかったこと

<学びのために、距離は重要ではなくなった>

 おおよそ3カ月ほどの短期間だったが、こうして私のオンライン留学は終わりを迎えた。大きな学びを得たと同時に、もの足りなさもあった。ではこの経験を通して何を学んで、何を学べなかったのだろうか。

 まず、言うまでもなくインターネットの存在に感謝をした。今回コロナ禍にもかかわらず海外の授業を受講して学ぶことができたのは、インターネットが発展したおかげだ。インターネットが出現する前、私が大学学部生時代に交換留学のためアメリカで学んでいた時は、事前に日本で得られた大学についての情報は大学案内の冊子や講義科目概要が掲載された冊子くらいだった。教科書はキャンパス内の書店で探さないといけなかったし、受けたい授業は現地で参加をしなければいけなかった。

 しかし、今や大学の情報はインターネット上にあふれている。ウェブサイトを訪れればキャンパスの様々な動画を見ることができる。グーグルマップやストリートビューでキャンパス周辺や街の様子もわかる。授業内容はシラバスが学生用サイトにアップされているし、教科書は遠くに住んでいてもアマゾンで注文できる。何年も前からグーグルドキュメントでの作業も当たり前になり、距離が離れていても学生達は同じ画面を見ながら、文字や画像の情報をシェアしつつ作業ができる。さらに今回のコロナ禍でオンライン会議サービスも普及し、日本にいながらアメリカでの講義に参加できる。

 もし、この新型コロナ感染症が20年前に拡大していたら、留学は完全に中止になっていただろうと考えると、パンデミックが起きても学びを中断しなくて済んだのは、すべて技術が進歩したおかげだ。

<他にもメリットはあった>                                

 他にも、オンライン留学だからこそのメリットはあった。例えば、自宅から授業に参加したので、安全面での心配はなかったということだ。

 シカゴ大学のキャンパスは、実は治安があまり良くない地域にある。アメリカの街にはところどころ危険な地帯がある。シカゴは全米第3位の大都市で、ダウンタウンと呼ばれる北部に位置する高層ビル街は比較的問題が少ないようだが、南側に行くほど危険になると言われており、キャンパスは南部にあったからだ。なにより辟易したのは、大学側から頻繁に次のような注意喚起のメールが届いたことだ。

 「本日午後9時、XX通りを歩いていた学生が、後ろからバイクで近付いてきた2人組に押し倒され、銃を突き付けられながらスマホと財布を強奪されました。遅い時間に移動する時には2人以上で行動すること、周囲に細心の注意を払って行動することを徹底してください」

 こういったメールを受け取る度に、実際に現地に滞在していたらどんなことになっていただろうかと想像した。それでもシカゴ大学を選んだのは、自分の専攻していた経営戦略論や起業論の授業が充実していたという点の他に、11月の感謝祭の休暇期間に全米に散らばる友人、恩人、元同僚を訪ねまくるのに、シカゴは交通の要所で便利だという個人的な理由があった。

 それ以外にも、留学がオンラインになったことによって、様々な手配に煩わされずにすんだというメリットもあった。特に留学ビザを取得するのには時間がかかるし、その他にも航空チケットの手配や滞在する宿の手配など、すべて行わずにすんだ。

これは、つまりコストがかからずに済んだことにもつながる。交換留学は滞在先の学費は免除されるが、先に述べた交通費、宿泊費、食費は円安が進んだことも考えると、日本で生活するよりも負担が重かったはずだ。

<得られなかったのは、十分なコミュニケーション>

 とはいえ、もちろん良いことばかりではない。何より、対面で授業に参加できなかったのは出席したという実感に欠けるし、キャンパスの雰囲気、クラスの空気、街の活気などが感じられず消化不足な感覚は否めない。なんといっても、コミュニケーションが充分にできたという満足感を感じることができなかった。

 それでも、少しはクラスメイトと会話もできた。このシリーズの第4回、第5回でふれたようなチームメイトとの交流の他にも、「交渉術」の授業のブレークダウン(オンライン会議のスクリーン上で少人数の部屋に分かれること)時に同じグループになった女子学生から、シカゴ大学の入学許可と有名人訪問についての話を聞いたり(その学生はAdmissions Office=入学審査を担当する部署でアルバイトをしていた)、自分のバディ(各々の留学生をサポートするbuddyと呼ばれる学生が担当してくれる制度があり、これをバディ制度という)と大学のコミュニティについてメールで色々質問をしたりした。

 それでも大学や大学院での醍醐味は、授業の合間の立ち話だ。コロナ禍になる前の慶應ビジネススクールでの経験では、建設業界から企業派遣されたクラスメイトが、業界のダイバーシティの課題について教えてくれたり、事業継承者(跡継ぎ)の人達の悩みの一端を聞く機会があったりしたことも、記者としての視野を広げてくれた。学び以外でも、一緒にランチを食べたり、学期末に飲み会を開いたりする中で仲間が増えていったのが楽しかった。

 シカゴ大学でも、授業の初日にクラスメイト達の自己紹介を聞くと、軍隊出身者が意外にも多かったり、ベンチャーキャピタルなどの経歴を持つ人達もいたり、話しかけたら面白い話が聞けそうだったにもかかわらず、オンラインでは簡単に特定の人を捕まえて話ができないのがもどかしかった。

 もどかしいと言えば、久しぶりに行くはずだったアメリカ本土なので、アメリカの街があれからどれほど発展しているのか、ライドシェアやエアビーアンドビーで人々の暮らしはどう変わったのか、Gen Z (Generation Z)と呼ばれる若い世代はどう暮らしているのか等々、知りたいことがたくさんあったのに、それらを知る機会が失われた。それだけではなく、留学期間中は大統領選挙があり、Black Lives Matter運動のデモがあった。それらも自分の眼で見ておきたい現場だった。

 学びは便利になった。それは感謝したい。でも現場をこの目で見る点に限って言えば、満足はできなかった。海外渡航が徐々に緩和されてきているので、近い将来この眼でこの足で現場の追体験をしたいと思う。

中田浩子(ジャーナリスト)

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