「安倍辞任」で日韓関係はどうなる

■安倍首相の辞意表明と日韓関係

8月28日、安倍首相が持病の悪化を理由に辞意を表明した。健康不安説が一部流れていたものの、電撃的な辞任劇となった。第1次と第2次合わせて8年8か月に及ぶ政権は、連続の在職日数とともに憲政史上最長となる。とりわけ外交・安保で存在感を示した安倍政権の終焉に、世界各国のメディアが速報で伝えた。

日本との関係が悪化するばかりの韓国では、安倍首相の評判はすこぶる悪い。集団的自衛権の法制化や日米同盟の強化などをめぐって、メディアの多くが安倍首相を「極右」、「歴史修正主義者」などと呼ぶ。今回の辞意表明のニュースは歓迎と不安の交錯する複雑な思いで受け止めたに違いない。韓国の通信社・連合ニュースは「新しい総理が就任すると、韓国との関係でどのような変化があるかも注目される」と伝え、関係改善に期待を寄せた。保守系・朝鮮日報は29日付け社説で、「関係回復が遅れれば、両国のどちらにとってもプラスにならない。次の日本の首相は『嫌韓政治』をしてはならない。韓国政府も『反日政治』の誘惑を振り切らねばならない」と説く。保守系・中央日報は29日付けコラムで、「我々には良い機会で…日本との外交関係を改善できる糸口になるかも…」「安倍首相はわが国には最悪の首相…。ムン政権は日本との関係改善のきっかけにしなければいけない」と論じる。一方、ムン政権寄りの革新系・ハンギョレは29日、安倍首相は1時間に及ぶ辞任会見でも韓日関係に言及せず、質問もなかったと伝え、「徴用問題に対する日韓の立場は根本から異なり、(次の首相になっても)解決には相当の時間がかかる」と悲観的だ。最悪とも評される日韓関係は、安倍首相の辞任によってどう変わるのだろうか。さらに悪化してしまうのか、それとも改善に向かうのか。その行方が気に掛かる。

8月15日、韓国では日本の植民地支配からの解放を記念する光復節を迎えた。式典での大統領演説は、その時々の対日外交姿勢を反映する。今年、ムン大統領はどんなメッセージを発したのだろうか。その内容を読み解き、ポスト安倍時代の日韓関係を探ってみたい。

  • 光復節とムン大統領の演説

今年の光復節は、日韓関係が二進も三進も行かないなかで迎えることとなった。関係悪化の主因は、戦時徴用をめぐる韓国大法院(最高裁)判決(2018年10月)である。日本は、韓国の個人請求権は日韓請求権協定(1965年)によって「完全かつ最終的」に解決済みだとし、日本企業に慰謝料の支払いを命じた判決は「国際法に違反」するとの立場だ。8月4日、大きな節目となった。この日以降、原告への慰謝料に充てるため、日本企業から差し押さえた資産を現金化する手続きが可能となった。協定は戦後の日韓関係の礎の一つだ。現金化の実行は日韓が結んだ条約の協定を無にするもので、日韓関係を土台から崩すこととなる。徴用の問題が緊迫感を高めるなか、ムン大統領による今年の光復節演説が関心を集めたのは至極当然であった。

ムン大統領は、まず、最高裁判決について次のように説く。判決は「韓国で最高の法的権威と執行力を持つ」と述べ、三権分立を念頭に司法判断を尊重するという、従来の立場を重ねて示した。また、「いまも協議の扉は開いている。いつでも日本と向き合う準備ができている」とも述べ、対話による問題解決を呼びかけている。2017年の就任以来、ムン大統領は日本に打ち克つという「克日」をスローガンの一つに掲げてきた。去年の光復節では、日本の輸出管理の強化に対抗し、「誰も揺るがすことのできない国」をつくると宣言した。また、南北の平和統一こそが「経済大国へと向かう近道であり、日本を乗り越える道」とも述べ、日本への対抗心を剥き出しにしている。これと比較すると、今年の演説は、最悪の日韓関係への懸念を意識したのか、日本に対する直接の批判を避けたものとなった。一言でいえば、「抑えたメッセージ」(朝鮮日報)だったと言えよう。

