一枚の写真がある。70年安保闘争が過激な様相を帯びていた1969年ごろの陸上自衛隊の暴徒鎮圧訓練の模様を記録した写真である。当時「治安出動訓練は一切していない」と防衛庁(当時)は国会では否定していた。火炎瓶、ゲバ棒、手製爆弾を使用した「過激派」の鎮圧を目的とした演習で、戦車の出動も計画されていた様子が残されている。
こうした写真は恐らく公開されたことは無いはずだ。「取材源の秘匿」を守らなくてはならずその入手先を明かすことはこれからも無い。今公表したのは取材源がすでに故人となっているからでもある。この記録は形式的にも「機密」だったのだろうと思う。まだ「防衛機密の指定」と言うワクもゆるかったのか。陸上自衛隊のある将校に取材したことがあるが「今我々がやっている訓練はスナイパーの養成だ。建物の脇から火炎瓶を投げてきた瞬間にその腕を確実に撃ち抜ける能力だ」と言っていた。
最初からオドロオドロしい話ではあるが、一線の新聞記者で、取材、執筆、掲載を通じてある種の「機密」の存在にかかわった者も少なくは無いはずだ。法的論理はともかく、こうした現実はその場に立った者でなければ理解できない、あえて写真を出したのは、現在のジャーナリストがどこまで「実質秘」に迫っているかを知りたい興味もあった。取材行為は今問題と成っている「特定秘密」であるか無いかを問われるまでもなく「地方公務員法違反」「国家公務員法違反」「刑事特別法違反」に限りなく近いことなのである。
個人的なことで、「今さらなにを言うか」と糾弾されるかもしれないが、「スクープ戦争」の中で日々の取材は「公務員法違反」の「そそのかし」にあたるのは当然だと思っていた。勿論犯意は無いし、理屈を言えばいかなる抵抗があろうと「国民の知る権利に奉仕する」ことが、記者としての生き方であると信じていたのもたしかである。この辺りは「西山事件」で「正当な取材活動の範囲を逸脱している」とした最高裁判決とやや趣が異なる。
たとえ法廷侮辱罪で罰せられようと「取材源」について証言拒否をする美学にあこがれを持っていた。
取材源の秘匿は2006年の最高裁小法廷(上田豊判事)で明確に是認されていることでもあり、取材行為の正当性を論ずるまでもない基本的スタンスではないか。「西山事件」では、被告は機密文書を政治家に渡し情報源の発覚を招いたことは遺憾だ。
自らが安全な場所にいて,他を論ずるわけにはいかないこともジャーナリストの有り様ではないかと思っている。誤解される恐れもあるが、だからと言って現在論じられている「特定秘密保護法」を是としているわけでもない。報道の自由を守るには、それを妨げる「法」を越える意識を持つことがジャーナリストの理想でもある。現在の「特定秘密保護法」への反対議論には、メディアの決意が見られない。反対論を説きながら、自らが出演している報道番組で「中立」を語るキャスターに不信がある。ある種の法的「特権」をジャーナリストに与えるべきだと言う感情的な風景論になってしまいかねないからだ。「国民に知らせるべきだ」と信じたなら、何の躊躇もなく「特定機密」にアクセスする意気込みと決意がジャーナリズムへの信頼を維持する唯一の有り様だと思う。
「機密」の多い警備・公安担当、防衛庁(当時)担当と言う記者生活を送ったことがある。特に「公安事件」では、「取材行為」と胸を張って論ずる以前の事態に何度もぶつかっている。我が国の「情報機関」と言えば「内閣調査室」「公安調査庁」「警視庁公安部」が三本の柱だろう。「公安警察」としては抜きんじているのはやはり警視庁公安部だろう。公安部の中で、「公安総務課」は、課長室以外部屋に入ることが出来なかった。課長はキャリア官僚であり、公安部の収集した各種情報がここに集中する。課長以外の要員の名前は一切知らされず、顔を見ることもない。当時は赤軍派など思わぬ過激派の出現で「爆弾事件」など特殊事件の指揮を執っていたが、後になって分かったが、「総務課」の主要な作業は「日本共産党」の監視だった。「赤旗」に掲載される「無署名論文」の分析が「機密」を示す赤い書類入れで課長の机の上にあったのを覚えている。翌日配達される共産党機関紙「赤旗日曜版」の早版が何気なく課長の机の上に置かれていることもあった。
取材はまず「総務課員」の住所、名前を知ることから始まった。廊下で「課長代理」がいつ課長室に入ったかを探ることも日常的な仕事だった。月に一回「公安部長」と、記者クラブ(七社会)の懇談会があった。テレビで参加出来たのはNHKだけだった。中身はすべてオフレコだったが、参考に出来るのは中国の「広州交易会」の日本企業の動きぐらいだった。こうした「情報統制」の壁を破るべき手段はほとんどなかった。赤軍派など過激派学生の動向は、公安調査庁のルートがあった。現在はオウムの監視機関だが、もともと同庁は法務省の管轄下で破防法適用団体の監視機関だった。目的は「共産党」の情報収集だった。
要員が少ないことや、捜査能力も制限があり、多くは「S」工作(スパイ)だった。過激派学生に多くの金が流れていた噂がたえなかった。
もう一つのルートが週刊誌のトップ屋集団だった。出版社系の週刊誌には、情報を「売る」トップ屋が多くいた。彼等は学生に金を流し、情報を得ていた。情報を金銭で売り買いする学生運動は消える運命にあった。その「ウラ」を取ることもできなかった。
取材行為と言うには恥じいるばかりだが、わずかなルートに頼って夕方から深夜にかけて公安部のキャリア官僚の自宅を訪ねて彼らの様子をうかがった。全てではないが一つの事例を記録しておきたい。共産同赤軍派の委員長が逮捕された。確か「爆発物取締法」容疑だったと思う。赤軍派は「大菩薩峠事件」で大量の逮捕者を出し、ほとんどが地下に潜った状態だった。委員長逮捕は小さい記事だった。ある日、公安部幹部から「委員長が転向した。落とした取調官と会わせる。極秘だ」と誘いがあった。「転向」と言う言葉に魅かれ、密かに指定された場所に行くと幹部と転向させたと言う刑事がいた。食事付きの取材も初めてだった。刑事は「転向」のいきさつを詳しく話した。翌日朝刊の片隅に「赤軍派委員長転向」と言う珍しい記事が載った。この記事が大きな反響となった。「転向はうそだ」「公安当局のでっち上げ」と言うビラがまかれ、本社にデモが押し掛ける始末となった。
この種のリークでは「極秘」と判を押した書類を入手したことがある。この情報で「伊藤律・中国で死亡か」と言う記事を掲載し誤報したこともある。1年後に伊藤律氏が日本に帰国する事態に驚愕した。情報の強力な統制はその一方で、マスメディアが飛びつきやすいリークを生むことになる。権力はあらゆる手段でメディアをコントロールしようとするのだ。
なぜ、そうした危険な情報収集にジャーナリストが安易に加わるのか。現在の「特定秘密保護法」の議論で欠落しているメディア側の弱点を、をもう一度取材現場から積み上げた研究が欲しい。
「西山事件」最高裁判決の中に見落としがちな項目がある。「我が国における報道機関の多くは自由競争社会における営利企業の形態を有し、このような企業の被用者である報道記者は、取材に当たって公共的使命に貢献し、公益を図りながらも他面においてその所属企業の営利性を追及し、スクープその他による個人的な利得や功名を追及することが多いという現実を無視することはできない。従って報道記者としての公共的使命を追及する取材活動にあってもかような私的利益の追及を伴うことは通常起こりうることである。」
最高裁のこの指摘に理はある。しかし、ジャーナリストの功名心は、権力に向かっての「ウォッチドッグ」のバネになることも忘れてはならない。特に「速報性」をテレビ、インターネットに譲った報道記者は機密に迫るための濃密な情報源獲得には興味を持たないが如くである。一方で「防衛機密」は急速に増えている。記録には無いが、2006年から2011年にかけて5万5000件の「防衛機密」が指定されていると言う。陸上自衛隊の情報収集能力も一段と強化されている。ある陸自将校によると「中国沿海部で行われている人民解放軍の演習で、中隊規模の戦車同士の無線連絡を受信できる」と言う。隣国中国の軍事大国化は「国家安全保障会議」(NSC)の必要性を感じさせている。「特定秘密」必要論はそうしたメディア側の事情に附け込んだ型で広がりつつある。
かつてのニューヨーク・タイムズの「ベトナム秘密報告書」事件(1971年)では、ダニエル・エルズバーグ博士が窃盗罪・情報漏洩罪を覚悟で「国家機密」の公開を果たした。
インターネット時代の情報公開では、オーストラリア人のジュリアン・アサンジ氏が「ウイキリークス」と言うウエブサイトを開き、世界中の「内部告発」を受信している。最近では米国家安全保障局元職員のエドワード・スノーデン氏が「米国民が政府による大規模な監視下に置かれていることに義憤を感じた」と20万点に及ぶ「盗聴機密資料」を持って亡命している。
それぞれの事件の過程で、彼等は「国家には公表しがたい機密がある」と言う前提に立ちながらも、その「機密」へのアクセスには勇敢に立ち向かっている。「亡命」までして内部告発する勇気に、日本のメディアと、ジャーナリストはどのような反応を見せているのかさだかではない。
加藤 順一(元毎日新聞記者)
メディアの決意がみられない〜特定秘密保護法への反対議論〜西山事件と取材源の秘匿