  • ムン大統領が言及した国際法の原則

ムン大統領による今年の光復節演説では、徴用問題に関連して自ら「国際法」に言及した点にも留意する必要がある。「(被害者の)人権を尊重する日韓の共同の努力が友好と未来に向けた協力への架け橋になる」とし、「民主主義、人類の普遍的な価値と国際法の原則を守っていくために日本と努力する」と語ったくだりだ。韓国の大法院判決が「国際法に違反」するとの日本の主張に対し、ムン大統領が「国際法の原則」を守るとの姿勢を初めて明確にしたことになる。また、韓国が国際社会の「共通の価値観」を日本とも共有することを明示したものとも言える。その一方、日本の主張する「国際法違反」を逆手に取り、「人権」、「人類の普遍的価値」そして「国際法の原則」という言葉を単に羅列したにすぎないとの見方もできる。とはいえ、ムン大統領が日本の主張する国際法の議論に向き合おうとしなかったことを考えれば、大きな変化に違いない。

しかし、徴用をめぐる韓国最高裁の判決を仔細に分析すると、ムン大統領のいう国際法の原則は国際法の現実と大きくずれ、矛盾することが浮かび上がってくる。まず、大法院判決について、ムン大統領は、三権分立を理由に判決を尊重すると主張する。しかし、その論理が通じるのはあくまでも韓国内でのことだ。国内法を理由に国際条約を無効とすることができないという国際法に矛盾する。また、大法院判決は110年前の日韓併合条約が締結時点でそもそも違法だと判断し、その体制下での労働に対しての慰謝料の支払いを命じたものである。日本がこの支払いを受け入れてしまえば、日韓併合条約とその後の植民地支配体制の違法性を認めることとなる。その結果、慰謝料の請求は際限が無くなり、日韓関係は重大な事態に陥いることが懸念されよう。日韓併合条約は、当時の国際社会の実情と国際法に照らして合法的で、西欧列強各国からも認められた条約というのが通説である。韓国のいう無効論は、一部の少数意見にすぎない。

この現実をよそに、ムン大統領が「民主主義、人類の普遍的な価値と国際法の原則を守っていくために日本と努力する」と敢えて述べたのはなぜだろうか。また、その底意はどこにあるのだろうか。

  • ムン大統領が国際法に言及した底意

韓国を取り巻く環境は、国内外ともに激変している。国内的な課題から見てみよう。まず、コロナ禍による経済の停滞に加え、不動産価格の高騰もあって格差社会は深刻さを増している。また、与党系のソウルと釜山の市長などによるセクハラ問題が相次いでいる。ムン政権の支持率は若い女性を中心にして一時は39%にまで急落し、ムン大統領に反対する大規模な集会も開かれている。一方、国際的には、経済、外交・安保上の課題が山積する。韓国が貿易で大きく依存する米中対立は、香港、台湾、南シナ海をめぐる争いにまで発展している。「新冷戦」とも言われるなか、韓国は両大国の狭間で揺れ続けている。ムン大統領の最大の課題、南北統一の動きは北朝鮮がケソンの共同事務所を爆破して以降、停滞から反目に変った。日韓関係をみると、半導体素材の輸出管理の強化の問題で韓国がWTOに提訴し、一審にあたる小委員会がすでに発足した。そのWTOの事務局長選挙には、韓国のユ・ミョンヒ通商交渉本部長が立候補している。また、トランプ大統領が打ち出したG11構想は韓国やオーストラリアなどの4か国をG7に加盟させるもので、韓国では世界のリーダーの仲間入りを果たせると期待している。WTO事務局長選挙もG11構想でも、韓国は日本の支持が得られないとして強く反発するなど、日韓の対立はことごとく国際舞台に移っている。韓国からすれば、強硬姿勢だけでは、日本との対立・紛争に立ち向かえないことを悟ったからなのかもしれない。国際世論戦を布告したものとみることができる。ムン大統領が「人権」や「国際法の原則」を尊重すると敢えて訴えた底意は、その国際世論戦に勝利する戦略にあるといえよう。

国益がぶつかり合い、争いの絶えない国際社会で、国と国との関係を律する国際法は誕生し発展してきた。そして、国際法は今、人権、環境、感染症、貧困などいわゆる「グローバルイッシュー」の分野で新たなルールづくりが問われている。ムン大統領のいう、「国際法の原則」は、国際法の在りようへの果てしない挑戦なのだろうか。

安倍首相の辞任によって先行き不透明な日韓関係。国際社会の世論がどう動くのかも見つめ続けていきたいと思う。

羽太 宣博(元NHK記者)


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